第一章

第一楽曲 プロデューサー

菱神大和のプロローグ

 僕は中学入学と同時に軽音楽を始めた。きっかけは近所に住む同級生からの誘いだ。元バンドマンの孫という認識もあってのことだろう。彼は名を棟居響輝むねすえ・ひびきと言い、僕よりほんの少し前にギターを始めていた。


大和やまと、俺ギターもらったんだよ」

「へぇ、誰に?」

「兄ちゃん。新しいの買ったからってお古もらった」

「良かったじゃん」

「一緒にやろうぜ?」

「え? ギターを?」

「うーん……。俺がギターだから大和はベースにしろよ? そしたら一緒にバンド組めるじゃん」

「そうだなぁ……。じいちゃんに相談してみる」


 そう返事をして僕は祖父のもとへ行ったのだ。祖父はその話に喜び、店に余っていたベースを譲ってくれた。初心者が持つにはちょっと値の張るジャズベースだ。かくして僕はベースを始めたのである。


 祖父は元バンドマンで、現役を退いてからは『ゴッドロックカフェ』を経営していた。その店は祖父が組んでいたバンドの元メンバーを含め、多くの元バンドマンの中高年層が常連客だ。中には趣味でおっさんバンドを組んでいる現役もいる。カフェと言っても形態はバーで夜の営業だ。


 中学時代、僕は響輝とずっと二人で活動をしていた。と言っても当時はまだバンドを組んでいるという認識はなかった。ただお互いのどちらかの家でギターとベースを弾き鳴らしていた感じだ。そしてたまにゴッドロックカフェで大きなアンプを使い、演奏を楽しんでいた。


 高校は響輝と一緒に備糸びいと高校に進学した。備糸高校には軽音楽部があり、僕と響輝は迷わず入部した。

 入学当時2年生の部員はおらず、3年生の部員だけが活動していた。しかしその3年生は秋の文化祭を終えると同時に引退し、僕たちは入学わずか半年で最高学年となった。


 同級生の部員は全部で5人いた。全員パートが違ったのは幸いだった。ボーカル兼サイドギター、リードギター、ベース、キーボード、ドラム。この5人で入部すぐにバンドが結成された。

 部活のいいところは練習のためのスタジオ代がかからないことだ。平日の放課後、最低でも週3日、基本は週5日、まとまった練習時間が確保できた。個人練習は各自家でやると言った感じで、部活では全体練習ばかりだった。


 2年生の中頃になると響輝が作曲を始めた。それに触発されて僕も作曲をするようになった。この頃、祖父の店の常連さんから、安物ではあるがエレキギターを譲り受けていて、メンバー程ではないものの演奏はできるようになっていた。

 作曲開始当初の曲はそれこそ稚拙なものだった。よくもまぁ、こんな曲を作ったものだと笑えてしまう。それでも当時、僕も響輝も一生懸命だったし真剣だった。本気で自分が作った曲に自惚れていた。


 しかし待っているのは挫折だ。オリジナル曲を5曲携えて意気揚々と県内政令指定都市にあるライブハウスに行ったのだ。キャパシティーは200人と小さな箱ながらも、対バンライブのため、他のバンドを目当てに来たオーディエンスを食ってやろうという気でいた。

 しかし僕たちの演奏が始まった途端、ホールにいたオーディエンスはドリンクカウンターに行って休憩を始めたり、壁際に座ってスマートフォンで遊び出したりしたのだ。

 ステージに目を向けて僕たちの曲を聴いてくれていた人はいただろうか? 恐らく片手の指で数えられるほどしかいなかった。


 そんなライブを経験したにも関わらず僕たちは折れなかった。反って反骨精神に火が点き、特に僕と響輝は作曲について2人で研究を重ねた。そして5人でやる編曲も妥協をすることがなくなった。それが僕の青春時代の部活動の思い出だ。


 高校卒業後はメンバー5人ともそれぞれ別の大学に進学したが、全員県内に留まったことは幸いだった。バンドの解散やメンバーの脱退、メンバーチェンジなど、これらを経ることなく結成から同じメンバーで活動を続けた。

 高校卒業後から徐々に僕達のバンドは地元で認知度を上げ、曲の評価もされ始め波に乗っていた。それは右肩上がりで、しかしそれがメンバーを思い上がらせてしまった。


 大学4年生の時、年明けだった。僕たちには芸能事務所とレーベルからメジャーデビューの話をもらっていてそれが決定していたのだが……。


 僕は打ちひしがれた。夢を粉々に砕かれた。大学卒業と同時に約束されていたメジャーデビュー、それが脆くも崩れ去った。高校の軽音楽部から結成したバンドは6年半の活動に終止符を打ち、解散となった。


「どうしようか? これから」


 就職活動もしておらず、途方に暮れた僕はゴッドロックカフェのカウンター席で嘆いた。隣の席で響輝はカミカゼをチビチビと飲みながらグラスの中の氷をカランと鳴らす。僕はジントニックのグラスを口に運んだ。


「どうするも何も、大学卒業までに職探すしかないよな……」


 その様子をカウンターの内側で祖父が聞いていた。目はこちらに向けておらず、黙ってグラスを拭いている。しかし耳は僕達の会話を捉えているのだとわかる。

 響輝から一席間を空けた隣に常連客の河野さんがいる。河野さんは昔祖父と一緒にバンドを組んでいた仲で、僕も響輝も可愛がってもらっていて、それはもう良くしてもらっている。弁護士の河野さんは豊富な量の白髪を蓄え、更に口周りも白い髭で覆われている。

 その河野さんはウィスキーのロックを度々口に運びながら僕達を心配そうに見ている。見ると言っても時々視線を向ける程度なのだが、僕が響輝に向くと響輝越しにたまに目が合い、その表情が寂しそうなものだから心苦しい。祖父と一緒に僕達のメジャーデビューを喜んでいてくれたのだから。


「職の当てあるのか?」

「あぁ。親父の紹介でそこそこの企業の工場員」

「そっか」


 僕は短くそれだけしか返せなかった。僕には全く当てがなく、これから遅い就職活動をしなくてはならない。


 しかしそんな折だった。大好きな祖父が亡くなったのは。ずっと元気だと思っていたのに突然だった。響輝と就職について話した日から数日後の夜、ゴッドロックカフェでその日最後のお客さんである河野さんを見送る時に倒れたのだ。祖父は河野さんが呼んだ救急車で運ばれ、翌日帰らぬ人となった。


 葬儀の日、親戚一同集まる控え室にやってきたのは河野さんだった。そして河野さんから告げられた事実に僕は……いや、親戚一同が驚愕した。


「故人は公正証書遺言を遺されています。ここにその写しがありますので、その代理人を引き受けた私が読ませていただきます」


 驚愕したのは遺言が残っていた事実ではない。その内容だった。


「カフェ以外の遺産は法に従って分割すること。孫の大和が希望する場合、ゴッドロックカフェの経営権と当該不動産を孫の大和に相続させる――」

「ちょっと待って!」


 僕は河野さんの口から今読まれた内容に反射的に口を挟んだ。どうやらこの後に続くのは、「希望しない場合は法に従って――」という内容だったらしいが、この時は知らない。僕はすぐさま河野さんに質問をした。


「河野さん、それいつ書かれたの?」


 そう、まず最初に頭に浮かんだ疑問はこれだった。僕はつい最近までメジャーデビューの話が生きていた。上京をするつもりでいた。それなのになぜ僕が店を引き継ぐという文言が書いてあるのだ?


「これは大和のメジャーデビューの話が頓挫してすぐに書かれたものだ」

「え? え? え? じゃぁ、じいちゃんは自分の体……」


 僕は消え入るように言葉を繋いだが、最後は本当に言葉が消えてしまった。しかし言いたいことは伝わったのだろう。河野さんは親戚一同に向き直って教えてくれた。


「ご遺族の皆様、故人は数年前から癌を患っておりました。知っていたのは私だけです。黙っていたこと誠に申し訳ありません。しかし、私も職業柄ご依頼主の情報には守秘義務があります。口外無用はご依頼主の要望でした。ご理解下さい」


 ここで控え室内がざわついた。動揺とは裏腹にじいちゃんの思惑が僕の頭に流れてきた。

 祖父は自身の死期が近いことを知っていた。そんな折、僕のメジャーデビューが流れ、僕の職のためにこのような遺言を遺したのだ。更に僕は祖父から特別可愛がってもらっていた自負がある。だから祖父は僕にこそ店を継いで欲しかったのだ。


 僕に選択肢はなかった。年明けのこの時期から就職活動をするにも絶望的。何より大好きな音楽に携われる仕事である。僕は相続を受け入れた。


 これは好転のきっかけだった。絶望が二度続き、店を僕が引き継ぎ、そして好転したのだ。

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