最初の段階では、そこまでは変わらなかった

 本人の談によると、一ノ瀬さんは自炊をする習慣が全く無いため、療養期間はほとんどインスタントラーメンなどで済ましていたらしい。出勤していたときはまだ外食も時折していたようだが、療養中は自宅にもってしまい、さらに不摂生になったというのは皮肉な話だ。

 そんな生活では体調を崩すのも当然のこと。あの人、仕事はすごくできるのに、プライベートは抜けているというか隙が多いというか。

 ということで、お見舞いがてら栄養のれる簡単な料理を作ることになっていた。梅宮さんが同行することになったのは想定外だったが、それでも当初の予定通りスーパーマーケットに立ち寄ることにする。

 アパートの裏に大きな店があると一ノ瀬さんから聞いていた通り、目的地が近付くと大きなスーパーが目に入った。ここなら品揃えも十分だろう。


 キャベツ、タマネギ、カブ、セロリ、パプリカ、ジャガイモ、ブロッコリー、ソーセージ、コンソメ。

 頭の中のメモを追いながら、プラスチックのかごに入れていく。

「本当に、料理できるんですね……」

 隣を歩く梅宮さんが感心したように言う。

 梅宮さんと一緒にスーパーで買い物をしているという事実が妙にむずがゆく、どうにも落ち着かない。

「簡単なやつですよ。病人でも食べやすくて野菜を採れるものだと、ポトフあたりかなと」

 かごの中身をチェックして、過不足が無いことを確認する。

「ポトフ……すごい……」

 いや、全然すごくない。材料を切って手順通りに煮込むだけだ。失敗する方が難しい。

「ポトフ……おしゃれ……」

 さっきから梅宮さんがぶつぶつと呟いているが、気にせず会計を済ませる。

 

 スーパーの裏には、教えてもらった通り、ごく一般的な二階建てのアパートが建っていた。部屋番号を確認しながら、二階の奥まで進むと、[一ノ瀬]という手書きの表札が見えた。

 初訪問に少し緊張しながら、インターホンを押すと、扉の向こうから足音が近付いてくる。

「おっす、久しぶり! いやー、ありがとね! 梅宮さんもわざわざどうもです!」

 ドアが開くと、上下のスウェットに身を包んだ一ノ瀬さんが出迎えてくれた。思ったより元気そうで安心した。


「来週には復帰するんですよね。体調はもう大丈夫なんですか?」

 六畳ほどのリビングで、ローテーブルを“コの字”で囲むように座る。俺の向かいに一ノ瀬さん、俺と一ノ瀬さんの間に梅宮さんが腰を下ろす。

「もう全然おっけ。休み過ぎて逆に体調崩しちゃったよ」

 いまいち意味がわからないが、とにかく大丈夫なようで良かった。

「ちゃんとご飯は食べてくださいよ。とりあえず、材料買ってきましたから」

「ありがてえ。マジありがてえ」

「じゃ、キッチン使わせてもらいますね」

 リビングを出て、玄関の方にあるキッチンに向かう。

 さっきから梅宮さんが所在無さそうにしているので、一応声をかける。

「えっと、梅宮さんはどうします? もし良かったら、作るのを手伝ってくれますか?」

「あ、はい。お手伝い、します」

 あれ? 手伝ってくれるのか。

 わざわざ一ノ瀬さんの家にまで一緒に来たということは、一ノ瀬さんに大事な用事があるのかと思ったのだが、本当に労災の書類を渡すためだけに来たのか。でも、それなら俺に預けてくれればいいような気もするが。

「包丁も鍋もまな板も買って全然使ってなかったから、これでようやく浮かばれるわー」

 そんな一ノ瀬さんの気の抜けた声が扉の向こうから聞こえる。


 ピカピカの包丁を使い、野菜をどんどん切っていく。

 始めは梅宮さんに切ってもらおうとしていたが、包丁を持つ手があまりにもおぼつかなかったため、急遽水洗いを担当してもらうことにした。

 実家暮らしということだし、あまり料理はしないのかもしれない。

「……このような具合でよろしいでしょうか?」

 ざるに入った野菜をこちらに見せながら、梅宮さんが上目遣いで恐る恐る聞いてくる。自信たっぷりに喋る普段とのギャップに、少し胸の奥がむず痒くなってしまう。

「あ、はい。ありがとうございます。じゃあ、次はお皿を用意してもらえますか。一応、軽く洗ってください」

「承知しました」

 梅宮さんが慣れない手付きで皿を洗うのを横目に見ながら、ポトフ鍋の味を整える。

 コンソメや塩胡椒の量を調整して、何度か味見をする。

 ふと横に顔を向けると、不思議なものを見るように梅宮さんがこちらをじっと眺めていた。

「ん。梅宮さんも味見します?」

 反射的に、スープの入った小皿を差し出す。

「は、はい」

 小皿を渡したあたりで、ようやく気付いた。

 これは、間接――。

 気にするでもなく、くいっと飲み干した彼女は少し笑ったように見えた。

「とても……美味しいです」

「……よかった、です」

 空になった小皿を受け取る。

 そろそろジャガイモも煮えるころか、なんてことを頭の片隅で考えていたとき、梅宮さんがゆっくりとした言葉で俺に投げかける。

「あの……、スマホの使い方を、私が教えますので……、今度、料理を私に教えて……もらえませんか」

 リビングの扉の隙間から、一ノ瀬さんがニヤニヤしながら見ているのに気付いたのは、はい喜んで、と俺が返事をしたあとだった。



「よっしゃ! ビール飲も! ビール!」

 出来上がったポトフ鍋を三人で囲みながら、一ノ瀬さんが缶ビールを差し出してきた。

「ええと……私は遠慮しておきます」

「あれ? お酒キライです?」

「いえ、そういうわけではないんですけれど」

 梅宮さんが俺を見る。

「……一杯くらいなら、いいんじゃないですか?」

 梅宮さんに向けて軽く頷く。

 前回の記憶によれば、最初の段階では、そこまでは変わらなかったはず。

「……では、少しだけ」

 さっきからずっとニヤニヤしていた一ノ瀬さんの笑顔が一段と強くなる。

「よっしゃ! んじゃ、かんぱーい!」


 こうして、不思議な宴会が始まった。

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