きっと、そう言うだろうと思ってましたから

 団体交渉だんたいこうしょう


 組合が団体交渉を要求した場合、会社はそれに応じなければならない。もちろん要求を全て呑む必要は無いが、要求に対する回答の根拠を示したり、必要な資料を提示したりと、対応しなければならないと、“団体交渉権”の中で定められている。

 言葉だけは中学の公民の授業で習ったけれど、自分がその権利を行使する立場になるとは思ってもみなかった。

 団交の場で公式に質問をすれば、会社側は同じく公式に応えなければならない。

 これ以上に効果的な手は無いかもしれない。でも――。


 何も残っていないケーキ皿を眺め、言葉を探す。

「丸井さんがおっしゃりたいことはわかります」

 ためらう俺に向かって、梅宮さんが言う。

「清洲さんの証言だけでは、外薗本部長の行動を追求する証拠としては弱いです」

 その通りだ。一従業員の証言だけで、会社がどこまで動いてくれるのだろうか。

 梅宮さんはそのまま続ける。

「なので、杉本さんの動向を調査するべきです。もちろん、こちらが悟っていることを気付かれないよう慎重に」

 気付かれないよう慎重に。

 その言葉を飲み込めず、俺は口に出す。

「それはつまり……こっちは知らないフリをして、杉本さんを泳がせた方がいい、と?」

 つい嫌な言い方をしてしまった。

 苛立ちを梅宮さんに向けても、何の意味もないのに。

「端的に言えば、そういうことです。それが最も効率的かつ確実な方法だと、私は思います」

 梅宮さんがはっきりと言い放つ。

 顔を上げると、視線がぶつかった。

 梅宮さんは澄ました顔で俺の目を見据える。

 眼鏡が無いせいか、いつもより彼女の本心が見える気がした。

 そこには他意も悪意も無い。

 そうだ。こうやって物事を合理的に考えられるところに、俺は惹かれたんだ。

 だから、俺は俺の思うことを、正直に話そう。正面からぶつけよう。


「……それは、できません」

 俺の返答に梅宮さんが溜め息をつく。

 でも、なぜか微笑んでいるようにも見える。

「たしかに梅宮さんの言う通りだと思うんです。でも、俺は杉本さんがどうして外薗本部長の言いなりになるのか、その理由が、本心が、知りたいんです。杉本さんをだまして探しても、きっとそれはわからないから……。だから、俺はちゃんと杉本さんから話を聞きたいです」

 答になっていないかもしれないが、今俺が思うことをそのまま言葉にする。

「ふふっ」

 梅宮さんの顔がほころぶ。

「あの……なんで笑うんですか?」

「なんとなく丸井さんはきっと、そう言うだろうと思ってましたから」

 どういうことだろう。

「そういうところ、なんでしょうね、きっと」

 どういうところだろう。

「丸井さん。そうやって他人と真正面から向き合おうとするのは、とても素晴らしいことだと思います。私にはできないことです」

 梅宮さんから面と向かって褒められたのは初めてかもしれない。

「他人が心の底で何を抱えているのかなんて誰にもわかりません。でも、丸井さんみたいに向かい合うことで、見えてくるものがあるのかもしれませんね」

 梅宮さんにそう言われると、なんだか誇らしく思える。

「ですが……余計なことだとわかってはいますが、一つだけ言わせてください。相手を信頼することと、盲信することは違います。無条件に信じるのは、信じるに足る相手だけにしてくださいね」

 梅宮さんがそう言いながら、真剣な目で俺を見る。

 それはきっと、労務担当者としての仕事の中で彼女が学んだこと。

「わかりました。肝に、命じます」

 俺の返答を聞いた梅宮さんは顔を緩め、席を立ちながら言う。

「では、そろそろ出ましょうか。少し混んできましたし」

 そう言われて辺りを見回すと、いつのまにか席がほぼ埋まっていた。話に集中していて、全く気付かなかった。


 会計の際、今日はこちらが誘ったのだから俺に支払わせてほしいと言っても、梅宮さんは頑として聞き入れず、支払いは割り勘となった。こういうところも梅宮さんらしいというか。


 そのあと、どちらともなくそのまま繁華街をぶらぶらと歩き、せっかくだからと俺はスマホを買うことにした。

 使い方を教えてもらうため、梅宮さんと同じ機種にしたが、俺の使っていた携帯電話が古すぎて電話帳を移行できず、仕方なく手入力で打ち込むことにした。


 最初に登録したのは、梅宮さんの電話番号とメールアドレスになった。

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