第七楽曲 第四節

 天気予報のとおり午後は雨が降り出した。放課後、教室の外で佇むのは古都。クラス内の仲良し、華乃は既に吹奏楽部の活動のため音楽室に行った。


「どうしたの? 古都」

「あ、のん」


 そこへ声を掛けてきたのは希だ。下校のため昇降口へ向かうならば古都の2組は希の4組から反対方向である。わざわざここまで自分に声を掛けに来たのだろうかと、古都は不思議にも感じていた。


「いやさ、誰かが私の傘を間違えて持って帰っちゃったみたいで」

「ふーん、間違えてね」


 既に自分の傘がない教室前の傘立て。探す当てもなく途方に暮れた古都はその傘立てをじっと見下ろしている。


「ん」


 そんな古都の視界に希の声と一緒に彼女の手が入り込んだ。古都が顔を向けると希のその手には折り畳み傘が握られていた。希は反対側の肩に通学鞄を提げ、その手で折り畳みではない傘を握っている。


「え?」

「傘ないんでしょ?」

「あ、うん」

「いらないの? 今日もバイトでしょ? 遅れるよ?」


 なかなか受け取らない古都を促す希。古都はぱっと明るい表情になりその差し出された傘を受け取った。


「ありがとう、のん。明日持ってくるね」

「別にいつでもいいよ」


 そう言うと踵を返して昇降口に向かう希。古都はそれを慌てて追う。


「何よ?」

「何よって、バス停まで一緒に帰ろうよ?」


 希ももう古都のこの調子は慣れたものでこれ以上は特に邪険に扱わない。古都の手には希から受け取った傘がしっかりと握られている。この日たまたま希が持ち込んだ予備の傘で、教室のロッカーに入れてあった傘だ。


「本屋のバイトはどう?」

「楽しい」

「え? そうなの?」


 意外な希からの回答に思わず声を張る古都。この時2人は既に学校を出ていて、バス停までの道中を歩いていた。古都は傘の下で希を向くも、背の低い希は傘で顔が隠れている。雨はやや強く、広さのない折り畳み傘の下にいる古都はより足元が悪いが、それでも傘を差せているのが希の配慮だから感謝をしている。


「接客とか大変じゃない?」

「接客はレジ打ちくらいしかない。一番の仕事は本の整理だから、本に囲まれてるのは悪い気がしない」

「なるほど。とは言ってもお客さんに探してる本がどこか聞かれたりしない?」

「大型書店だから検索サービスがある」

「あぁ、タッチパネルのやつね」


 脇を走る車が水飛沫を上げたのだが、車道側の歩道を歩いている古都は自分が居る場所までその水飛沫が届かなかったことに安堵する。まだ五月も上旬で梅雨入りを感じさせるものではないが、それでもあと数週間もするとじめじめした時期に差し掛かるのかと思うと憂鬱になる。


「古都はバイトどうなの?」

「ナンパばかりされて今日から厨房に異動」

「ふーん」


 聞いといてこんな薄い反応の希にやれやれとは思うものの、それにも大分慣れてきた古都。それより希から自分に質問を向けられることに嬉しさも感じる。希は希でこんな反応ではあるが、古都の容姿を考えればその話に納得してもいる。


「のんはバイト代入ったらスネアとペダル買うんだよね?」

「唯に聞いたの?」

「そうだよ」

「そのつもり。古都は?」

「エフェクターは欲しいかな。けどステージ上がるまでにそれなりのギター本体ももう1本欲しいな」


 山田から譲ってもらったギターは安価で初心者向けではあるものの、それはやはり質を考えるとステージに立つためには物足りない。それに譲ってもらったギターを家庭練習用にして、それなりのギターをゴッドロックカフェに置いておけば、学校にギターを持ち込む手間もないと考えている。


「なるほどね。ライブができるようになったら出演料も掛かるしね」

「え? チケットを売るんでしょ?」

「ちょっとは調べな? ライブハウスにお金を払ってチケットを受け取ってから自分達でチケットを売るのよ」

「うお……。と言うことはノルマをクリアするとか言う前に、チケット代を立て替えなきゃいけないのか」


 現実を掴むたびに多くの壁を実感する古都。しかしそれに燃えるのも彼女であり、よりアルバイトを頑張ろうという気になる。


「古都のことだから、店の常連さん達だけに甘えるつもりはないんでしょ?」

「お、さすがのん。そうなんだよ。ライブまでに如何にして知名度を上げるかなんだよね」

「それもこれからしっかり考えていかなきゃいけないね。まぁ、まだ結成間もないバンドがライブも決まってないのに言うことかも疑問だけど」

「目標は高く! こっからこっから!」


 傘を持つ手とは反対の手で拳を握る古都。その時に斜め上を見上げると降り注ぐ雨が向かって来ている。そこでバス停に到着し、古都と希は別れた。




 夜、店の小さなステージでベースを弾き鳴らすのは唯と大和だ。既に開店時間を過ぎたがまだ来客はなく、大和は雨の中学校帰りにそのまま来ていた唯にベースの指導をしていた。2人とも店に常備されたベースを使っている。


「へぇ、しっかり弾けるようになったね」

「本当ですか?」


 声を弾ませる唯に大和は柔らかな表情で首肯を返す。唯の頬が心なしか紅潮した。


「家でしっかり練習してるんだな」

「はい」

「て言うか、放課後はバイトしたりとか、ここに来たりしてて勉強と両立できてんの?」

「はぁ……。まぁ、なんとかです」


 大和が以前から抱いていた心配を唯にぶつけると、一度溜息を吐いた唯は暗めの声で答えた。


「どっちも夜やってんだよね?」

「はい。寝るのはいつも夜中ですけど、中学の時と比べて朝練がないからなんとかやれてます」

「なるほどね」


 ダイヤモンドハーレムの目標を聞いて意識を変えた大和だが、今目の前にいる唯が着実にベースの技術を伸ばしているところを見ると、未だ厳しい意見を言うこともなく穏やかに指導ができる。それに大和は安堵し、そして頼もしく思っていた。

 先日の合宿の最後では一番初心者の古都もギターの技術が伸びていて、それは響輝や勝の指導の賜物でもあるものの、古都の努力も内心ではしっかりと認めてはいるので、この調子ならと期待を抱く。


「よし、切り上げるか。なんか飲む?」

「あ、じゃぁ、レモネードを」


 大和がスタンドにベースを立ててカウンターの中に入ると、同じく唯もベースをスタンドに立て、大和を追うようにカウンター席に座った。

 カウンターの内側でまずオーディオを操作し店内にBGMを流した大和は、早速レモネードを作り始めた。


 カランカラン


 ちょうど大和が唯にレモネードを差し出した頃に店にやってきたのは響輝だ。その響輝は唯を見るなり迷わず唯の隣に腰掛け、すぐにビールを注文した。


「どう? 調子は?」

「まだまだです」


 謙遜を口にする唯だがその表情はどこか晴れやかだ。その顔から響輝は練習が順調なのだと悟った。そこへ大和が響輝にビールを差し出した。


「はい、ビール」

「サンキュ」

「高校卒業するまでにメジャーデビューするんだと」

「ごほっ」


 ビールを喉に通していた響輝が大和の言葉で咽て、慌ててビールグラスをカウンターに置いた。


「マジで?」


 響輝から視線を向けられた唯は恥ずかしそうにしながらもコクンと首を縦に振った。


「そんでもって、日本を代表するガールズバンドになるのが夢らしいよ」

「でっかく出たな」

「頑張って押し上げるよ」

「へぇ、大和もやる気じゃん」


 大和は笑顔だけを返し、手元の作業に移った。その表情は響輝の言葉どおりやる気に満ちている。


「困ったこととかあったら何でも大和に相談しろよ。俺もできるだけ協力するし」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」


 響輝が唯に向けたこの言葉も大和同様期待の表れである。現状の彼女達の立ち位置はわかっているが、それでも自分達が成し得なかったメジャーデビューを後輩に託したいという思いもある。


 やがて続々と集まってくる常連客達。この日は唯を推している客達に唯の隣を奪われ、結局響輝は端っこの席でちびちびと酒を飲んだ。

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