問題の緊急度が、少しだけ上がった気がした
終業後、少し余裕を持って待ち合わせの公園へ向かう。
冷たく乾燥した師走の風が吹き抜ける。
俺が書記局に来たのは7月だったから、もうちょっとで半年が経つ。気付けば時間が過ぎるのはあっという間だった。この半年間、書記長としてどれだけのことが出来ただろうか。
公園の広場に着いてあたりを見回すとすぐに、ベンチに座っている梅宮さんを見つけた。電灯の下、丈の長い白のダッフルコートに身を包み、長いマフラーと手袋まで身に付けた彼女は、何故かいつもより小柄に見えた。
俺が来たことにはまだ気付いていない。むすっとした顔でスマートフォンの画面を覗いている。別に機嫌が悪いわけではなく、これが梅宮さんの通常の表情だということが、ようやくわかってきた。
ふと、初めて梅宮さんに会ったときのことを思い出す。
第一印象はひどいものだった。初めて挨拶したとき「慣れ合うつもりはない」と突き放され、会話をする度に盛大に溜め息を吐かれた。議論ではなく、論破しにかかる姿勢にはうんざりもした。労務担当と専従書記長は、会社と組合それぞれの窓口のようなもの。一ノ瀬さんにそう説明を受けたときは、正直に言って目の前が真っ暗になった。
だけど、いつからだろう。
清洲さんが会議に乱入してきた日? 猫を一緒に触った日? 梅宮さんの絡み酒に付き合った日?
きっかけは幾つかあったかもしれない。
でも、きっと明確な区切りなんて無いように思う。
意外な一面を
梅宮さんを意識してしまっている自分がいた。
でも、だからと言って、今すぐにどうにかしたいわけじゃない。
考えるほど落ち着かなくなるこの問題、重要度は高いが緊急度は低い。
言わずもがな、業務の優先順位は緊急性の高いものから。
この件は保留にして、まずは目の前の仕事を片付けていこう。
「お待たせしました。行きましょう」
一ノ瀬さんのアパートの最寄り駅で電車を降り、文庫サイズの地図を開く。教えてもらった住所には赤ペンで目印を入れておいた。
だが、初めて来た駅なので、いまいち方角が分からず、目印になる建物を見つけるのに手間取ってしまう。
「……随分とアナログなんですね。丸井さんらしい気もしますけれど」
地図を覗き込みながら梅宮さんが言う。ちょっと顔が近い。
「もし良かったら、地図アプリを使いましょうか?」
「地図……アプリ?」
「ご存じないですか? スマートフォンのアプリケーションで案内してくれるんです」
なんと。そんな便利なものがあるのか。
「ええと、じゃあお願いします」
梅宮さんは慣れた手付きで住所を打ち込むと、スマートフォンから音声が流れ出し、淡々と道案内を始めた。
話には聞いていたが、スマートフォンとはここまで便利なものなのか。
「丸井さんはスマホにしないんですか?」
一ノ瀬さんのアパートまでの道を案内するスマホを片手に、梅宮さんが言う。
「恥ずかしながら、そういう新しい電子機器には弱くって」
パソコンなら全く問題ないのだが、小さな液晶画面の類いは苦手意識が拭えない。指でシュッとする仕草には若干の憧れはあるものの、今の携帯電話で不便というわけでもない。
「そうなんですか。丸井さんならきっとすぐに慣れると思いますけれど」
少しためらうようにして、梅宮さんが続ける。
「……もし、スマホにしたときは、私が色々教えて差し上げますし」
その一言で、自分の中の何かが動いた。
「じゃあ……買い換えてみようかな」
周りの人間がスマートフォンに換えていくなか、自分は流行に流されまいと固執していた意地のようなものが、こんなにもあっさりと崩れたことに驚いた。
「あの……よかったら、機種を選ぶのに付き合ってもらえませんか?」
自分でもなんでこんなことを言っているのか、わからない。
つい、そんな言葉が続けて出てしまった。
一瞬、梅宮さんは驚いたような表情を見せ、すぐにいつもの無表情に戻る。
「……わかりました。では、私の知る限りの情報を共有いたします」
あまりにも事務的な言い方に理解が遅れたが、どうやら許諾は得られたらしい。
胸の奥で、この問題の緊急度が、少しだけ上がった気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます