第六楽曲 第五節

 合宿一日目の夜は更け、そろそろ就寝しようかとしている女子4人であるが、……揉めている。


「どっちかリビングで寝なよ!」

「そう言う古都がリビングに行けば?」

「のん、言い方が冷たい! じゃぁ、唯は?」

「やっぱり私が出ないとダメか……」

「唯、遠慮することない。古都を追い出せばいい」

「ちょ、のん! なんて言い方!」


 大和の自宅は1LDK。寝室には広めのベッドがあり、脇に敷ける布団は2組が限度だ。あとの2人分はリビングのソファーをずらしてそこに敷くことになる。つまりは大和の寝室で寝たい古都、唯、希の寝床の取り合いである。


「もう、喧嘩しないの。じゃんけんにしな? 負けた方が明日優先ね」


 この場を納めようとするのは美和である。さすが姉御肌でバンドリーダー向きだが、まだこのバンドにリーダーは決まっていない。そもそも結成間もないし、美和は一番の後入りである。


「よし、わかった。じゃんけんぽん!」

「む……」

「勝ったー。じゃぁ、のんがリビングね」


 こうして寝室とリビングに別れる2組が決まった。……のだが。


「ちょ、のん! なんて羨ましいとこで寝てるの!」

「なによ? 別にここの取り合いはしてないでしょ? じゃんけんはあくまでどこに布団を敷くかだと思ってたけど?」

「のんちゃん、それは羨ま……ちょっとはしたないよ?」


 部屋中の照明を落とし、就寝前の会話が途切れた頃、希はリビングから移動し、寝室の大和のベッドに潜り込んでいた。それを寝室に敷いた布団で横になっていた古都と唯から咎められているわけである。


「のんはこっち」

「む……。寝返ったか、美和」

「違うよ。うるさくて寝られないの」


 希は結局美和に腕を引かれてリビングに戻ったわけだが、この後寝室に敷かれた2組の布団からは誰もいなくなった。


「最初からこうしてれば良かったね」

「ちょっとドキドキするよ……」


 ジャーン!


 ステージ裏の控室に布団を敷いて寝ていた大和は、いきなりのクラッシュシンバルの音に心臓を跳ねさせた。


 ドッ・タンッ・ドッドッ・タン♪


 床を伝ってくるバスドラムの低音と、鼓膜に響くスネアドラムの乾いた音。大和はまだ重い瞼をなんとか開け、スマートフォンを手繰り寄せた。表示された時刻はまだ朝の8時。普段昼過ぎに起きる大和にとっては早すぎる時間の起床である。

 働かない頭をなんとか稼働させ、大和は一つ溜息を吐くと合宿2日目が始まった。すぐにベースと2パートのギターの音が加わり、それを発信するステージと空間を一つにしたカウンターの内側で大和は顔を洗った。


「早いな」

「あ! 大和さん!」


 ホールに顔を出した大和に古都が声を弾ませたのだが、まだ練習を開始している様子はない。ただセッティングの一環で音を出していただけのメンバー4人は大和の姿を捉え、それに合わせて音を止めた。


「大和さんのベッドふかふか」

「は!?」


 ギターをスタンドに立て、ステージを下りて来た古都の第一声に驚く大和。まったく予想外の発言である。


「僕のベッドで寝たの?」

「えへへ。ね? 唯?」


 振り向いて唯に同意を求める古都。当の唯は俯いてモジモジしている。顔は真っ赤である。


 ガタン


 それに対して勢い良く立ち上がったのは、その事実をこの時初めて知った希だ。その勢いのあまりドラムセットの椅子が後方に倒れた。希は睨むようでいて羨む視線を近くの唯に向ける。視線を向けられたその唯は視線を泳がせる。


「えっと……2人して僕のベッドで寝たの?」

「まぁ、そんな感じかな」

「……」


 呆れて頭を抱える大和にあっけらかんと答える古都。相変わらず唯の視線は泳いでいて、希の鋭い視線は大和に向いた。

 口数の少ない希だが、メンバーには大分慣れてきた。それでも異性の大和にはまだ調子が上がらない。そんな希に睨まれている大和は気圧されつつも、古都と唯の行動に呆れる他ない。尤も、希の内心は怒りではなく、羨んでいるのだが。

 とりあえずこの日は合宿中日。大和はとにかく指示を出さなくてはいけない。


「僕、部屋で寝てくるから、午前中は個人でも全体でも自由に練習進めて」

「はいさ!」


 敬礼のポーズを取って大和に答える古都。この後踵を返した大和の背中に「私達の残り香をご堪能あれ」と続けるので、大和はホールとカウンターエリアの段差で躓いてしまった。


「あ、大和さん」

「ん?」


 追いかけて来て名前を呼ぶのは美和で、大和はその声に振り返えった。ちょうどカウンターエリアを抜けようと裏へのドアに手を掛けているところだった。


「朝御飯作ってあるんで、レンチンして好きな時間に食べて下さい」

「そっか。ありがとう」


 柔らかい笑みで礼を言う大和。更にその穏やかな態度のまま「美和のご飯は美味しいから楽しみだ」と付け加えるので、美和がほんの少しだけ上気した。まだルーのカレー一食しか食べていないのに、こういう一言をさりげなく言えるのが大和である。


 この後部屋に入った大和。寝室には4組の布団が綺麗に畳まれていて感心した。荷物は普段より多いものの散らかっている様子はない。それに安堵もする。

 食卓にはラップが被せられた朝食が並べられている。焼き魚にきんぴらごぼうがおかずのようだ。茶碗とお椀が逆さに置かれていて、コンロに目を向けると鍋が据えられている。その中は味噌汁だった。どれもまだ温かいようだ。

 こんなまともな朝食を久しく見ていなかった大和は心を弾ませ、寝る前に食べてしまおうと茶碗に炊飯器からご飯を盛った。


「うまっ」


 最後に食べ物を口にしたのが昨晩の営業中のスナック菓子だけなので、今まで寝ていたとは言え一度口にすれば箸は進む。大和はご飯のお代わりまでして朝食を平らげた。


 そして大和は寝室に入ってベッドに転がり込んだのだが……眠れない。


「はぁ、どっちの……って、両方か……」


 枕にいつもと違う髪の匂いを感じる。寝返りを打って一度室内側を向けば畳まれた4人分の布団。さっきまでこのベッドで古都と唯が寝ていたのかとかと思うと落ち着かない。


「布団4人分もいらなかったじゃん……」


 ぼやきながら寝返りを打っては眉間に皺が寄る大和。それを幾度となく繰り返していた。


 そしてやっと夢の入り口へ到達した頃。キッチンからの物音で現実の世界に舞い戻ってきた。


「はぁ……。寝られなかった……」


 大和は渋々体を起こすと壁に掛かった時計を見た。時刻は正午。そのままベッドを出てリビングに繋がるドアを開けた。するとキッチンにはエプロンを背中で留めたショートカットの女子が立っていた。美和である。


「あ、お疲れ様です」

「お疲れさん」


 振り返るなり挨拶を送る美和に大和も挨拶を返す。美和は手馴れた様子で昼食の準備をしていた。大和は作業を進める美和の横に並んで手元を見た。


「一人なの?」

「はい」

「料理当番とか決めてないの?」

「あぁ、私好きでやってるんで」

「そっか。それならいいけど」


 他のメンバーはまだ店に残っていて個人練習をしているのだが、美和が料理を買って出ていた。他のメンバーの練習時間こそ割きたくないという経験者である美和なりの配慮だ。尤も、嫌味になるのでそれをはっきりと口にしないのが気遣いのできる美和である。


「朝御飯、全部食べてくれたんですね」

「うん。凄く美味しかった」


 大和にとっては当たり前の一言だが、それにいちいち上気するのが美和である。いつも近くにいた幼馴染からは一緒にいすぎてあまり褒められたことがない。学友は距離を感じるので褒められてもお世辞にしか聞こえない。精神年齢が高くもある美和にとっては7歳年上の大和の持つ空気が心地良い。


「メニュー何?」

「オムライスです」


 その瞬間大和の顔が綻ぶ。久しく食べていないメニューである。その大和の様子を見て美和が言った。


「あれ? 当たりでした?」

「うん」

「大和さん好みになるといいですけど」


 声を弾ませる大和に、微笑む美和。大和はこの店を引き継ぐと同時に実家を出た。普段から炊事をしないので、専ら外食か弁当や惣菜を買って食べている。だからなかなか手料理というものを口にしていないのだ。

 キッチンから上がる匂いを感じながら、料理慣れした美和の手元を見ているのも楽しいが、大和は顔を洗おうと思い洗面所に向かった。

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