第六楽曲 第七節

「変な人いた!」


 大和の部屋に戻ってくるなり声を張る古都。部屋で掃除をして古都と美和の帰りを待っていた唯と希はきょとんとした。この時、大和と響輝は1階の店におり、大和は開店準備、響輝は開店前からカウンター席で酒を飲んでいる。


「ど、どういうこと? 古都ちゃん」


 窓を開け放たれた室内で唯が長い黒髪を靡かせながら問う。そこにそっけなく割って入るのは希だ。


「どうせ古都の言うことよ」

「な! 本当だもん! ね? 美和」

「うん、ちょっと怖かった」

「美和が言うなら信じる」

「またのんはなんて言い方!」


 希はキーキー吠える古都を無視して美和に説明を求めたわけだが、話を聞いて買い物の帰り道に声を掛けて来た男はやはり誰かのストーカーだと認識した。少し怯えた様子で話を聞いていた唯もそれは同様で、直接声を掛けられた古都か美和のストーカーが有力だと思った。


「こ、怖いね……」

「でしょ?」


 顔が強張る唯に付加疑問を被せる古都。それに美和が続いた。


「外出は気をつけなきゃ」

「少なくとも合宿中の外出は、2人1組が外せない」


 希の意見に同調気味の表情を示すメンバー達。意見が合うと美和はショートカットの髪をヘアピンで留め、炊事を始めた。古都も綺麗なミディアムヘアーを後ろで束ねて美和のサポートに就く。


 カランカラン


 時は過ぎ、日は暮れて、夕食も済ませると、大和は店のカウンターの中にいて、響輝はカウンター席で酒を煽っている。ドア鈴の方向に目を向けるとGパンにチューリップハットを深く被った淵眼鏡の男が立っていた。大和は昨日も来た客だとすぐに気づいた。時刻は開店直後で19時を少し回ったところだ。


「いらっしゃい」


 男は顔を伏せがちに入り口から一番近い端の席を指差した。


「はい、その席へどうぞ」


 大和が言うと男は座ったので、大和はコースターを男の前に置いた。煙草を吸わない客であることは既に把握している。


「ウーロン茶」

「了解です」


 昨晩同様ソフトドリンクである。昨晩この男は22時くらいまで店にいた。ずっとソフトドリンクであった。大和は2~3回雑談を振ったが、男は相槌を打つだけであまり語ろうとはしなかった。無口なのかと思い、この日大和はあまり積極的に話し掛けるのは控えようと思った。


「あいつらバンド名決まったんだってな?」

「あぁ、うん」


 大和が男にウーロン茶を出すと、反対側の端の席で響輝が話し掛けるので、大和は響輝の前まで移動して答えた。


「何だっけ?」

「……」


 大和はバンド名の由来を聞いていて自分の名前が入っていることから恥ずかしくて答えられない。尤も、響輝もそれは知っていて、大和の反応を楽しむためにわざと聞いているのだが。なかなか意地の悪い性格をしている。


「しっかし、大和はモテるな」

「は? 何の話だよ?」

「ん? メンバー4人とも大和を慕ってんだろ?」

「まぁ、プロ目前だったからね」

「音楽の話じゃねぇよ……」

「ん?」

「はぁ、まぁいいや」


 自分の口であまり詳しく語るにも癪に障る響輝は、ビールグラスを傾けて口に運ぶ。響輝のその様子に意図が読み取れない大和は肩をすくめた。


 ガシャン


 大和はグラスの倒れた音にはっとなった。倒れたグラスは男のウーロン茶で、それを確認するなり大和はすぐに台拭きを持って走った。


「大丈夫でした?」

「あぁ、はい。すいません」


 濡れないように立ち上がった男はボソッと謝意を口にした。大和がカウンターを拭きながら顔を上げると男と目が合ったのだが、男はすぐに目を逸らした。


 ――どっかで見たことがあるような……しかも最近のことのような……


 大和はデジャブとも取れる印象を男に抱いたが、すぐに意識を戻し、テーブルを拭き終わると新しいウーロン茶を出した。


「あ、えっと」

「これサービスですので、どうぞ」

「どうも」


 戸惑う男に大和は営業スマイルで返すと、男は素直にウーロン茶を手元に引き込んだ。


「大和さん、ドラム――何でもない」


 裏のドアを開けて店に入って来たのは希だが、響輝以外の客がいることを察してドラムの練習がやりたい言葉を呑み込んだ。希にしてみれば合宿をしない方が個人練習の時間は取れるのだが、やはり全体練習と指導のある合宿の方が身になると感じてはいる。


「座るか?」

「あ、はい」


 希の様子を察した響輝に促されて希は響輝の隣に座った。そこへすかさず大和が注文を取る。


「レモネード?」

「レモンスカッシュで」

「了解」


 大和はカウンターの下から材料を手にし、希の注文の品を準備し始めた。響輝は希との会話を続ける。


「洗い物終わったのか?」

「はい」

「唯は?」

「今バックヤードにいます。一人で練習してます」

「なんだ、いるのか」


 意外と近くにいた唯。まぁ、希と一緒に下りて来たのだから物音でわからないのは無理もない。響輝は首を伸ばして閉じられたバックヤードを見るが、閉じられた室内が見えるはずもないし、BGMで音も聞こえてこない。それに唯がヘッドフォンを使って弾いていることは読み取れる。

 古都と美和は予定通り2階の大和の部屋でギターの練習をしている。希だけがこの日の練習を切り上げだ。少し物足りなさを感じる希である。


 そうして響輝と希がカウンター席で過ごしていると次の来客があった。大和はその客の入店に気付くなり挨拶をする。


「木村さん、いらっしゃい」

「おっす。響輝もおっす。のんちゃん、おっす」

「こんばんは」


 迷いなく希の隣に腰を下ろすなりデレっとした表情を見せる建設会社の次期社長。希への挨拶だけは気持ちがこもっていた。木村は合宿をしていることを知っていて、昨日に続く来店だ。その木村に希は素っ気ないながらもきちんと挨拶を返す。


「ビール?」

「おう」


 大和の問い掛けに肯定すると木村はすぐ希に向き直った。


「合宿順調?」

「木村さんが来なければここで私もまだ練習できました」

「……」


 木村のせいではなく、先に入店した無口な男が原因なのだが。そもそも店なのだから客のせいではない。そう言われては木村も一瞬言葉を失うのだが、すぐに気を取り直した。


「俺気にしないから叩いてきなよ?」

「他にもお客さんがいるから無理です」

「……」


 結局その回答である。木村のみならず響輝も唖然だ。大和は希らしいなと薄く笑みを浮かべながら木村の前にビールを差し出す。


「じゃぁ、お詫びに今度ご飯ご馳走するよ」

「だから、補導されますって」


 ガシャン


 この日2回目のグラスが倒れる音に、大和ははっとなった。またしても無口な男の席からである。再び大和は台拭きを持って走る。


「大丈夫ですか?」


 男は大和に見向きもせず、席を立ち上がり、なんと突然木村に詰め寄った。


「お前、昨日も希にちょっかいかけてただろ! 一度ならず二度まで! もう我慢できん」

「なんだよ、お前……」


 木村の肩付近の服を掴んで勢いを増す男。その勢いで椅子から立ち上がった木村は必死で抵抗し振り払おうとする。男のいきなりの行動に大和は驚きつつも止めようと慌ててカウンターの外に出た。


「ちょ、店内で揉め事は――」


 大和の言葉に続き同じく止めようとした響輝が椅子から立ち上がった。希はと言うと、希にしては珍しく驚いた様子で身を引いて目を見開いている。


 ――なんで私の名前を知ってる?


 大和より先に手が届きそうな響輝が割って入ろうとしたその時、抵抗する木村が男の腕を振り払った。すると男の淵眼鏡が飛んだ。合わせてチューリップハットがずれ浅くなった。


「え!? 勝さん!?」

「お兄ちゃん!」

「え? え? 勝さんって、あの勝さん?」


 大和と希の驚きの声に続く響輝の驚きの声は困惑も混じっていて、対バンライブをしていた頃の過去の記憶を引っ張り出す。そしてやっと解放された木村はやや興奮気味に服を整え、男を睨んだ。


 そう、男は希の兄、勝だった。身元の割れた勝は罰が悪そうに目を泳がせている。


 ガチャ


 そこへ裏のドアを開けてカウンターエリアに入ってきたのは古都だ。


「大和さぁん、弦切れちゃったー。予備の弦ってどこに……あぁぁぁ! ストーカー!」


 古都は勝に気付くなり真っ直ぐに指をさしてその綺麗な声を張った。

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