誰かが、故意的に内部の情報を漏らしている
「はー、ごちそうさんでしたー。がっつり栄養補給できた感じー」
お腹をぽんぽんと叩きながら一ノ瀬さんが満足そうに言う。
「残った分は冷蔵庫に入れて、早めに食べてくださいね」
「おっけー。あ、ビールおかわり飲む?」
目の前の缶を振る。中身はまだ半分近くある。
「俺はまだあるんで大丈夫です」
「梅宮さんは?」
「えっと……。いえ、私も今日はこれくらいにしておきます」
名残惜しそうに梅宮さんが言う。
「遠慮しなくていいですよん。ビールだけはいっぱい買い込んでるんで」
そう言って一ノ瀬さんは冷蔵庫から二本取り出してきて、一本を梅宮さんの前に置く。
まあ、二本目ならまだ大丈夫だろう。
「あ、そうだ。これ、伍代さんからです」
「おお! やっぱ現像すると違うんだなあ! 飾っとこ!」
伍代さんから預かっていた写真を渡す。
二ヶ月ほど前に三人で登山をしたとき、山頂で撮影したものだ。
「仲が良いんですね」
梅宮さんが写真を覗き込む。
「会社の同僚と休日を過ごすくらいの関係性を築けるって、少し羨ましくもあります」
いつもの梅宮さんからは聞くことのできない言葉に、一ノ瀬さんが少し驚いている。
お酒の力って、やっぱりすごい。
「私も忘れないうちにお渡ししておきます。労災の申請書です。病院への立て替え払いもあるでしょうし、早い方が良いかと思いお持ちしました」
梅宮さんはカバンから会社のロゴの入った封筒を取り出し、一ノ瀬さんに手渡した。
「これを渡すためにわざわざウチまで来てくれたんです?」
「……いえ、これは建前です。本題に入ってもいいですか?」
そう言って、梅宮さんは二本目のビールを一気に飲み干した。
ああ、これはきっと、言いづらいことがあるときの景気づけ。
なんとなく、わかるようになった。
ただ、前回と同じにはならないよう、飲ませ過ぎないように注意しないと……。
「実は……安全衛生委員会の活動予定について、外薗本部長に情報が漏れていました。私は、誰かが情報を渡したのだと、考えています」
「んん? どゆこと?」
「組合執行部か人事部の誰かが、故意的に内部の情報を漏らしている、ということは前からわかっていました。ですが、誰が内通者なのか。それは見当もつきませんでした。昨日までは」
一ノ瀬さんは何も言わず、梅宮さんの言葉の続きを待つ。
「昨日の抜き打ち巡視のあと、丸井さんと一緒にいるとき外薗本部長とお会いしました。その際、本部長は私たちが巡視をしていたことを知っていました」
「抜き打ちなのに、知っていた。だから、内通者がいる、と?」
「それだけではありません。本部長は、とても頭の良い方です。私たちに、自分は知っているぞ、ということを意味も無く知らせるとは思えません。内通者の存在を、あえて臭わせたのだと推測します」
「それは、組合や人事が何をしようが自分の手の内だって、そんな感じのことを言いたかったってことですかね?」
「ええ。一つは
そこまでは俺も同意見だ。
でも、一つは、ということは、他にも意味があるということだ。どういうことだろう。
「丸井さん、昨日外薗本部長が言っていたことを覚えていますか?」
突然、話を振られて戸惑う。
「えっと……、自分と話すときはレコーダーを持った方がいい、とか。あと、一ノ瀬さんからレコーダーをもらったんだろうとか、意味がわからないことを言ってましたね。あ、俺が機械音痴のことも何故か知ってました。そんなに有名なんですかね……」
「そうです。本部長は突然、一ノ瀬さんの話を持ち出してきました。確認ですが、一ノ瀬さん。先ほどの丸井さんの話に心当たりはありますか?」
一ノ瀬さんが急に真剣な顔になる。
「……レコーダー、確かに俺は自分のを持ってる。そのうち丸井くんにあげようと思ってたけど、すっかり忘れててまだ渡してなかった。でも、なんであいつが……?」
「おそらく外薗本部長は一ノ瀬さんがまだ渡していないことを知らなかったのでしょう。既に渡していると思って、一ノ瀬さんの名前を出したのだと思われます」
「なんで?」
俺と一ノ瀬さんが同時に問う。
「
俺も一ノ瀬さんも黙り込んで考えてしまう。
少しだけ漂った沈黙を破ったのは一ノ瀬さんだった。
「……俺がこう言うのもなんだけど、俺が内通者じゃないってのは、どうしてそう思ったんです?」
「本部長が一ノ瀬さんの名前を出したからです」
梅宮さんは即答するが、理解が追いつかない。
「もし本当に一ノ瀬さんが内通者であれば、組合内でのショックは計り知れません。そんな重要な事実を、あんな些細な形で露わにするとは思えません。あからさまなミスリードです」
なるほど、と一ノ瀬さんが小さく呟く。
「一ノ瀬さん。レコーダーを丸井さんに渡す予定だったということを知っているのは誰ですか?」
「……執行部、みんな知ってると、思います」
苦しそうに、一ノ瀬さんが漏らす。
梅宮さんが言うことは理に適っているとは思う。でも、そうだとしたら――。
「では……容疑者は二名ですね」
容疑者。組合執行部内に内通者がいる、ということ。
そんなことがあるのだろうか。
考えたくはないが、頭では勝手に推論を進める。
「……ちなみに、俺と丸井くん以外に誰が外れたんです?」
杉本さん。篠原さん。伍代さん。この中から一人が外れた。
「もちろん伍代さんです。一ノ瀬さんの部署への抜き打ち巡視決行は急に決まりましたので、巡視を行った私と丸井さんと伍代さんしか知らなかったと思います」
梅宮さんが俺を見る。推論を補足してほしい、ということだろう。
「ええ、一ノ瀬さんの部署だけは、当日に決めました。俺が出来るだけ早くやりましょうって主張して。なので、執行部内での共有は、巡視の後でした」
梅宮さんが頷いて、言葉を続ける。
「もし伍代さんが内通者であれば、あのタイミングに外薗本部長が当事者として居合わせるとは思えません。もし、ここまで考えることを計算して仕組んでいるのだとしたら、もうお手上げですが」
「いや、たぶんそれはないですね。
一ノ瀬さんはそう言ったあと、黙ってしまった。
俺も何も言えなくなってしまった。
杉本さんか、篠原さん。そのどちらかが、もしくはその両者が、組合の中の情報を外薗本部長に漏らしている。
どうして? なんのために?
「嫌な話をして、すみません……」
梅宮さんがぽつりと言う。
いや、謝るべきはこちらだ。嫌な話をさせてしまった。
本来なら、俺が気付くべきことだったのに。
「ねえ、丸井くんはどう思う?」
一ノ瀬さんが天井を仰ぎ見ながら言う。
「……そうですね。本部長が言ったことは事実なので、梅宮さんの言う通りだと思います。信じたくはない、ですけど」
「だよねえ。信じたくないよねえ」
俺も一緒に天井を見上げる。
電灯に埃がたまっている。
「おそらく」
梅宮さんの声で俺も一ノ瀬さんも視線を戻す。
「こうして疑心暗鬼にさせることこそが外薗本部長の目的だと思われます。ですから、まずは通常通り過ごしましょう。そして、もし新しい情報が入ったら共有しましょう。今やれることをやりましょう」
前向きな言葉に胸を打たれる。
そうだ。その通りだ。
まずは今やれることを探そう。
あまりにも唐突な事実に衝撃を受けたにも関わらず、穏やかな気分で帰路につくことができたのは、きっと梅宮さんのおかげだ。
電車の中で、隣に座った梅宮さんの重みを肩で感じながら、そんなことを思う。
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