お前の力が必要だと声をかけてくれることが

「……その節は、どうもありがとう。おかげで、現場に戻ることができたよ」

 そう言いながら、清洲さんは俺の向かいに座っていた伍代さんの隣に腰を下ろした。

 一つ横の席に移動した伍代さんが、不思議そうに清洲さんを見ている。

「あんなに細かく丁寧に教えてもらったの、この会社に入って初めてで……。本当に助かったよ。ありがとう」

 ここ数ヶ月、電話でのやり取りは頻繁にしていたものの、こうして直接顔を合わせるのは清洲さんが経営協議会に乗り込んできた日以来だ。あの時とは全く印象が違う。

「へえ。丸井さん、私たちの知らないところで色々とフォローされてたんですね」

 俺の隣に座った篠原さんが感心した目で俺を見る。

 いや、俺はただ引継書には書き切れないような細かな内容について、聞かれる度に逐一伝えただけだ。

 相談内容のなかには基本的なパソコンの使い方などもあったが、それは会社側が従業員を教育できていない証拠でもある。そういった現場で足りていない部分を見つけて会社に指摘するのも組合の仕事なのかもしれないと気付かされた。

「伍代クンも久しぶり、だね。……委員長、大変だね」

「……どもっす」

 二人が若干ぎこちなく会釈を交わす。

「委員長もいるなら、ちょうど良かった。篠原さんとも偶然会って、来てもらったんだよ。ちょっとみんなに伝えておきたいことがあって……ね」

「伝えたいこと、ですか?」

 篠原さんに目を向けると、俺と同じように軽く首をかしげている。彼女もまだ内容を聞いていないようだ。

「ええと、何から話せばいいかな……。とりあえず、ボクが第三営業部に異動になったときのことから、がいいかな」

 どうしてそんな話を、という疑問をいったん飲み込み、清洲さんの言葉を待つ。

「もしかしたら、もう気付いてるかもしれないけど……、丸井クンと入れ替わりにボクが第三営業部に配属になったのは、外園本部長が決めたことなんだ」

 薄々は感じていたが、やはりそうだったのか。

「そのとき、本部長はボクに、仕事は何もしなくていいって。斉藤部長の管理職としての適性を確認するためだ、ってそう言ってね」

 数ヶ月前に第三営業部の人から聞いた言葉が頭に浮かぶ。

 ――あの人、全然仕事してないみたい。今日も朝一で斉藤部長が謝りに行ってるしさ。そもそもなんでウチに来たのか、わかんない。

「あとは、組合専従のときに得た知識を活かして、今の人事部や組合の在り方を問いただすようにって。それができるのはボクだけだって」

 数ヶ月前、清洲さんが書記局に来たときのことを思い出す。

 あのとき漠然と抱いていた違和感があった。経営協議会に乗り込んでまで主張するような人が、どうしてああもあっさりと引いてくれたんだろうか。

 その疑問に合点がいった。あれは本人の意思じゃなく、上からの命令で動いていたからだ。

「ちょっとおかしくないっすか? なんでそんな言いなりになるんすか……?」

 伍代さんが不満げに問う。

 俺もそれは気になった。そもそも、どうしてそんな不合理な命令を聞かなくてはいけないのか。

「……ボクが専従から現場に戻るとき、なかなか配属先が見つからなくて、ね。半ば無理矢理に空いた部署にねじ込んでもらったんだけど、うまく対応できなくって。そのあとも部署が転々と変わってたら、いつのまにか“人事部預かり”になって、さ。……あれって要するに戦力外通告ってことなんだよ、ね」

 沈痛な面持ちで、清洲さんが語る。

「ヤケを起こしそうになってたとき、ボクを引き取ってくれたのが外園本部長で、さ。ボクにしかできない仕事があるって言ってくれて……。自分の言うことを聞いていれば、そのうち人事部預かりじゃなくて正式な配属に戻すってまで言ってくれて、ね」

 ああ。俺には清洲さんを責められない。

「外園本部長はすごい人だよ。やり方に多少問題があるかもしれないけど、この人についていけば自分は大丈夫なんだ、会社は大丈夫なんだって思わせてくれる」

 この会社に居場所が無い。そう感じたとき、お前の力が必要だと声をかけてくれることが、どれだけ嬉しいか。どれだけ救われるか。

「あ、前置きが長くなってしまったね。話が下手でごめん。ここからが本題だよ」

 ここまでの話が前置き。そして、ここからが本題。

 もしかして清洲さんが言おうとしていることは――。

「外園本部長には、ボクみたいになんでも言うことを聞く人が何人もいる。派閥って言えばわかりやすいかな」

 清洲さんは、ここに来るとき篠原さんと偶然会って連れてきた。

 伍代さんもたまたま書記局にいて、ちょうどいいと言っていた。

 そして、清洲さんはずっと外園本部長の話をしている。

「全部でどれくらいいるかはわからない。けど、少なくともいろんな部署にいて本部長に重要な情報を渡すんだよ」

 今ここにいないのは――。

「……言いにくいんだけど、組合にも同じような人がいる。いつからかはわからないけど、少なくともここ数年は外園本部長の影響下にあるのは間違いない、よ」

 伍代さんも篠原さんも、眉をひそめて困惑している。


 杉本さん。


 当然のように清洲さんの口から出てきたその名前が、書記局の中で響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る