ある晴れた日の凍った朝
三浦太郎
ある晴れた日の凍った朝
「ねぇ、またあのお話してよ。」
手を繋ぐ幼子に、母らしい人は苦笑しているらしい。
「もう何度もしたでしょう。飽きないの?」
「聞きたい!」
しょうがないわね、そう言って話し始めた。
地上には緑が溢れていて、沢山の生き物がいて、沢山の命があって、外はもっと暖かくて、人は幸せに暮らしていた。大昔の、ただそれだけの話。
母親が優しく語り、幼子が目を輝かせる。それだけのことなのに、暖かいものが生まれているような。二人ともコートにくるまって寒さをしのいでいる筈なのに、どうしてあの白い息があんなに温かそうなのか。
僕は二人が去っていくのを、冷えきった路地に座り込んで眺めていた。
珍しいことに、真っ青な空だ。吹く風は触れるものから熱をかっさらっていく。路面は乾ききっていて、落ちているのは酒瓶とか煙草のカスや雪、容赦ない冷たさで僕を襲う。
立ってから、いつものように僕はコートを払った。その後は、何をするでもない。
何となく呆と立っていると、太陽の光が弱々しく降り注いでいた。時折車が通ったりもした。しばらくそのまま、根でも張ろうとするかのように立っていた。
ようやく僕は動く気になって、長くて擦りきれたズボンの裾に、靴と雪を引っかけながら歩き出す。コンビニとか、カフェとか、店の中に入る気にはなれない。
椅子に座って静かにカップを口に近づけるところ、カゴを持って話を弾ませているところ、料理をかき込んで噎せているところ、それを見て背中を叩くところ。窓越しに、暖かい部屋の中ではそんな風景が広がっていた。
思わずため息を吐いていた。頭を振ってから、足早に商店街を通り抜ける。
向かうのはこの町の高台。元々公園だったらしいけど、体育館など建つこともなく、空き地だけが残っている。何もない空き地に座りに来るのは、僕に独りだと気づかなくて済むから。それに、時間を潰すのにも人気のないそこは何も考えないで座っていられる。
坂を登りきると、少々眩しい。雪に覆われた公園跡は太陽の光を跳ね返していた。
ため息をつく。息は、白くならない。
跡地の奥の方、この町が見下ろせる僕の定位置までゆっくりと歩いていく。
ヒトが宇宙へ逃げる前に、地球には氷河期が訪れた。陸も海も、多くがが氷に覆われてしまって人間には余裕なんて物は残っていない。地球が蓄えた燃料も、日に日に減っている、らしい。火の温かみをただ享受する、さっき見たような人たちはそれを見聞きしてはいてもどうしようもない。外にいては死んでしまうから。誰だって寒いのは怖いから。
僕は雪が被さった斜面に腰かけて、町を見下ろした。
光を跳ね返す白に染まっているように見えて、主な道路は雪が融かされて黒くなっている。まだこの町が生きている証拠でもある。
車が走っていて、人が歩いていて、灯りがついている。幸せそうだった。
風が吹いて、雪が飛ばされてくる。何となく、僕はその場を後にした。
それから何十年も経って、町は無くなってしまった。燃料が無くなった、らしい。もう残っている町は無いのかもしれない。
無くなる寸前には、ひどい抗争が起こった。焚き火が一瞬強く燃え上がるような、そんな光景をあの公園跡から眺めていたけれど、火は絶えてしまった。
その時も珍しく、雲一つない青空だったと思う。
ある晴れた日の凍った朝 三浦太郎 @Taro-MiURa
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