何故このタイミングでそんなことになるのか
「ようやく丸井さんもスマホデビューっすか!」
「ええ。いろいろ使い方を覚えてるところです」
「パソコンを持ち歩いてるようなもんっすからね。ネットできるし読書できるし音楽も聴けるし」
「いろんな機能があり過ぎて戸惑ってますよ。そもそも俺、前の携帯もほとんど時計代わりにしか使ってなかったので」
終業後、そんな会話を書記局で繰り広げている。
「あら。そういえば丸井さんって、腕時計してませんよね」
「ええ。腕に付けるのって、なんだか苦手で」
「分かります。私も仕事のときしか身に付けませんし」
今日は執行委員会の日。
伍代さんと篠原さんには少し早めに書記局に来てもらった。
杉本さんに、ちゃんと理由を聞きたい。
責任を追及する前に、まずは杉本さんの本心を知りたい。
そう伝えたとき、二人は驚きつつもすぐに賛同してくれた。
一ノ瀬さんにも昨日メールで報告をした際、思う通りにすればいい、と後押しをしてもらった。
そうと決まれば、善は急げ。今日の執行委員会の中で話してみようと、すぐに三人の意見はまとまった。
とはいえ、やはりこういう場面は緊張してしまう。
伍代さんも篠原さんも何も言わないが、落ち着かないのはみんな同じなのだろう。普段よりもさらに他愛もない会話をしながら、杉本さんが来るのを待つ。
そうして会議を開始する時間になったが、杉本さんは現れない。
予定時刻から五分が過ぎ、十分が過ぎる。杉本さんは几帳面な方だ。仕事の都合で参加が遅れることはあっても、連絡もなく遅刻をする人ではない。何かがあったのかもしれない。
「どうしたんすかねー」
「……俺、ちょっと杉本さんのデスク見てきます」
「そうね。丸井さん、お願いします」
ドアノブに手をかけたとき、勢いよく扉が開いた。
「あのさ! 杉さんの件! 聞いた!?」
そう言いながら書記局に飛び込んできたのは、一ノ瀬さんだった。
「おお、お久しぶりっす!」
「一ノ瀬さん、お元気そうで良かったです!」
思わぬ来客に盛り上がる伍代さんと篠原さんを背に、嫌な予感を押さえながら一ノ瀬さんに問う。
「杉本さんがどうかしたんですか?」
「んあ、そうだよな。まだ知らないか。でも……」
一ノ瀬さんは少し言葉に詰まり、そのまま小さく吐き出した。
「これはまだ公にはなってないけど、杉さん……
「……え?」
一ノ瀬さんの発した言葉の意味を理解するまで、いったいどれだけかかっただろう。
会社が懲戒処分を課すためには、就業規則に明確に記載していなければならない。
会社によって多少の違いはあるが、一般的に懲戒処分は幾つかのランクに分かれる。
戒告は口頭での注意、譴責は始末書の提出、出勤停止はその名の通り出勤が禁止される。
諭旨解雇というのは解雇ではあるものの会社の酌量によって両者の話し合いで退職したものになる。
そして懲戒解雇が最も重い処分で、いわゆる問答無用の“クビ”だ。
出勤停止ということは、かなり重い処罰になる。
一ノ瀬さんの話によると、管理職のメーリングリストでついさっきその情報が共有されたとのこと。つまり、処分が下されたのはここ数日のことだ。
「メールでは具体的な内容については伏せられてたんだけどさ。まず間違いなくあの仕入れの件だと思う」
だが、何故このタイミングでそんなことになるのか。
清洲さんから情報をもらい、組合がようやく動き出そうとしたときに。
「俺が丸井くんから聞いた限りだと、杉さんのところに証拠もリスクも集まってた。だから、外薗もそこは何重にもごまかしてたはずなんだ」
眉をひそめながら一ノ瀬さんが言う。
「なのに、誰にも気付かれないうちに懲戒にまで発展するなんて、考えられな……ああ、くそっ」
急に一ノ瀬さんが舌打ちをする。
「外薗だ。あいつが杉さんを切ったんだわ。それなら、こんなに早く懲戒処分が下されたのも説明がつく」
つまり、俺たちは外薗本部長に出し抜かれた。そういうことなのか。
「ここに来る前、杉さんに電話したんだけど、電源自体入ってなかった。メールも送ったけど、やっぱり音沙汰なし」
自分のスマートフォンを見ながら一ノ瀬さんが力の抜けた声で言う。
俺が、覚悟を決めるのが遅かったせいだ。
善は急げ、どころじゃない。
完全に、遅きに失してしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます