短編集
るーいん
短編集その1
かにざのものがたり
それは遠い昔の物語。
なのかもしれない。
「――
オレの全てを断ち切る自慢の鋏が、奔る。ヤツの千年以上生えている偉大な大木のような足を両断するのだ。しかし、手応えはない。オレの鋏は、空気を断ち切るだけである。腰……ってか腰なんかないけれど、とにかくそういう部分が引けてしまったオレの攻撃は当たるはずもなく。ようするに、オレはびびってしまって、鋏を引っ込めてしまったのだった。
仕方ないだろう。オレは歴戦の戦士でもなく、英雄でもなければ勇者でもない。ましてや人ですらないがね。
何故ならオレは蟹。ただの蟹。横歩きしかできないし、泡を吹くし、じゃんけんではチョキしか出せないし、けれど美味しいあの蟹だ。足の先まで詰まった肉とみそ、どこをとったって美味しいぜ。
ところでアンタ、蟹が加熱されると赤くなる理由、知っているか。決して煮て喰われるという恥辱からではない。オレ達の殻の中にはアスタキサンチンっていう色素物質があってだな。これが熱によってたんぱく質と分離して酸素と結合する――いわゆる酸化現象は起きる。まぁ、要するにだ。切っておいた林檎を放置しておくと、色が褪せるだろう? それとおんなじだ。
だから、オレ達は真っ赤になる。決して照れているからではなく、これから食べられるのが嬉しいからでもなく。
さて。
現実逃避はこれくらいにしておこう。
オレは今、とんでもない怪物と戦っている。まぁ、普通のヤツから見ればオレも怪物の領域だろう。こんな馬鹿でかい蟹(オレ)、どこを探したっていないぜ。
けれど、そんなオレよりももっと馬鹿でかいヤツが、ずしんずしんと大暴れしてる。あれだけでかい図体して、すばしっこいんだから始末に負えない。オレの腰が引けてなくて、まともに攻撃できたとしても、かすりもしないだろうな。ってか、オレなんか眼中になしって感じだな。実際、その目にはオレの姿は映っていないのだが。
だが、せめて一矢報いねば。これでも蟹のプライドってもんが……。
「ギャアアァァァァッ!」
オレの友が、また一人殺された。残りは後、四人。
「た、助けてくれー! 蟹ー! 我が心の友よ!」
「蟹、助けて、蟹っ!」
「いやああぁぁぁっっ!! こんなの、いやぁぁっ!」
「らめぇぇっ!」
友はオレに救いを求める。
うん。
悪い、無理。やっぱ無理。
だってあいつ、素手でお前の首を軽々と引きちぎるんだぜ。オレなんか、一瞬で握りつぶされちまうってばよ。
ああ、オレの友ヒュドラよ。九つの首を持つ、偉大なる蛇よ。お前の九枚舌には悩まされたが、それもいい思い出。
ああ、オレの友ヒュドラよ。お前はオレの最大の強敵ともだった……。
オレの友ヒュドラは、そりゃあすごい蛇だ。凄い毒吐くしね。いろんな意味で。
首切っても再生するしね。けど、ああやって傷口を焼かれちゃあ、どうしようもないよね。
大体よー。一人でも無敵なのに、助っ人もいるじゃん、あいつ。勝ち目ないよねー。
いくら友の懇願とはいえ、あの女神さまの命令とはいえ、オレにどうしろと。相手にされもしないオレにどうしろと? 無駄死にしろというのか。勘弁してください、マジで。
大体よー。
「ちょっとつまみ食いwww」なんて言って、そこらの村人を食わなければ、目を付けられることもなかったろうに、友よ。大人しくレルネの沼で沈んでれば良かったんだ。
ゴォォオオォォォ!
嵐のような轟音は、あの巨人から放たれた咆哮。
その肉体は鋼のようだ。や、ホントに鋼なのかもしれない。フツーの武器なら、弾き飛ばしてしまうだろう。恐るべき闘志。それを前にして、震えぬものはいないだろう。あれはやばいものだ。
そいつは蛇に、憎悪の眼差しを向けていた。
そいつは――そいつの名はヘラクレス。
ヘラクレスは蛇が嫌いだ。ヤツは赤ん坊の時に、自分を殺そうとした蛇を握り潰したとんでも野郎だ。
蛇の分際で自分を殺そうとしたことが、今でも許せないらしい。故に、蛇を見るあの恐ろしい眼光。
ある女神さま……オレにこんな仕事を命じた主でもあるが、そのお方にえらく因縁をつけられていて、陰謀によりある罪を犯してしまったこのヘラクレスは、罪を償うためにアポロンの神託を伺った。
十の試練。
「ミュケナイ王エウリュステウスに仕え、十の勤めを果たせ」という神託に従い、ヘラクレスは今、ここにいる。
ゴォォォオオォォォォッ!
ああ、オレの友がまた一人死んだ。残るは最後の不死のあいつだけだ。
「ふ、ふふ。いくら貴様でも、我が不死は破れまい! だから大人しく帰るがよい! お願いします!!!!!」
ヒュドラは必死だ。
ヘラクレスは動きを止め、じいと様子を伺っている。そして、踵を返し、ずしずしと歩いていく。
嵐は去った。良かったな、ヒュドラ。お前、殺すに値しないってさ。
と、思ったら。あのでかぶつ、ヘラクレスは、とんでもない行動にでやがった。
ゴガアアァァァァァッ!!
大地が、沼が震撼した。咆哮が突風となって、オレとヘラクレスの甥のイオラオス(再生しないように友の傷口を焼いてたヤツ)を吹き飛ばす。
ボゴン。でかい音が鳴った。
ああ、なんということだ。
ヤツは巨大な岩を、それはもう山とも言えるような岩の塊を大地から引っこ抜いて、持ち上げてきやがった。
アンタ、それ、まさか。
そう。そのまさかだ。
ヤツはあれでヒュドラを潰すつもりだ。
あんなものの下敷きになれば、いくら不死身のアイツでもどうしようもない。下手すれば死ぬこともできずに、岩の下で永遠に続く苦痛に苛まれることとなる。
いくらなんでもやりすぎだぜ、ヘラクレス。
「いやだ! いやだぁぁ! 死にたくない! じにだくないー!」
ヒュドラは死ぬことはない。しかし、死より恐ろしい結末が待っている。鼻汁というか、なんかの汁垂れ流しで必死に逃げようとする友。
「まだ、生きたいんだ! 俺様はまだまだ、やりたいことがー!」
……オレは決断した。
オレの全ての力をぶつけ、一瞬でも隙を作る。せめて、オレの友ヒュドラが逃げられるだけの時間を稼げればいいが。
いや。そうだ。今度こそ、あのでかぶつの足を断ち切ればいい。オレの命を、魂を燃やし尽くした最大の一撃ならば、やれるはず。
友よ。ああ、哀れな友よ。無様な友よ。どうして友になったのか思い出せないが、とにかく友よ。有難く思え。オレはお前の為に死んでやる。まぁ、オレはこの世に未練も何にもないからな。未練たっぷりのお前は、生きろ。
行くぞ。
「――
ぷちん。
そこで、視界が途切れた。
「おほほほ。無様ね、蟹」
「ちぇっ。アンタ、楽しんでるだけだろ。こうなることは、最初からわかってたんだろ」
「まぁねぇ。けれど、可能性はあったのよ。ほんのちょっぴりとした可能性がね。あーあ。あいつの足でも断ち切ってくれればスカッとしたのに。それにしても、しぶとい男。ヒュドラの不死と猛毒を以ってしても倒せないなんて」
ギリギリという歯軋りの音が耳障りだ。
「ああ――死んじまったなぁ、オレ」
結局、何も出来なかった。攻撃しようとして、そのまま踏み潰されちまった。ホント、無様だなぁ。
ああ。遠くの方にヒュドラが見える。あいつ、なんであんなところに。
「……ところでここ、どこなんだ」
「星の海よ」
「星の海? ああ、海か。良かった。還りたかった場所なんだ」
瞬く無数の光が綺麗だ。漆黒の深海。けれどここには、宝石のような美しい輝きが幾つも瞬いている。
「ふふふん。貴方が戦う姿に感動してね。これはもう、永遠に語り継がれる物語にしなければと思って、貴方を特別な存在に昇華して差し上げたのよ。夜空に映った貴方の姿を見て、人々は語り継ぐことでしょう。ヘラクレスに挑み、気付かれずに踏み潰された哀れな哀れな蟹カルキノスのお話を」
「ちょっ!? アンタ、今、なんて!?」
そういえば、聞いたことがあるな。
功績や伝説を残した英雄的な存在は、天に召されて星になると。あるいは、こいつらが気に入った魂を天に貼り付けて、観賞用に楽しむと。
真相は定かではなかったが、おそらくこれはその類か。
てか、これじゃさらし首じゃねぇかー!
「それじゃ、私は忙しいからこれでね」
……あのアマ、行っちまった。
「ちっ。とんだ笑い種だな」
と、むなしくつぶやいてみる。
遠くの友も、しょぼんとしている。まぁ、そうしょげるなよ。永遠に苦痛を味わうよかずいぶんマシだろうが。
さて、と。
せっかくだから、この海を堪能するとしよう。
ここにはいろんなものやいろんなヤツらが漂ってるから、飽きることはないだろうな。海は広く、深いもんだ。そしてこれからも、色んなヤツらがやってくるだろう。そしてオレは、語るのさ。哀れな哀れな蟹(オレ)の物語をな。
そこのアンタも、時々は思い出してみてくれ。
夜空を見上げた時じゃなくても、蟹を食べる時にでもいいからさ。こんな蟹もいたということを。
じゃあ、さよならだ。
いつかこの、星の海で、逢おう。
短編集 るーいん @naruki1981
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