おかしなところ、全部ぶっ壊しちゃえばいい
「はあ? なに言ってんすか?」
まず反応したのは伍代さんだった。
「ええと……すみませんが、おっしゃっている意味がよくわからないのですが」
続いて篠原さんが嫌悪感を示す。
きっとこれが当然の反応なのだろう。
俺だって、外園本部長の反応を見ていなければ、理解できなかっただろう。梅宮さんの推察を聞いていなければ、同じように戸惑っていただろう。
「そんなん、あるわけないっすよ。ねえ、丸井さん?」
「……丸井さん?」
二人が困惑した目で俺を見る。
清洲さんも俺の方を向いたまま黙っている。
みんなが俺の反応を待っている。
俺が聞くべきことは何だ? 何を確認すればいい?
そもそも清洲さんの言葉を信じていいのか? このこと自体が外園本部長の差し金の可能性だってあるかもしれない。
頭のなかでたくさんの疑問がぐるぐる回って立ち眩みをしてしまいそうになる。
――数学では、最初に仮定をしなければ、推論は進みません。
不意に、梅宮さんの澄んだ声が頭の中で響く。
あの不器用な人が、言葉にしてくれたこと。
そうだ。
相手を信じなければ、前には進めない。
「……清洲さんがそう考えた理由を、教えてもらえますか?」
清洲さんは少しだけ驚いたように、そして同時に笑ったように見えた。
「うん、ええとね。直接的な証拠があるわけじゃなくて、状況証拠なんだけど、さ。外薗本部長ってすごく慎重でね。なにか裏話をするときはサウナとかを使うし、ね」
「サウナ、ですか?」
「うん。隣駅にある大きな銭湯のサウナ。レコーダーとかに録音されないように、ってことだと思う、よ」
うっわ気色悪ぃ、と伍代さんが小さく呟く。
篠原さんも大きく眉をしかめている。
「ああ、ごめん。いきなり話が逸れたね。えっとさ、ちょっと前にある部署で返品が大量発生して、予算修正があったの覚えてる、かな?」
「ええ、もちろんです。そのせいで、一ノ瀬さんの部署が特に大変な目に遭ってますから」
予算が上積みされて、一ノ瀬さんは身体を壊すまで働くことになった。忘れるわけがない。
「あれさ、責任の所在が曖昧になっちゃってるんだけど、それも当然なんだよ、ね。返品されたってことになってるけど、そもそも納品の記録がないんだ、よ」
「……つまり、実際に注文が無いのに、仕入れだけがされたってことですか?」
「うん、そういうこと。でね、元を辿ればその商品の仕入れ担当者って、杉本さん、なんだよね」
全く知らなかった。
杉本さんも、何も言わなかった。言ってくれなかった。
「まあ、ボクも前に仕入部にいたことがあるから知ってるだけなんだけど。それでね、その商品のメーカーって、外薗本部長が昔から懇意にしてるとこ、なんだ」
たしかに、これで杉本さんと外薗本部長との繫がりが明らかになった。
だけど、それだけで判断できるものだろうか。
「ずっと仕入部でやってきた杉本さんが、そんなミスをするわけがない、よね。それに、返品になって在庫を抱えることになったけど、大量に仕入れをしたのをきっかけに来年はウチの会社が総代理店をするってことになったんだ、よ」
総代理店というのは、その商品を専売できること。そんな契約を結ぶことができれば、営業としては大きなメリットだ。
「……そこまで見込んだ上で、架空の発注をしたってことですか」
「そう、だね。でも、普通そんなこと会社が許すわけがないし、実際そのせいで予算修正まで起きてるから、ね。だから、これは外薗本部長の独断、だと思う」
少しずつ、話が繋がっていく。
だが、大きな疑問が浮かぶ。
「なんでそんなこと清洲さんが知ってんすか!? それも状況証拠っすか!?」
俺が聞こうと思ったことを、伍代さんが先に質問した。
「あ、ああ。説明が下手でごめん、よ。えっと、ね。このことについては、間違いない、よ」
「なんでっすか!?」
「え、えっと、ね。その仕入先の社長さんが、この前、横浜の中華街でお礼の食事会を開いてくれたんだ。で、でね、それに参加してたのが、外薗本部長とボクと、杉本さん。総代理店の話は、そこで聞いたんだ、よ」
「っ……!」
伍代さんが言葉に詰まる。
篠原さんも俯いたまま動かない。
「……どうして清洲さんも食事会に呼ばれたんですか?」
また一つ、疑問が浮かんだので、今度は俺が聞く。
「うんとね、これは推測なんだけど、きっと注文の記録で営業担当者の名前が無いのはまずいから、ボクの名前を使おうとしてたんじゃないかな。ほら、人事部預かりで転々としてたら、記録も追いづらいし、さ」
淡々と清洲さんが答える。
「でも、さ。今回、正式に第三営業部配属になって、それっきり外薗本部長からは全く連絡が来なくなって、ね」
「なるほど……」
外薗本部長と杉本さんとの繫がりは、きっと間違いないんだろう。
だとしたら、外薗本部長に組合の情報を流していたのも杉本さんだろう。
「杉本さんの件は……これからどうするかは、考えてみます。でも――」
今、どうすべきかは全然わからない。
でも、最後にこれだけは聞いておきたい。
「――どうして俺たちに教えてくれたんですか?」
清洲さんは少し困った表情を見せて、これまでで一番ゆっくりと話す。
「……なんで、だろうね。自分でもよくわからない、や。まっすぐな善意に、お返ししたくなったから、かな」
まっすぐ。
前に、誰かからも似たようなことを言われた気がする。
「どう言えばいいんだろう。ちゃんと働くって、楽しいじゃない? いや、もちろんしんどいし、大変なんだけど、さ。それでも、なんていうか満足感っていうか、充実感っていうか、さ。前向きになれる気がして。会社に入った頃みたいに、戻れたから。だから、そのお礼、かな」
頬を掻きながら、恥ずかしそうに清洲さんは席を立った。
「丸井くんたちってさ、まっすぐだから」
書記局の扉に手をかけながら、清洲さんが言う。
「だから、きっと曲がっちゃった人の気持ちはわからないかもしれない。でも、それでいいと思う、よ。そのまま、この会社のおかしなところ、全部ぶっ壊しちゃえばいい」
そう言い残して、清洲さんは出て行った。
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