あのときとは違って今回は一人じゃないから
「俺、サウナに行ってきます!」
終業後、書記局に集まったみんなの前で宣言する。
「……サウナ? いきなりどしたん?」
一ノ瀬さんの怪訝そうな顔を見て、急いで補足する。つい気持ちが先走ってしまった。
「外薗本部長がよく行く銭湯があるんです。今日みたいな寒い日は仕事帰りに寄るだろうって聞きまして。そこで外薗本部長と話をしてみようと思います」
あれからもう一度考えた。
杉本さんの出勤停止という懲戒処分。これはやはりどう考えても重すぎる。梅宮さんが教えてくれたように、場合によっては無効となる可能性すらある。処分の重さには客観的な妥当性が必要だということを、外薗本部長が知らないはずがない。
なら、杉本さんの出勤を停止させたい理由があったのではないか。
もしかしたら、組合が接触することを避けたい理由があるのではないのか。
杉本さんと外薗本部長が密約を取り交わしているのであれば、組合が何を言おうと意味はない。なのに、リスクを冒してまで重い処分を決めた。
だとすれば、まだ何かできることがあるのかもしれない。
「そうか……。確かにそれも必要かもな」
一ノ瀬さんが言う。
それも、ということは、他にも何かできることがあるのだろうか。
「私たち、これから杉本さんの家に行こうと話してたんです。なので丸井さんもご一緒にと思ってたんですが」
俺の疑問に篠原さんが答えてくれた。
「昨日はお会いできませんでしたが、みんなで行けばまた何か変わるかと思いまして。……もちろん確証はありませんし、杉本さんにとっては迷惑なことかもしれませんが」
「あ、出勤停止のときって他の社員と会うのってダメらしいんで、秘密で行くんすよ。あくまでプライベートとして。友人としてっす。山登りに誘ってもいいっすねー」
伍代さんがそう付け加える。
なるほど。組合としてではなく友人として。
「でも丸井さん、大丈夫っすか? 本部長とタイマンってことっすよね」
伍代さんが心配そうな表情を見せる。
そう、確かに怖い。密室で二人きりなんて、何を言われるのか想像もつかない。思わず怖じ気づきそうになる。
「まあ、やれるだけやってみます」
行動する前から心配しても心配させても意味がない。
それに虚勢でもいいから、今は勢いが欲しい。
「ん、丸井くんならダイジョブだよ。あのときとは違って今回は一人じゃないからね」
一ノ瀬さんが俺の肩をぽんと叩く。
今回は一人じゃない。
ああ、そうだ。
俺個人として対峙するのではなく、組合として話をしに行くんだ。
「んーな緊張すんなって。丸井くんの思うように話してくればいいさ。ほら、前に話したじゃん。交渉のコツは――」
「相手のことを好きだと思う!」
「そうそう、よく覚えてくれてんじゃん。ま、外薗相手だと俺にはムリだけど」
一ノ瀬さんが朗らかに笑う。
「ま、もし困ったときは、自分に何ができるかとかじゃなくって、組合として何ができるかって考えてみるといいよ」
そうか。
一人ではできないから、みんなの力を集める。
それが組合の存在理由だ。
そして、俺は冷たい雨の中、橋田さんに教えてもらった銭湯に向かう。
そういえば書記長の引き継ぎのとき、前任の
――大事なのは団体交渉そのものよりも、それまでの前交渉なんですよ――。
今から俺がやろうとしているのは、その前交渉になるわけだ。
重要な役割に身が引き締まる。
だけど、不思議とさっきまでの緊張は消えていた。
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