第六楽曲 第四節

 合宿初日の夕食のメニューは定番のカレー。材料費は大和とメンバー4人で割っているのだが、これだけしかメンバーは金銭を支払っていないので、なんとも格安な合宿である。そしてその夕食の席に一緒にいるのが、特別講師の響輝で、響輝は講師協力の報酬としてご馳走に預かっているわけだ。

 4人掛けのダイニングテーブルをメンバー4人が、リビングテーブルを大和と響輝が使い夕食を取っていた。


「古都、どうだった?」

「意外と良い筋してるぞ」

「マジ? 僕、ギター歴1日目と2日目しか見てないから」


 大和のいるリビングテーブルにすぐ脇から女子高生の賑やかな話し声が聞こえてくる。と言っても、基本的にうるさいのは古都で、唯がいじられ、美和が相槌を打ち、希は黙々と食事を進めているといった様相だ。大和と響輝の会話はメンバーの耳には届いていない。


「始めてまだ1週間経たないだろ?」

「うん。まだ」

「それにしてはよくできてるよ。まぁ、教える人間がいることも大きいが」

「自分で言うか」

「いやさ、俺だけじゃなくて美和もだよ」

「あぁ、なるほどね。じゃぁ、見込み十分なわけだ」


 美和のことはもちろん、古都を褒めている会話であるが、とにかく何より褒められたい古都は残念にも自分の会話に夢中で、響輝の評価の言葉に気づいていない。


「十分だね。山田さんにギターをもらってからは家でずっと弾いてるみたいだし」

「へー、それは感心だ」

「唯はどうよ?」

「ちょっと驚いてる」

「素質ありってことか?」

「うん」


 次は大和から唯を褒めた言葉であるが、残念ながら唯も同卓の古都の声量でこの評価が耳に届いていない。


「今日は唯に付きっ切りだったから、明日は希も見てみたいな」

「おう、見てやれよ。せっかくの合宿なんだから希も大和に見て欲しいだろ」

「だといいけど」

「まぁ、大和ならドラムもある程度できるし、直接指導もいけるんじゃね?」

「必要あればそうする」


 希にとっては願ってもない話であるのだが、彼女はそもそも他人の会話に興味を示さない。相変わらず黙々と食事を進めていて大和の言葉は届いていない。


 この後時間は過ぎ、営業時間になると大和は店のカウンターの中にいた。カウンター席では響輝が酒を飲んでいる。

 やがて裏口から入店して来たのは唯と希だ。


「あれ? 2人だけ?」

「はい。古都ちゃんは部屋でギターの練習をするって言って。それに美和ちゃんが付き合ってます」


 大和の質問に唯が答えると大和は「へー、感心」と頷いた。自前のギターを握ってから古都の楽器に対する姿勢は前向きのようだ。すると希がボソッと口を挟んだ。


「大和さん、ドラム叩きたい」

「ストイックだな。感心、感心。次のお客さん来るまでならいいよ」

「ありがとう」

「何らなら唯も希と一緒にどうぞ」

「いいんですか? ありがとうございます」

「うん。腱鞘炎だけ気をつけてな」


 大和の言葉に「はい」と笑顔で答えた唯はベースを取りに一度部屋へ戻り、希は既に持っていたスティックを手に、店のステージに上がった。


 やがて聞こえてくる希のドラムビート。響輝がそれに興味を示し、カクテル瓶を手にホールの円卓に移動した。そしてそのまま飲みながら希の演奏を見ていた。


「しっかりアクセントわかってんだな」

「そうですか?」


 一度手が止まった希に響輝はすかさず声を掛けたのだが、希は表情を変えずに答えた。韻を踏むとも表現できるのだろうか、希のドラムは強弱の差がはっきりしていて、またそれが適格だった。


「本当にドラム未経験なのか?」

「はい。でも小学生の時に和太鼓の経験はあります」

「あぁ、それでか。納得」


 その会話は、ステージでの練習のために一時的にBGMを切った大和の耳にも届いていた。大和も希のドラムに響輝と同じ所見を持っていたので、希が和太鼓の経験者であることを初めて知って納得したのだ。

 響輝と希がそうこう話しているとベースを手にした唯が合流した。唯は相変わらずおろおろしながらセッティングをしようとしているので、見かねた響輝が手伝った。


「のんちゃん、練習どう進めようか?」

「とりあえず課題曲をやろう」

「わかった」


 そう意見を合わせて2人は合同練習を始めたわけだが、その演奏はすぐに止まった。


「ドラムとベースだけじゃ曲の進行がわからなくなる」

「本当だね。せめて歌かギターがあればいいけど……私、弾きながら歌うのはまだ自信がないな」


 リズム隊の2人である唯と希は伴奏やメロディーがなくて困ったのだ。個人練習や指導を受ける時はフレーズ毎に演奏をしたり、楽曲を流してそれに合わせて演奏をするから問題ない。しかし今はベースとドラムの2パートのみでの演奏である。


「俺がギター弾いてやろうか?」


 そこに口を挟んだのは響輝である。響輝は古都の指導で既に課題曲を覚えてしまっていた。元々知っている曲でもあったので、ギターパートの取り込みは早かったのだ。インディーズとは言え、そこはさすが元プロのバンドマンである。


「いいんですか?」

「それ決定で」


 唯のお伺いに対して、響輝が答える前に決定事項にした希。響輝は「いいぜ」と喉まで出掛かった言葉を飲み込んで、苦笑いながらもバックヤードに置いてある自分のギターを取りに行った。


 やがてステージで始まったのは唯と希の合同練習に加えて、それに付き合う響輝の演奏だが、それなりに3人の演奏が整っていて、大和の耳にはセッションをしているようにも聴こえた。それで興味を示した大和はカウンターを出てホールまで移動したのだ。

 ボーカル不在につきマイクも入れておらず、3パートの演奏であったが、唯と希はリズム隊として元プロの響輝の演奏をそれなりに支えていて、演奏が終わってすぐ、大和は素直に感心の弁を口にしようとした。


 カランカラン


 開きかけた口をそのままに大和は入り口を向いた。合宿関係者以外でこの日最初の来客である。


「いらっしゃい」


 大和はそう言うと響輝に目配せをしてカウンターに向かった。響輝は大和の意図を理解して、唯と希にステージを片付けて下りるように指示した。


「いらっしゃい。空いてるお席にどうぞ。初来店ですか?」


 大和は入店してきた男に改めて挨拶をすると、質問を投げた。男はGパンに黒いパーカー姿で、チューリップハットを目深に被っている。さらに淵眼鏡を掛けているので、大和には今一表情が認識できない。男は大和の問いに首肯と合わせて「はい」と小さく返事をした。


 カウンターの中に入った大和だが、大人しい客なのかと思い、更に男が一向に座る様子がないので、真ん中辺りの席にコースターと灰皿を置いて「ここどうぞ」と言った。その後すぐに大和はBGMオーディオの電源を入れ、本来あるべき店の音楽を流したのだ。

 尤も、生演奏もあり得る店の形態ではあるが、先ほどまでは楽器初心者の加わったステージであり、あくまで練習の一環だ。ステージとして客に見せるものではない。


 そのタイミングで、響輝がカウンターに戻ってきて元いた入り口から一番遠い席に着いた。響輝はステージのギタースタンドにギターを立ててアンプの電源を落としただけだったので、思いの外早くステージを下りてきたのだ。

 男は響輝に対して顔を背けるようにしながら、大和に示された席に着いた。そして唯と希もカウンターまで来ると、響輝、唯、希の並びで席に着いた。


「何飲みます?」

「えっと……やっぱり端っこの席に移動しても?」


 男は大和の質問には答えず、席の移動を申し出た。大和に対しても一向に顔を上げないので、大和は変な客だなとは思ったが、男が入り口に一番近い席を向いているので、営業スマイルで「どうぞ」と答えた。

 反対側の端の席では響輝と唯と希が今しがたの演奏の反省会をしている。来客があったため、一度しか演奏はできなかったが、響輝が唯と希に色々とアドバイスをしているのだ。

 改めて席に着いた男はウーロン茶を注文した。

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