第六楽曲 第六節

 午後の練習が始まる頃には響輝も合流した。午前の練習が自由だったメンバーは4人で全体練習をしていたので、それを聞いた大和は午後を個人練習に当てた。課題曲1曲目はもう全員覚えたようで、2曲目の指導である。


 美和と希はステージで合同練習。唯はバックヤードで大和からの指導。その大和は時々席を外して希と美和の個人指導も併行した。

 そしてバックヤードにいるもう1人のメンバーが古都で、その古都は響輝から指導を受けている。2人ともヘッドフォンを被っている状態だ。


「楽器始めて1週間だよな?」

「はい。今日がちょうど7日目です」

「そっか……」

「なんですか?」


 今一表情が読み取れない響輝に古都は怪訝な顔で聞いた。響輝は少し驚いていた。


「いやさ、1曲目の課題曲この曲サイドギターはパワーコードだけとは言え、ギター歴1週間でよく覚えたな」

「え!? それって褒め言葉じゃないですか!?」


 ダメ出しを覚悟していた古都は良い意味で期待を裏切られ、声を弾ませた。


「調子に乗るなよ。まだ刻みキザミの時、右手のミュートは甘いし、コードチェンジはスライドの音が消せてないし」

「うぅ……、上げて落とすぅ……」

「ははは。まぁ、頑張ってるよ。2曲目の課題曲次の曲やるぞ」

「はい! よろしくっす!」


 ポジティブ思考の古都は響輝の言葉に気を良くし、よりやる気を見せた。離れた席では同じくヘッドフォンを被った唯が一生懸命楽譜スコアと睨めっこをし、ベースを弾き鳴らしている。

 一方、店のホールで椅子に座りステージを眺めている大和。一度演奏が止まるとステージまで上がって意見を言う。


「美和、たぶん今までオーディオから流れる音楽に合わせてずっと演奏してきたでしょ?」

「え?」

「つまりメトロノームやリズムマシンのクリック音だけでは演奏したことないよね?」

「あ、はい。なんでわかるんですか?」

「いやさ、希のバスドラとずれることが稀にあるんだよ。つまり1拍目を聴き逃してるんだ。もっとバスドラを意識した方がいい」


 美和はギター本体をはじめ、父親から受け継いだ機材を使っている。その中にリズムマシンもあるのだが、ずっと独学で、しかも1人で練習をしてきた美和はそれを使っておらず、リズム感に難有りだと大和は見抜いた。とは言っても、美和の演奏は高レベルでそもそもリズム感が悪いわけではない。強いて言うならばの弱点と言った感じだ。

 大和の言葉にハキハキと「わかりました」と答えた美和。大和は続けて、今後はリズムマシンのクリック音だけでも練習をするようにと美和に課題を与えた。


「希は、だいぶ走らなくなってきたのはいいね」

「ありがとう」

「ただ、他のパートが走りそうになる時は引っ張られてる感じがするから、ドラムの希が我慢して他のパートを抑えてあげて」

「わかった」


 無表情ながらも素直に頷く希。希の演奏歴は2週間ほどだ。今のレベルから元来の和太鼓の経験を考慮しても、希は家でストイックに練習をしていることが大和にはわかった。演奏を見ただけで一目瞭然でもあるのだが、昨晩店のカウンター席でグラスを受け取った時に、希の小さな手のひらに少しばかり肉刺があったのを大和は捉えていたのだ。


 合宿は実に順調である。3人が軽音楽初心者とは言え、大和も響輝も手応えを感じていた。経験者の美和も含めて着実に4人の技術は伸びている。


「よし、今日はここまでにするか」

「そうだな」

「えぇ……」


 時は過ぎ、バックヤードにいた大和の声に響輝が同調すると古都が不満げな声を上げた。この日は昨日よりも早めの切り上げだ。オーバートレーニングによる腱鞘炎などの防止の意味がある。と言ってももう少しすると日は暮れ始める時刻だ。


「大和さん、今日の夜も大和さんの部屋で練習してていい?」

「まぁ、夕飯後なら今から時間空けられるし問題ないでしょ」

「やった。美和にも言っとく」


 数時間の時間を空けられるので手休めになる。大和はその考えから古都に答えた。古都は早速ステージで練習をしている美和と希にこの日の練習終了を伝えに行った。それを見送る大和にモジモジした様子の唯。


「大和さん、あの、ありがとうございました」

「いえいえ。順調だからその調子で頑張って」

「は、はい!」


 大和の労いに唯は声を弾ませた。


 この後店を出て夕飯の材料の買い出しに出たのは古都と美和なのだが、この日の練習が早く終わったことはその買い物の時間が取れ、好都合であった。もちろん、練習切り上げの際、不満を垂れた古都がその時に気付いていたことではないのだが。ただ、古都をはじめ、メンバーのひたむきな姿勢には大和のみならず響輝までもが感心していた。


 ゴッドロックカフェを出てスーパーへ徒歩で向かう道中のこと。美和は後ろが気になっていた。しかし古都はそれを気にしている様子はなく美和に話し掛ける。美和も気のせいかと思い、古都の話に付き合いながら歩を進め、やがてスーパーに到着した。


「今日のおかずは何?」

「肉じゃが」

「いえーい! 大好物」


 スーパーに到着するなり、商品の陳列棚を慣れた様子で窺う美和の返答に、カートを押す古都が喜びを表現する。じっくり商品を見てカートに材料を放り込む美和は主婦そのもので、この様子だけで家事力の高さを窺わせる。


「美和、持つよ」

「ありがとう」


 合宿中の財布を任されている美和が会計を終え、商品をエコバッグに詰めると、古都が荷物持ちを買って出た。その様子を伺う人影。その人影は古都と美和に合わせてスーパーを出た。それを気にすることなく、また気づくこともなく帰路に就く古都と美和。


「古都?」

「ん?」

「今日はちゃんとのんに寝室譲ってあげなよ?」

「むむ、じゃぁ、唯とじゃんけんする」

「私がのんとペアになって寝室行くよ」

「なんでよ? 美和は大和さん狙いじゃないでしょ?」

「そ、そうだけど……。単純に公平性の問題よ」

「な、そんなこと言って。のんと一緒に大和さんのベッドに潜る気じゃ?」


 自分のことを棚に上げてよく言う。とは言え、確かに最初にそれをしでかしたのは希なのだが。

 ゴッドロックカフェから徒歩十分ほどの道のり。それはその約半分程に差し掛かった場所でそんな話をしながらの出来事だった。


「ねぇ、ねぇ、君たち」


 古都と美和は背後からの男の声に足を止め振り返った。そこにはGパンにパーカー姿で、チューリップハットを深く被った淵眼鏡の男が立っていた。帽子や淵眼鏡で素顔があまり認識できないが、古都も美和も男を二十代くらいかと予想した。


「ナンパですか?」

「な!? ちがう!」


 間髪入れない古都の返しに慌てて答える男。声色が心外だと言わんばかりだ。


「ちょっと聞きたいことがあって」

「なんですか?」


 怪しさを顔全面に出す古都に、若干人見知りをして一歩下がる美和。


「君たちGWで合宿か何か?」

「行こ? 美和」


 美和を促して踵を返した古都は男がストーカーだと思った。合宿を把握されている。やたらモテる古都はこういうことに敏感で、メンバーのうち誰かがこの男のストーキングの対象だと思った。


「ちょっと待って! 高校生風の女の子がこの時期に2人でスーパーに買い物に来てたら普通そう思うよ!」


 慌てて言い繕う男だが果たしてそうだろうか? それが本当に普通だろうか? 怪しさは拭えないが、古都と美和は再び男に振り返った。今回は先ほどより少し距離を取っている。


「宿泊部屋は男女混成なの?」

「行こ? 美和」


 この質問でさすがに古都は呆れて、今度はエコバッグを持つ手とは反対の手で美和の手を引いて歩き出した。それを「ね、待ってよ」と追いかける様子はなくも呼び止めようとする男に、古都は歩を止めず振り返った。


「部屋が男女混成なわけないじゃん、ばーか」


 古都は暴言を吐くと、美和の手を引いたまま駆け出した。時々後ろを振り返るが男は立ち尽くしていて追いかけてくる様子はないので、安堵する。

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