第四楽曲 ベーシスト

木虎唯のプロローグ

 私の家は恐らく標準的な家庭だと思う。言い換えれば庶民と表現できるのだろうか。学校はずっと公立に通ってきて、私立と頭に付く学校には縁がなかった。自宅は一戸建てだが、質素でもなく豪華でもない。良くも悪くも目立たない風貌の家だ。


 しかし私のお母さんは見栄っ張りだ。ブランド物に身を包み化粧は派手で歴代の乗用車は外車か国産高級車である。更には私とお姉ちゃんに玉の輿を狙えと言って、数々の習い事をさせてきた。

 正直、お母さんが見栄を張るところの基準は掴めない。もちろんそれを不満に思うこともあったが、口答えをするとお母さんが癇癪を起すので私達姉妹はずっと従ってきた。だから私もお姉ちゃんも自分の意思というものを内に秘めるような性格になった。


 私は小学校入学から習字、華道、茶道など幾多の習い事に通って来た。そのほとんどがやらされているという感じではあったが、唯一、少年少女クラシック楽団だけは好きで通っていた。そこで私はコントラバスを担当していて、家では昼間しかなかなか練習ができないものの楽器を触ることが好きだった。


 そんな「やらされている」が当たり前になっていた中学に入学すぐの頃。反抗する気力もなくお母さんの言いなりだった私に衝撃的な出会いがあった。いや、一方的に見ただけなので、目撃と言うべきか。それは通っていた華道教室でのことだった。


「まぁ、雲雀さん。感性豊かですね」


 私にも言ってもらえることのある先生のその褒め言葉。しかし、その時の声色は明らかに侮辱の念を込めており、おかしいなと思ってその方向を見た。


「お褒め頂き光栄です」


 先生に声を掛けられた女の子は口元をヒクヒクさせながら引き攣った笑顔で答えていた。肩先まで伸ばした髪はとても綺麗で、すっと耳に馴染む綺麗な声。今は引き攣っているものの、真剣な表情や普段の笑顔はとても可愛い。

 彼女、雲雀ひばりさんは確か隣の中学に通う私の同い年。先生がどういう判断でその評価を下したのかはわからないが、彼女の生け花は斬新で、自由を感じさせるものだった。私には到底できないもので、何故か羨ましいと思った。


 その次の華道教室の日。雲雀さんはやってくれた。


「ひえぇぇぇ! ひ、雲雀さん! どうしたんですか!?」

「え? 素敵じゃありません?」


 青ざめた先生にケロッとした様子で答える雲雀さん。それどころかしてやったりの笑みを浮かべている。彼女の作品はなんと! 剣山の上に花だけが乗せられたものだった。つまり茎がなく、花が立てられていないのだ。これを『生けた』と言うのだろうか、些か疑問である。


「こんなの華道とは言いません!」


 やっぱりか。さすがにそれは私でもわかった。


「何を怒ってるんですか?」


 声を荒らげる先生に対して完全に開き直った様子の雲雀さんだが、皮肉にもその自由な発想と態度は私の抱く羨ましさが憧れに変わりつつあった。しかし、この日を最後に雲雀さんは華道教室に来ることはなかった。


 そして私は中学を卒業することになった。その際に初めてお母さんに意見を言った。私の心からの意見だ。ずっと憧れが残っている雲雀さんが心のどこかにいたがための決断だ。


「習い事を全部辞めたい」

「は!? 何言ってるの?」


 案の定の反応であった。お母さんは驚いたように、そして少し声を荒らげた。しかし私の意思は固かった。私の内面に変化を与えてくれた雲雀さん。彼女との出会いから約3年。私は思いの丈を母さんにぶつけた。


「進学先の備糸高校の吹奏楽部にはコントラバスのパートがある。音楽だけは部活で続ける。だから習い事を全部辞めさせて」

「バカなこと言わないで」


 お母さんは私の意見を一蹴した。やはりお母さんに反抗することは無駄なことなのだろうか。たったこれだけの会話で無駄な時間だと感じ、心が折れそうだった。

 しかし、救いの手を差し伸べたのは4歳年上のお姉ちゃんだった。そのお姉ちゃんが自己犠牲を伴って私の味方になってくれたのだ。


「私は習い事辞めないよ? 将来はお母さんが求めるステータスの人と結婚する。けど唯は自由にさせて。せっかく自分でやりたいことを見つけようとしているんだから。私にはできないことで羨ましい。だから私は唯を支持する」


 この後お母さんは押し黙り、更にしばらくして「好きにしなさい」と言葉をくれた。これには姉妹揃って感激した。ただ「部活で音楽を続けること」と条件を突きつけられたが、これは好きなことなので然して問題ではない。

 志望校選択のために進学先の学校見学をしたことは幸いだった。備糸高校の吹奏楽部に、吹奏楽ながら弦楽器のコントラバスのパートがあることを把握していたから。


 そして私は備糸高校に進学したわけだが、入学早々両側のクラスが騒がしかった。私のクラスは1年3組で、両側とは2組と4組だ。


「ねぇ、のんちゃん待ってよ」

「待つ理由がない」


 いつも朝と下校前の時間に1人の女子生徒が1人の女子生徒を追いかけているのだ。追う女子生徒は無垢な声色でその声がなんとなく懐かしく、追われる女子生徒は、それはもう鬱陶しそうだった。昼休みには、追う女子生徒が追われる女子生徒の教室にお弁当らしき手提げを持って入って行くのも見た。

 私はあまり関わりたくないと思ったのだが、どうしても野次馬根性が拭えず、一度教室の中から廊下を歩く追う女子生徒を確認したのだ。


「え? あの子……」


 ずっとシルエットに近い風貌は確認していた。しかしこの日の昼休み、初めて追う女子生徒の顔を認識したのだ。

 綺麗なミディアムヘアーにつぶらな瞳。美少女と言う言葉がこれほど似合う女の子は他にいるだろうか。そして私の記憶の中で蘇るあの綺麗に通る声。


「唯ちゃん? どうしたの?」


 入学して同じクラスになって初めてできた友達の篠谷江里菜しのたに・えりなちゃんが怪訝な表情で問い掛ける。私は「ううん」と言って平静を装った。しかし動揺が止まらない。

 その追う女子生徒の顔を私が忘れるわけがない。私が初めて憧れた同年代の女の子。雲雀古都ことさんだ。まさか同じ高校に入学していたなんて。


 その頃私は吹奏楽部に仮入部をしていて部活に参加し始めていた。そこで仲良くなったのは2組の岡端華乃おかばた・はなのちゃんだ。

 華乃ちゃんは中学の時から吹奏楽をやっていたそうで、高校も吹奏楽部に入部するつもりで入学していた。


「へぇ、コントラバスなんだ」

「うん。中3まで楽団でやってたから」

「ふーん」


 華乃ちゃんは瞳を上に向け、意味ありげな言い方をしたのだが、この時私はその意味が分かっていなかった。一瞬その言い方に引っ掛かりを感じたのだが、それは私の意識からすぐに消えていった。


 そして日が経ち、そろそろ本入部のため、入部届けを提出しなくてはいけない入学2週間の頃。


「唯ちゃん」


 放課後、吹奏楽部が練習をする音楽室に向かう私に声を掛けてきたのは華乃ちゃんだった。華乃ちゃんは3人で行動していて、隣になんと、雲雀さんがいる。これには驚いた。彼女が持つ女子力と自由にずっと憧れていたのだから。

 私から話し掛けたいとももちろん思っていたのだが、引っ込み思案の私にそんなことができるはずもなく、入学後の2週間を過ごしてきた。その雲雀さんのグループから今私は話し掛けられている。


 そう言えば思い出した。華乃ちゃんと雲雀さんは同じ中学の出身で、しかも今はどちらも2組の生徒だ。なぜ今まで気づかなかったのだろう。華乃ちゃんなら雲雀さんと繋がっている可能性が高いではないか。


 更には追われる女子生徒まで一緒にいる。表情があまり読み取れないのだが、やはり不機嫌なのだろうか。それでも初めてしっかり顔を見たのだが、どうしよう、可愛い。お人形さんみたいで萌える。

 彼女は小柄で、ブレザーを着ていても華奢だとわかる。顔は幼くて小さく、髪はセミロングだ。小さな瞳から真っ直ぐに私を見る様は存分に庇護欲を駆り立てる。


 私は声を掛けられたことに驚きつつも、そんな風に3人を見ていると雲雀さんが言った。


「その手に持っているのは、もしかして入部届?」


 雲雀さんの私への第一声目は自己紹介でも挨拶でもなくこれだった。

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