第七楽曲 第五節

 夕方からゴッドロックカフェで練習がある金曜日。古都、唯、美和の3人は放課後直接ゴッドロックカフェに向かうため、学校に楽器を持ち込んでいる。


「へぇ、バンドマンって感じじゃん」

「バンドマンじゃなくてバンドガールね」


 その様子を見た華乃が朝から声を掛け、古都は返事をしながら教室後方の邪魔にならない場所にギグバッグに入ったギターを立てかけた。クラス中の物珍しそうな視線も集まる。


「練習は順調なの?」

「もちのろんよ」

「バイトも?」

「そっちもばっちり」


 火曜日からアルバイトを3連勤した古都は4日ぶりの休みに当たるが、この日はバンド練習で、それに俄然気合が入っている。全体練習は先週の土曜日以来になるが、上達したところを早くアピールしたくて仕方がないのだ。つまり古都は自宅での個人練習をこの1週間必死でこなしてきていた。


 備糸高校は3クラス合同で体育を行う。この日の午前、2組の古都のクラスは体育があった。1組から3組までが合同なので3組の唯も一緒である。男女がそれぞれ別れて教室を更衣室に使うので、体育前の廊下は賑やかさを増す。隣のクラスが体育だろうということは4組の希も把握できた。

 その賑やかさが去ると今度は体育で出払って生徒が減った静けさが廊下を襲う。そんな中4組の希は教室で授業が始まる。しかし、途端に生徒が減った教室内。クラスの何人の生徒が気づいているか知る由もないが、希はこの日いたはずの3人の女子生徒がいないことに気づいていた。


 体育館でバスケットボールをするのは1組から3組の女子生徒。3クラスの女子生徒のうち、バスケットボールを選択した生徒が戯れている。熱くなって本気でプレーする者や壁際でのんびり雑談をする者など取り組み方は様々である。古都はここにいて、中でも一番熱くプレーしていた。


「古都ちゃん、張り切ってるね」

「えへへ。バスケ楽しい」


 1ゲームを終えて古都を迎えたのは隣のコートでバレーボールを選択している唯。その隣には同じくバレーボール選択の華乃もいる。この2人は運動が苦手なので、のんびりプレーをしていた。


「怪我しないでよ? 突き指とか」

「大丈夫っしょ」


 華乃の心配事にあっけらかんと返す古都。活発で天真爛漫な古都は体を動かすことが好きである。体育の授業で張り切るのも当然の成り行きだ。


「あぁ、負けたぁ……」


 そう言って輪に加わったのは3組の篠谷江里菜しのたに・えりなで、唯とクラスで仲の良い女子生徒である。江里菜の選択はバスケットボールで、今まで敵チームとして古都と対戦していたのだが、彼女は運動好きで体育に張り切るタイプの生徒である。


「古都ちゃん。次の体育の時、リベンジね」

「お、江里菜ちゃん。受けて立つ」


 やがて授業が終わると4人は固まって更衣室になっている教室に戻った。そして女子の更衣室になっている1組の教室で着替えを終えると、4人はそのまま固まって教室を出たのだ。すると2組の教室が騒がしいことに気づく。


「どうしたの?」

「あ、雲雀……」


 古都が声を掛けた男子生徒は気まずそうに顔を背けた。男子の更衣室になっていた2組の教室では既に全生徒の着替えが終わっていて、その様子を察した古都と華乃は教室に足を踏み入れる。騒がしさから唯と江里菜は廊下で教室内の様子を伺っていた。


「えっ、うそ……」


 人の視線が集まる教室の後ろの隅に立った華乃が思わず声を発する。古都は青ざめて言葉を失っていた。2組の前の廊下を前方から後方に移動していた唯と絵里菜は教室内の古都と華乃の様子に気づき足を止めた。


「そんな……」


 言葉を発したのは江里菜だが、その隣に立っていた唯は古都同様顔を青ざめさせた。廊下からでも古都の持ち込んだギターの無残さが目に入ったのだ。唯は慌てて自分の教室に駆け込んだ。


「そんな、山田さんからもらった大切なギターなのに……」


 教室の隅で膝を付きネックが折られたギターを抱くように抱える古都。いつも綺麗なつぶらな瞳は悲哀に満ちていて、その手には一つでなくなったギターがそれぞれ握られている。1弦と2弦は切れていて、3弦から6弦で辛うじて繋がってはいるもののやはり一体性は感じられない。


「ちょ、誰? こんなことしたの?」

「俺らが着替えに戻った時にはもうこんな状態だったんだよ」


 華乃が上げた声に1人の男子生徒が答えたが、その回答もまた虚しいものであった。


「ケースから出されたまま放置されてるってことは――」

「華乃、それ以上言わないで」


 声を震わせて華乃の言葉を遮る古都は未だに無残な姿のギターに目を向けたままだ。

 そう、つまり華乃が言うようにギグバッグから出されたまま放置されているということは、誰かが故意に折った可能性が高い。過失であればバッグの中での出来事だし、その後バッグを開けて確認したとしても出さないと考えるのが自然だ。そんなことは古都にもわかっていた。しかしそれを受け入れられない古都は華乃の言葉を拒んだのだ。


 古都は折られたギターをギグバッグに戻すと、自分の席から通学鞄を拾い上げて教室を出た。3組の前を通った時に唯が古都の姿に気づき、唯もベースを背負って通学鞄を手に古都を追った。


「古都ちゃん、待って」


 校門を出たところで古都に追いついた唯は息を切らしている。重いベースを背負って、駐輪場から目一杯自転車を漕いだが故だ。古都は唯の声に気づきつつも足を止めることはないが、追いついた唯が自転車から降り隣に並んで歩くことに拒絶も示さない。


「唯は無事だったんだね」


 古都の背中のギグバックはネックのない上方が形を示さず容量がない。一方、唯の背中のギグバッグはしっかりと形を示していた。それを確認した古都の言葉だったが、唯は自分が無事だったことに遠慮を覚える。


「えっと、どこに行くの?」

「ごめん、ショックでわけもわからず出てきちゃって……。行く当てないんだ」

「そっか。楽器店に修理に出しに行く?」


 いつもは天真爛漫で明るい古都だが、初めて見る彼女の様子に唯はショックを隠し切れない。


「そうだよね、それしかないよね。けどなんかまだそんな気分になれなくて」

「ごめん。そうだよね……」

「唯、授業は?」

「えっと、人生で初めてのサボりかな」


 苦笑いを浮かべる唯はこの日は一日古都から離れないつもりでいた。見るからに気落ちしている古都を放っておけず、気遣っているのだ。


「カフェ行こうかな……」

「大和さんのところ?」

「うん……」


 悲壮感漂う古都は空を見上げて返事をする。それを唯は心配そうに見ながら会話を繋いだ。


「まだ、寝てないかな?」

「起こす」

「起こしちゃうの?」

「店の鍵受け取るだけだから」

「そっか。迷惑じゃなければ私も付き合っていい?」

「うん。一緒にカフェでお弁当食べようか?」


 そう話を合わせた二人は駅に唯の自転車を置くと、電車に乗ってゴッドロックカフェまで行った。そして2階で寝ていた大和のスマートフォンを何度も鳴らし、そして大和の部屋のインターフォンを何度も押して大和を叩き起こした。それをしたのは主に古都だが。


「なんだよ、まったく」


 部屋着姿で短髪に寝癖も付いている大和は眠そうな目を半分も開かず、面倒臭そうに店の鍵を渡すとそそくさと寝床に戻った。この時、古都は1階で待っている唯にギターを預けて背負っていなかったので、大和はまだ古都の異変に気づいていなかった。


 古都と唯は合宿で慣れ親しんだバックヤードに身を寄せるとたわいもない話を始めた。そして昼時になると一緒に弁当を広げた。お互いに常連客から譲ってもらった楽器を手にする者同士、通じ合うところがある。もちろん家族から譲ってもらった美和や買ってもらった希を卑下すわけではない。それでも楽器への愛着の種類が同士だと思えるのだ。


 そして弁当を食べ終わった頃だった。唯のスマートフォンが鳴った。発信者は希だ。


『もしもし唯? どこにいるの?』

「今古都ちゃんと一緒にカフェにいる」

『そう、古都も一緒なのね。古都、どれだけ連絡しても繋がらないから』


 古都は大和に電話を掛け終わった後、マナーモードのスマートフォンを鞄の中に放置していた。唯はすかさずスピーカーフォンに切り替える。


『2組が騒がしかったから華乃に何があったかは聞いた』

「そっか……」

『唯のベースが大丈夫なのも、華乃に聞いた。因みに、美和の方も無事よ』

「良かった」


 華乃は唯のベースが大丈夫なことは絵里菜から聞いていた。そして事情を知った希は美和の楽器が無事であることを確認し、古都と唯に伝えたかったのだ。それを聞いて安堵する古都と唯。


『それじゃ、私は美和と一緒に放課後そっちに行くから』


 そう言って希は電話を切った。

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