昔日の想い出
マルリィ
昔日の想い出
豹柄に塗装された一台のボンネットバスが、エントランス部からゲートを抜け、サバンナを模した動物展示エリアへと入って行った。
小型ロボットを介して自動運転されるバスには、訪問客である一組の家族と、スタッフであるパークガイドが乗り込んでいた。
ジャパリパークはその立地条件から既存のサファリパークのような自家用車で園内を周遊する形態ではなく、ガイド付きのバスツアーを提供していた。
それは、バスに相乗りさせるのではなく、訪問客のグループごとに専用のバスを割り当てるとともに、グループ専属のガイドを付け、キメの細かい対応をすることでサービスの差別化を図っていた。
博識なガイドの流暢な解説やキメの細かい対応が評判となって、ジャパリパークは人気の施設となり、そのチケットは入手し易いものではなくなっていた。
幸運にもチケットを入手できたその家族は、チケットの日程に合わせて休暇を取得し、ジャパリパークへやって来ていた。
サバンナを模した、木々がまだらに点在する草原を走っている間、ガイドからは遠方を歩く草食動物や、点在する木々の説明が行われた。さらに家族の子ども向けに、サバンナの環境や生息する動物などのクイズ形式での解説も行われた。
車両の運転などを自動化したことで、ガイドは訪問客への対応に専念することができる。それがジャパリパークの評判を高める要因にもなった。
バスはこの日もかなり走ったであろうか、既に陽が傾き始めている。木々が長い影を落とす水場の近くに停まった。
「ここで水場に来る動物を観察しましょう」
ガイドが声をかけた。
■
夕方、そろそろ動物が水場に集まる頃だ。草むらの中から一頭のサーバルキャットが姿を見せる。獲物を追っているのか、バスに近づいてくる。
「見て見て、お耳が長い猫さんだよー」
客の一人、幼い少女が指をさして声を上げる。
「ミライちゃん、よく見つけたわね。あれはサーバルキャットっていうのよ」
その姿を確認したガイドが言った。
「えへへっ」
園内で動物を初めて見つけたミライは、得意げに顔をほころばせる。
「どこに居るんですか?」
眼鏡をかけたミライの父親がガイドに問う。
「あなた、あそこ」
ミライの母親が指をさして場所を示した。
「奥様の言う通りです。サーバルキャットは草の茂みに隠れていることが多いんですよ」
ガイドが解説を交えて応える。
やがて、サーバルキャットはバスのすぐ近くまで近づいて来た。
「猫さん、こっちに来た!」
ミライが叫ぶ。
しかしサーバルキャットは気付かない。
バスの窓は特殊な偏光ガラスで作られているため、外から中の様子を見ることはできず、車体には防音対策が施されているため、車内の音は外に漏れないようになっている。バスの中で子どもが騒いでも動物に気づかれることはない。さらに塗装自体が迷彩効果を持っている園内周遊バスは、動物からすれば、ぶつからない限りその存在に気付くことはない。
バスのそばに陣取ったサーバルキャットは、その場で穴を掘り始めた。地下に居る獲物を狙っているのだろう。
「ねぇねぇ、ミライ、猫さんなでなでしたい」
目の前にいる見慣れない動物を見て興奮したのか、ミライが手を振り上げ飛び跳ねながら大声で言う。
「ミライ、騒がないの」
母親がたしなめる。そして続けて言った。
「ガイドのお姉さんに訊いてみなさい」
ミライは飛び跳ねるのを止め、ガイドに訊いてみた。
「お姉さん、猫さんなでなでしてもいい?」
「ごめんね、ミライちゃん。お客さんは動物に触ってはいけないことになっているの」
申し訳なさそうにガイドは応えた。
「そうなの……ごめんなさい」
予想外の答えに、ミライはうろたえ、涙ぐむ。
「いいのよ、ミライちゃん、触ってみたいというお客さんは沢山いるのよ。ミライちゃんは何で猫さんに触ってみたいと思ったの?」
ガイドはしゃがみこんで、目線をミライに合わせて話しかける。
「お友達になりたかったの。ミライ、公園の猫さんとお友達なんだよ。なでなでするとお友達になれるの」
猫を撫でるような手ぶりを交えてミライは言った。
「そう、お友達になりたかったんだね。でもここの動物は、人とお友達になっちゃいけないの」
少し含みを持たせた言い方だ。
「えー、なんでなんで」
すぐには理解できない答えに興奮したのか、ミライは手を振り回しながら大声で理由を訊く。
「それはね、動物が元々住んでいた場所に帰っても生きて行けるようにするためなんだよ」
まるで手品の種明かしをするかのように、ガイドはミライの問いに応える。
「元住んでいた場所に返すという事は、ここでも野生では絶滅した動物の繁殖もしているのですか?」
黙って外の様子を見ていた、ミライの父親が口を挿む。
火力発電や原子力発電の退潮と歩調を合わせるように、太陽熱や太陽光を利用した発電が盛んになった時代、多くのエネルギー企業が目を付けたのは、降水量が少なく安定した日照の得られる砂漠やサバンナであった。
砂漠やサバンナには多数の発電所が建設され、マイクロ波送電により世界各地へ電力が売られてゆくようになった。
その一方、サバンナでは雨季に発電所の周囲に遺棄された使用済み太陽電池から漏出した環境汚染物質によって、多くの動植物が死滅していった。
事態を重く見た国際機関の働きかけにより、汚染された土壌の原状回復が試みられるとともに、生き残った動植物を汚染されていない土地へ移して繁殖させ、種を維持する試みが世界各地で行われていた。
通信社に勤めるミライの父親も、この動きについての概略的な知識はあった。
「はい、ここでも繁殖を行っています。ただ、普通の動物園のように人が積極的に関わる形での繁殖はしていません。サバンナに住んでいた動物の元の生息地に近い環境を再現して、動物本来の生態の中での繁殖を目指しています」
しゃがみこんでミライの相手をしていたガイドは、立ち上がってミライの父親に応える。
「そうすると、ここで生まれ育った動物を、環境が回復した原産地に戻しても、すぐに適応できるようになるという事ですね」
父親は感心したように言った。
「原産地の環境が未だに回復しないので、まだ実績はありませんが、それが私たちのパークの目標の一つでもあります」
補足するようにガイドは応えた。
「ねえパパ、お話がむずかしくてわからないけど、ここの動物さんとはお友達になっちゃだめなんだね」
たどたどしい口調でミライが父親に話しかける。
「そうだね。ミライにはまだ難しいかもしれない。でも、お姉さんみたいに動物や自然のことをよく勉強すれば分かるようになるよ」
「ねえねえ、お姉さん、どんな勉強をしたの」
ミライはガイドに手を伸ばし、飛び跳ねながら訊いた。ガイドはミライを落ち着かせるかのように、再びしゃがみこんだ。
「そうね、ミライちゃんくらいの頃は、動物図鑑を読んだり、動物園に行っていたりしたわね。動物の事をよく知りたいと思う事が大事だと思うわ」
ガイドはミライの目を見て言った。
「そうなんだ、ミライもお姉さんみたいになりたい」
「ミライ、学校に上がったらしっかり勉強しないとね」
ミライの母親が言う。
「勉強がんばってね」
ガイドも母親に続けて言った。
■
研究室の指導教官から、ジャパリパークにインターンとして滞在できることが伝えられたその日、ミライは幼少の頃、ジャパリパークへ訪れたことを思い返し独り言ちた。
「私もお姉さんみたいになれるかな」
― 終 ―
昔日の想い出 マルリィ @Marly
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