So don't sing love song me

ごんべえ

So don't sing love song me

「別れて、遼君」

 そう正面に立つ彼女は、口から言葉を吐き出した。

 俺は、ぐっと息を詰まらせながら口を開く。

「……わかった。別れよう、美雨」

 了承すると、悲しそうな姿も見せず俺に背を向け去って行った。

 俺はその華奢な背を目に焼き付けるように数秒そこに佇んでから、背を向けた。

心臓が握りつぶされそうだ。

苦しい! 苦しい! と心が叫んでいるのが聞こえる。

 一生に一度の恋だった。他の誰にも、もうこんな恋はできないだろうと確信するくらいに。

 意図しない熱さが頰を伝う。男なのに、でも、この痛さは表現できないくらいに俺の心をえぐっている。

 下唇を噛み締めて激情をこらえる。しかし、こらえきれず息を吐き出した。

「……っ」

 もう噛み締めるだけじゃこらえきれなくて、思わず走り出す。大きな部活用のカバンが、ばこばこと太ももに当たっては飛ぶ。息が切れる。

 自分の部屋に駆け込むと、下の階から母さんの心配そうな声がする。

「遼? どうしたの? そんなに慌てて」

「っ、なんでもないんだ! 気にしないで」

「あら、そう?」

なるべく平気そうな声で返事をすると、母さんは訝しく思いながらも引いてくれた。

 床に乱暴に荷物を置くと、何も置いていない部屋の隅にうずくまる。


 どうしてこうなってしまったんだろう?

 考えても考えても分からなかった。

 分からないまま、一週間を迎えようとしていた。

 そりゃあ、付き合っていたんだからケンカだって数え切れないくらいしてきたけど、最後にはお互い笑いあって仲直りしてきたのに……。

 一体、どこで破綻してしまったのだろう。


「最初からダメだったんじゃないの?」


 学校からの帰宅途中に友人であり幼馴染の佐伯に相談した結果、返ってきた答えがこれだった。

 ていうか、随分と嬉しそうだな、こいつ。

 喜色満面、と言ったところか。

 有らん限りの恨みを込めて睨みつけてやると、

「そりゃあ、爆発しろ、と祈り続けてきたリア充がついに爆発してくれたんだからね。こんなに嬉しいことはないよ」

 何処吹く風、といった風情で、ざまあ、と抜かしやがる始末。

 ……俺もこいつが振られたときには、クソざまあ、と笑ってやることにしよう。

「それにね、この地球上に一体どれだけの女がいると思ってるのさ。彼女なんてすぐみつかるって――」

 佐伯はそこで言葉を切って「ほれ、あれ」とある方向に指を示した。

 その方向に俺も視線を向ける。


 その瞬間、いま一番見たくない光景を見せつけられた。


 美雨が、公園のベンチに座って笑っていた。

 その隣にいたのは、俺の知らない男。

 俺には一度も見せたことのない満面の笑みで笑っていた。

 全身から血の気が引いていくような気がした。

 とにかく、気分が悪い。

「ほら、向こうは早速、男を作ってよろしくやってるみたいだし、遼にだってすぐに彼女が出来てあんなふうに笑えるように――」

「黙れ」

 一体、どんな心境でこいつはこんな無神経なことを言うのだろうか?

 思わず遮ってしまった。

「俺はな、本気だったんだよ。こんな気持ちになったのは初めてだったんだよ。だから、これがずっと続くんだってそう本気で信じてたんだよ。なのに――」

「――遼……」

 佐伯の表情が凍りついていた。

 目頭が熱い。

 そうか、俺はいま泣いているのか。

 ばつが悪くなり俺は佐伯を残して走り出した。

 佐伯が俺を呼び止めるが無視する。

 とにかく、ここから離れたかった。

 少しでも遠くへ。


☆ ☆ ☆


 気が付けば、我が家に帰り着いていた。

「……おかえり」

 母さんが少し心配そうに出迎えてくれた。

「……ただいま」

 鼻声でそう答えるとあの日と同じように駆け足で自室に向かおうとする俺を母さんは引き止めた。

 なんだよ、と悪態をつきながらも俺は母さんの言に従う。

 リビングにて、俺はテーブルを囲うように設置されているソファに座り母さんと向かい合う。

「一曲、歌ってあげる」

 母さんはいきなりそう言うとアコギ――40万で買ったらしい。ちなみにギブソンのハミングバード――のチューニングを始めた。

 弦の調節が終わると今度はじゃかじゃかと適当にギターを鳴らし、こんなもんか、と呟くと演奏を始めた。

 洋楽、だった。

 全体的にしっとりとした構成で、その曲はいまの俺にはとてもよく響いた。

 心の隙間が埋まっていくような気がした。

 演奏が終わるととても晴れやかな気分になっていた。

 それで、やっぱり泣いてしまった。

 最近、すっかり泣き虫になってしまったような気がする。

「これね、失恋の曲なのよ」

 しばらく経ってから母さんはそう切り出した。

 俺は絞りだすように、そうなんだ、とだけ答える。

「あんた、梅宮さんところの美雨ちゃんに振られたんでしょう?」

 これには、少し度肝を抜かれてしまった。

 美雨の事を話したことなんか一度もなかったのに。

「……どうして知ってるの?」

 思わず聞き返してしまう。

 それに母さんは、不適な笑みを浮かべ、

「何年あんたの母さんをやってきたと思っているのよ。それぐらい分かるわよ」

 と自慢げにそう言うのだった。

「本気の恋愛がダメだったときの心の痛みは確かに辛いわね」

 でもね、と母さんは続ける。

「前に進まなきゃダメよ。引きずるなとは言わない。でも、そこで立ち止まっちゃダメ。引きずりながらでも前に進まなきゃ」

 母さんの表情は真剣そのものだった。

「きっとあんたを待ってるひとだっているはずよ」

 それに俺はゆっくりと頷いた。

 

☆ ☆ ☆


 それから、数日経ったある日。

 学校の廊下で美雨とでくわした。

 お互い無言ですれ違う。

 少し歩いて俺は振り向いて、

 美雨は振り返らなかった。

 これで、良かったのかもしれない。

 いつか、彼女の恋が終わるとき俺の事を思い出してくれるだろうか?

 思い出してくれたらいいな、と思う。

 とにかく、俺たちは歩いて行くしかないのだ。


「ねえ、遼……」


 あの一件以来全く会話のなかった佐伯が声を掛けてきた。

 よお、と返事をするとばつが悪そうにもじもじしながら、

「この間はごめんね。きみがあの女に振られたって聞いて嬉しくて……」

 そんな傷口に塩を塗りこむようなことを言ってくれやがった。

 こいつ、俺になんか恨みでもあるのだろうか?

 文句を言ってやろうかと開こうとした口は唐突に塞がれた。

 

 彼女の唇によって。


 ゆっくりと唇が離れる。

「わたし、佐伯美香は斎藤遼のことが大好きです。付き合ってください」

 新しい恋の予感に戸惑いながら俺は答えた。

「喜んで」

 

 

 

 



 

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