第二楽曲 第一節
高校入学最初の月曜日。ゴッドロックカフェの入り口ドアに手を掛けた古都は異変を感じた。
ガタガタ
「あれ?」
鍵が掛かっているのだ。ゴッドロックカフェはバーなので営業は19時からだが、古都は学校が終わってすぐに来ていた。時間は16時を過ぎたところ。鍵が掛かっていて当然である。
「なんだよもう。やる気のない店だなぁ」
店のやる気がないのではなく、彼女の配慮が足りないのだ。古都は一瞬途方に暮れそうになったが、敷地いっぱいに立てられたこの建物を一周してみることにした。
「お! 裏口発見」
店を半周回ったところで古都は勝手口のような質素な裏口を発見した。折り返しの屋外階段の脇にあるドアで、階段下にはゴミ袋や空の酒瓶が幾つか置かれていた。古都は迷わず裏口のドアに手を掛けた。
ガチャガチャ
「ちっ」
幼気な乙女が舌打ちをするものではない。どういう育て方をしたらこんな女子高生が出来上がるのか。……と言いたいところではあるが、古都の両親と、果ては祖父母まで、お淑やかになってほしいと努力をしたものの、その甲斐空しく彼女が親の希望に反して天真爛漫に育ってしまったのである。
「はぁ、開いてないじゃん……」
ため息を一つ吐くと古都は脇の屋外階段に腰を下ろした。通学鞄を横に置き階段の幅を目一杯取ると、古都は通学鞄からスマートフォンを取り出し操作を始めた。
「誰だよ、こいつ……」
古都が閲覧を始めたのは自身のツイッターアカウント。自身のツイートにどこの誰かもわからない人物からリプライが返ってきていたのである。ただ、どこの誰かをわからないのは古都だけで、きちんとプロフィールを確認すれば同じ備糸高校の男子生徒だとわかるのだが。
古都はしばらく屋外階段に座ったまま、スマートフォンで遊んでいた。すると頭の上から開閉音が聞こえた。古都は2階の玄関ドアの開閉音であることをすぐに察知したのだが、その時目に入ったスマートフォンの時刻表示は17時10分。古都は階段の踊り場に向いて身体を捻った。
カンカンカンと鉄骨の屋外階段を下りる足音が聞こえる。足音だけで男のものだとわかる。そして踊り場に姿を現した男の膝下。古都は立ち上がると同時に男の全貌を見た。間違いない、大和である。
「誰?」
大和は踊り場で立ち尽くしたまま古都を見下ろした。大和の足はこれ以上進むことを躊躇していた。その理由は階段下にいる女子高生がこの場に似つかわしくない見た目麗しい美少女だからだ。するとその美少女は一瞬深く腰を折ると、顔を上げて大和に向いた。
「こんにちは。備糸高校一年の雲雀古都です。長勢先生の紹介で来ました」
大和は口をあんぐりと開けたまま固まってしまった。全くの予想外である。アイドルかと思うほどの容姿で、上目遣いに大和を見る古都に度肝を抜かれていた。
「えっと……、YAMATOさんで合ってます?……よね?」
「え、うん……」
大和はやっとのことでそれだけ返した。徐々に思い出される長勢との会話。しかしそれは肝心な内容を前に響輝から電話を取り上げられたことまで回想させてしまう。まさか話題の主が女子生徒だとは思っていなかった。
「あ、なんか話があるのかな?」
「はい。相談があって来ました」
大和とは対照的にハキハキとしゃべる古都に大和は若干圧されていた。それでも長勢がわざわざ電話をしてきたのだから話があることくらいは予想の範疇だ。そしてそれが今、相談であることを理解した。
「とりあえず店に入ろうか」
「はい、お願いします」
大和はスタスタと階段を下りると裏口の鍵を解錠した。そして古都を引き連れて店の中に入った。
照明が一切落とされている店内。防音の観点から1階には窓らしい窓はない。せいぜい天井付近に排煙用の防音窓があるくらいだが、これもガラスのない窓である。大和は手探りで照明のスイッチを触ると点灯に切り替えた。
明るくなった廊下を進み、大和が奥のドアを開けるとまた手探りで照明を点け、店の全貌が露になった。
左手には真っ直ぐ伸びるカウンター席。右手には小さなホールとステージ。ホールの背面にはPAコーナーがある。
大和は古都をカウンター席に座らせ自身はカウンターの中に身を入れた。閉め切った店内はまだ空調が行き届いておらず、若干の蒸し暑さを感じる。
「何飲む?」
「あ、じゃぁ……オレンジジュースってあります?」
「うん。待ってて」
大和は慣れた手つきでカウンター下の冷蔵庫を開け、オレンジジュースをグラスに注ぐとコースターに乗せて古都に差し出した。開店前とは言え、店内に制服姿の女子高生がいることがシュールであると大和は感じていた。
「で、相談って?」
「あ、はい」
古都は一度オレンジジュースのグラスをテーブルに置いた。その時氷が寝返りを打つようにカランと音を立てた。その音が合図でもあるかのように古都は立ち上がると、大和に向かって深く腰を折り、声を発した。
「私に軽音楽を教えてください!」
「はいぃぃぃい?」
大和は一連の古都の流れに驚いて思わず語尾を上げてしまった。
「元クラウディソニックのYAMATOさんですよね?」
「うん。僕が菱神大和」
「私クラウディソニックに憧れてて、それで備糸高校に入学したんです。それなのに軽音部が廃部だなんて……」
「は? 軽音部廃部してたの?」
大和にとってこれは初耳であった。なぜこういう事実を言ってくれないのだ、長勢という男は。心の中で恨み節を吐いた。響輝もこの話題に触れなかったから恐らく聞いていないのだろうと予想ができる。
「はい。それで軽音部OBの大和さんに音楽を教えてほしくて来ました」
「断る」
「ガーン」
古都は立ったまま腰を折って両手をカウンターに付いた。大和からは古都の垂れた髪で表情も見えない。それが全身から落胆を伝える。
「な、なぜ?」
古都は手を付いたまま一度顔を上げると理由を問うた。その表情からはまだ落胆の色が消えない。
「僕は高校生の面倒を見るほど責任の持てる教師ではない。それに小さいながらも店を持つ事業者だ」
「恐れ多くもボランティアのお願いなのは重々承知しております。けど、部活がない以上他にお願いできる人がいないんです」
「なら部活を再創部すればいい。備糸高校の創部は5人からだろ? 顧問と部員を見つければ可能じゃん。それに軽音楽は部活じゃなくたってできる。音楽教室でも自主活動でも」
前半は長勢にも言われたことだ。しかし御転婆娘の古都の思惑は他にもあって、ここで引き下がるような生ぬるい女子ではない。
「憧れのクラウディソニックの元メンバーがここにいるとわかった以上、こっちの方が……えへへ」
最後のその「えへへ」は止めて欲しかった。大和は一瞬コロッと逝きそうになる。しかし気をしっかりと保つ。
「クラソニなんてメジャーデビューもできなかったバンドだ。大したことない。他を当たって」
「なんてこと言うんですか!」
古都が真剣な表情になって大和に突っかかる。カウンターテーブルで挟まれているものの、その乗り出した身は今にも大和に掴みかかりそうである。
「クラソニは偉大中の偉大なバンドですよ。私の軽音楽への憧れそのものです。彼らが出した2枚のCDは私の心の中で億のプレミアが付いています。痺れるギターの歪みに、激しいドラムのビート。楽曲に色を加えたキーボードは耳に心地よく、ベースの重低音は体中にノリを与えてくれます。そして力強い男性ボーカルの歌声。何もかもが私を虜にしました。わかります? この良さが? わかりますよね? 元メンバーなんだから!」
大和は褒められている。間違いなく褒められているのだが頭をゆっくりと三点リーダーが通過する。古都に圧倒されすぎて何も言葉を返すことができないのだ。
大和はBGMを再生させ、開店準備のため手を進めることにした。しかし古都はカウンター席に座ってもなお語りの熱が冷めず、店内のBGMをかき消すかのごとくその声を大和の耳に届けた。
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