第三楽曲 第三節

 火曜日に古都から絡まれるようになって一週間。最初の月曜日がやってきた。希は定番になりつつある朝の喧騒を乗り越え、昼休みを迎えていた。


「のんはいつもグレープフルーツジュースだけど、柑橘系が好きなの?」

「そうよ」


 これまた定番になりつつある古都とのランチタイムだ。いつの間にか古都から「のん」と呼び捨てで呼ばれるようになっているのだが、希はもういちいち気にしない。


「もしかしてレモネードとか好き?」

「そうね」


 希が短く言葉を返すのもいつもの光景である。そして一切気にすることなく話し掛けるのが古都である。


「レモネードの美味しいお店を知ってるんだけど?」

「本当?」


 あまり感情の籠っていない表情と声色だが、希は興味を示していた。


「今日の放課後、どう?」

「わかった。付き合う」

「やったー」


 全身で喜びを表現する古都。一週間粘って初めて希が放課後に付き合ってくれるのだ。




 その日の残りの授業を終えた古都はルンルン気分で希の教室に行った。希はちょうど教材を鞄に詰めているところだ。希は古都に気付くと鬱陶しそうに言った。


「ちょっと、何よ?」

「え? 一緒に帰ろうと思って」

「私はバス通学よ?」

「じゃぁ、バス停まで」

「なんでよ?」

「今日、一緒にお店行くでしょ?」


 古都は満面の笑みで肩に通学鞄を掛けているが、希は仏頂面で鞄を机に置いたまま。希のクラスの生徒からしたら、この二人の光景はこの1週間でもう慣れたものである。


「それって家で夕食済ませて19時に備糸駅で待ち合わせでしょ?」

「そうだよ」

「じゃぁ、別に今一緒に帰る必要までない」

「そんなこと言わないで……あっ、待ってよ」


 希が無造作に鞄を持ち上げて教室を出たので、古都は慌てて希を追いかけた。


「ちょっと、なんで付いて来るのよ?」

「いいじゃん。――それでそこのお店のレモネードがね……」


 希の拒否も空しく古都は希に付いて歩き、終いにはバスにまで乗り込み、果ては希の家に着いてしまった。


「あら? 希ちゃん、お友達?」


 家の前で出くわしたのは希の母、玲子だ。希が学友と一緒にいるのを見ての驚きだった。


「違――」

「はい! 備糸高校1年の雲雀古都です! よろしくお願いします。のんちゃんママですか?」


 いつもの如く人の言葉を遮って胸を張って答える古都。その様子に玲子は微笑んだ。


「そうよ。うふふ、元気な子ね。ささ、上がって」

「いいんですか? お邪魔します」

「え、ちょっと。玲子さん……」


 希の言葉はまたも空しく宙を舞うだけで、古都は玲子の案内で家の中へと通された。希は一つ溜息を吐いて自身も家の中に入って行った。しかしこれが雲雀古都だ。


「すぐにお茶を用意するわね」


 そう言い残した玲子を尻目に古都は2階の希の部屋に通された。希が母親を「玲子さん」と呼んでいたことに引っ掛かりを覚えるものの、古都は希の部屋の本棚に万遍なく詰められた漫画に興味を示していた。


「凄いね、この漫画の数……」

「好きに読んでいいわよ」

「本当?」


 パッと明るい表情になった古都は鞄を床に置くと早速本棚を物色し始めた。そして興味を魅かれた漫画を数冊取り出して読み始めたのだ。

 だが希にとってこれは優しさではなく、古都に漫画を読ませておけば大人しくなるのではないかという打算だった。そしてそれは正解である。それを確認して希も漫画を読み始めた。


 程なくして玲子がトレーにジュースとお菓子を乗せて希の部屋にやってきた。希は気にすることなく漫画を読んでいるが、古都は一度漫画から目を離した。


「ありがとうございます。今日夜の時間帯、のんちゃんお借りしますね」

「あら。帰りは何時くらいかしら?」

「備糸駅の近くを22時までには出るので……」

「それなら、そこから30分もかからないわね。晩御飯は?」

「済ませてから行きます」

「じゃぁ、古都ちゃんもうちで食べて行く?」

「いいんですか?」


 ギロッ


 2人のやり取りに希の目が漫画から外れた。視線は古都と玲子を交互に見据えている。希からしたら話が違う。


 ――なぜこの御転婆は私の家でご飯まで。


「えぇ。主人も上の子も仕事で遅くなるから、3人で食べちゃいましょ?」

「やったー」


 希の心の中での反論も虚しく、古都が晩御飯まで居座ることが決定した。古都は早速自身のスマートフォンを取り出し、家に連絡を入れていた。




 自宅で晩御飯を済ませた希は古都と並んで備糸駅までやって来た。一人だけ私服に着替えた希は不機嫌である。いや、呆れてしまって何も言えないと言ったところか。レモネード1杯に釣られて古都が自宅にまで来るとは。


「ここだよ」


 駅から歩くこと数分。到着するなりこの1週間店に通い詰めた古都は慣れた様子で入り口ドアに手を掛ける。


 カランカラン


 店内のBGMは大和にドア鈴が聞こえる程度のボリュームに設定されている。尤も、客の話声で聞こえない時は多々あるのだが。今はまだ誰も客がいない時間帯で、人の声に邪魔をされることなくドア鈴の音を耳にした大和は入り口を向いた。


「いらっしゃぃ……」


 古都の顔を確認した瞬間、すぐに声を発した大和だが、それは尻すぼみに消えた。原因は古都が中学生を連れて来たからだ。


「さすがに中学生はマズいだろ……」


 慣れた様子で一番奥の席に座る古都へ咎めるように言った。祖父が経営していた頃は渋い雰囲気だったロックカフェ。しかし今ここに制服姿の女子高生と、淡い色のワンピースを着た女子中学生がいる。彼女はセミロングの黒髪に小さな顔をしている。


「高校生です」


 古都がクスクス笑って何も説明しないものだから、希は痺れを切らして自分で大和に言った。それを聞いて大和はバツが悪そうな顔を向ける。


「そっか、それは失礼……」

「レモネード2つ下さい」

「はいよ」


 古都の注文に大和は返事をしてレモネードを作り始めた。そして大和は手を止めずに希に問い掛けた。


「こういう店初めて?」

「はい」

「どう? 雰囲気は?」

「うるさい感じはしますけど、嫌いってほどでは。これが軽音楽ですか?」


 希の意見と質問の意図はBGMとして流れているロックにある。大和は希のその少ない言葉から意図を理解し、できた2人分のレモネードをカウンターに置いて肯定した。

 希は興味を示したように、店内を見回している。古都から絡まれたことももちろんだが、実は兄の勝に軽音楽の経験があることを知って少しだけ興味を抱いていたのである。そして古都がこの店に自分を連れて来たがった理由が読めてきた。明らかにバンド勧誘の延長である。


「のん。飲んで。美味しいよ?」

「あ、うん」


 古都に勧められて希はレモネードに口を付けた。希の喉をレモネードが通過した瞬間、希の小さな瞳が見開いた。


「美味しい」


 小さな声ではあったが、希は確かにそう言った。それを耳にした大和と古都はお互いに目を合わせて満足そうな笑みを浮かべる。

 これに機嫌を良くしたのか、希はぽつりぽつりと大和に質問を投げかけ、音楽や大和が以前活動していたクラウディソニックの話を聞いたのだが、この様子を古都は過剰に口を挟まず微笑ましく見ていた。せっかく興味を示した希を見守りたかったのだ。さすがにこのくらいの気遣いは持ち合わせているようだ。


 カランカラン


 入店してきたのは食品加工工場で働く藤田という中年男。彼もまた、先週の古都の出現から足しげく店に通っていた常連客だ。


「いらっしゃい。藤田さん、今日は早いじゃん」

「あぁ。毎日こき使われるから、今日はバイトに仕事振ってさっさと上がってきた」


 ニヤニヤしながらそう言って古都に目を向ける藤田。もちろん中学生の風貌をした女子も目に入るわけで……。


「この店、客の平均年齢がガクッと下がったな。俺は嬉しいけど」


 まずは希が高校生であることなど大和が説明をし、ドラム候補であることなどを古都が説明した。そんな話をしていると続々と集まってくる常連客達。古都と希は席を離され、おっさん達に囲まれるわけだが、希が鬱陶しそうにしたことは言うまでもない。




 そして希がこの日一番驚いたことが起きた。慣れない賑やかな店にぐったりして帰って来た時だ。


「希、希」


 希の帰りを心待ちにしていた勝が、満面の笑みで希を呼ぶ。連れた先は2階にある空部屋だ。希は早く風呂に入ってもう寝たかったのだが、渋々と言った感じで勝に付き合った。


「何よ?」

「これ見て」


 勝が廊下から空部屋のドアを開けた途端、希は口をあんぐりと開け、固まった。なんとそこには自宅練習用の電子ドラムが据えられていた。経験のない希でもさすがにそれが何なのかすぐにわかったのだ。


 ――私のお兄ちゃんは、大事な給料でとうとうこんなものまで買った。


「これで心置きなく練習しな」


 ご機嫌で言う勝。古都の強引さとは違う。奉仕精神から来るお節介。いや、ただの貢ぎ。希は古都と勝の行動にとうとう抵抗を諦めスティックを握った。

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