一筋の光明のようなものが分厚い雲を抜けて

 月曜日の始業前。

 労働組合書記局の扉をノックします。

 今日は謝罪のために立ち寄らせていただきました。


 中から、どうぞ、という声が聞こえたので、扉を開けて中に入ります。

 経営協議会のため隔週で来ているはずの書記局ですが、いつもと時間帯が違うせいか、まったく異なる雰囲気を感じます。

 丸井さんもちょうど出社したばかりのようで、パソコンを立ち上げているところでした。


「あの……週末は大変申し訳ありませんでした。お恥ずかしいところを見せてしまって……」 

 もちろん謝罪のメールもお送りしましたが、やはり直接お詫びをしなければ気が済みません。

「しかも、家にまで送っていただいたようで……。その、覚えてはいないのですが……。あの、これはご迷惑をおかけしたお詫びです」

 詫びの品として最適なものは何かと母に聞いたところ、この最中もなかを教えてもらいました。切腹をしたいくらい申し訳ないときにお渡しするものだそうです。

 今回の状況には最適な贈り物だと判断し、土曜日に購入をしました。

「いえいえ、そんな気にしなくていいですよー」

 笑って丸井さんは言ってくれますが、私としてはそうもいきません。

 ずい、と箱に入った最中を丸井さんに押し付けます。

「……じゃあ、お言葉に甘えて。執行部のみんなでいただきますね」

「え、あ、いえ! 丸井さんだけで食べてください!」

 お詫びの品の共有は、私の醜態の共有に他なりません。いくらなんでも、それだけはご勘弁願いたいところです。

「あー、えっと、わかりました。ありがたく、俺一人でいただきます」

 お詫びというよりも口止め料のような形になってしまいましたが、無事に受け取っていただくことができました。


「メールの件も、申し訳ありませんでした。せっかくの休日なのに、あんなメールを書かせてしまって……」

 土曜日の朝、丸井さんは私の出した『宿題』に対して、律儀にメールをお送りくださいました。

「いえいえ、自分でもあらためて考えるいい機会になったので。むしろ、あんな長文のメールを送りつけてすみません。書いているうちに自分でも筆が乗ってしまって」

 笑いながら丸井さんは言います。

 そう、とても長いメールでした。とても熱く、想いのこもったメールでした。

 あのメールを読んだとき。

 一筋の光明のようなものが分厚い雲を抜けて差し込んだ気がしました。

 ずっと心の奥で引っかかっていたものの正体がわかったような気がしました。


 私が頑張れるように、丸井さんは頑張ってくれる。

 そう思うと、まだやれることはたくさんあることに気付くことができました。


「ところで、本日の“安全衛生委員会”の件なのですが」

 ちょうど今日は月に一度の会議がある日です。

 週末、丸井さんのメールを読みながら、思い付いたことがあります。

「少し相談をさせてもらえますか?」

「え、はい! もちろんです」

 丸井さんは勢いよく首を縦に振ってくれます。

「そもそも、今の安全衛生委員会の活動について、丸井さんはどう思われますか?」

 できるだけ率直に聞きます。

 そうすれば、きっと丸井さんも率直に返してくれます。

「え、ええと。……そうですね、今のままだと、あんまり意味がないんじゃないかって思います」

 そう。丸井さんならそう言うと、そう言ってくれると思っていました。

 “衛生委員会”や“安全衛生委員会”は、一定以上の従業員を持つ職場で必ず置かなければならないと法律で決められています。

 社内での“会議”は数多くありますが、法的に義務づけられている会議は、役員会、株主総会、そして安全衛生委員会の会議くらいしかありません。

 安全衛生委員会というのは、それくらい重要なものであるにもかかわらず、多くの従業員はあまり関心を示しません。委員会に属している者ですら、それは同じです。

「ですよね。私も同意見です。事務仕事が多い職場ですから、安全面では特に言うことはありません。ですが、職場での超過残業問題は少なからずあります。その対策を練らなくてはいけません」

 整理整頓は大事ですが、それだけを見回っていても意味がありません。

「以前、丸井さんが提案してくださったパソコンの起動時間のログを取れないかという話、覚えてますか?」

「もちろんです!」

「そのログ、実は先週末に取得することができたんです」

 おお、と丸井さんが感心してくれます。

 ですが本題はここからです。

「実は、一ノ瀬さんの部署が、というより、一ノ瀬さん自身の実質勤務時間が、異常なことになっています」

「ええ?」

「そして、それには理由がありました。……これはオフレコでお願いします」


 予算の修正をする際、外薗本部長による恣意的な操作が加えられたこと。

 一ノ瀬さんに対する個人的な感情から、その部署に大きな予算が上乗せされたこと。

 屋代部長からオフレコと言われたことですが、私はそれを丸井さんにお伝えしました。この人であれば伝えても大丈夫。そう判断して、お話ししました。

 屋代部長が“オフレコ”と言うときの気持ちが、ほんの少しわかった気がします。


「それで、私としては残業の実績の多い職場について、巡視を強化したいと考えています」

 丸井さんは黙ったまま私の話を聞いてくれています。

「それを今日の会議で私から発案しようと思います。賛同していただけますか?」

 つまり、これは根回しです。

 人事部である私と、組合書記長である丸井さんから同じ意見が出れば、活動に消極的な他のメンバーからはおそらく反対意見は出ないでしょう。

 少し卑怯な手段かもしれませんが、円滑に進めるために必要なことです。


 しばらく黙り込んだあと、丸井さんは思い付いたように言いました。 

「……どうせなら、それ、抜き打ちでやりませんか?」

 丸井さんは面白いイタズラを考えた子供のような顔をしています。

「え、ええと、さすがにそれは、どうでしょうか。他のメンバーの承認がおりるかどうか」

 そこまで思い切ったことをするのは、さすがに反対意見が出てきそうな気がします。

「いえ、大丈夫です。俺が発案して、梅宮さんが賛成してくれれば、きっと誰も文句は言いません」

 ……この人は、私と全く同じようなことを考えたようです。


 ――丸井くんと梅宮さんは似た者同士だから、きっと上手くいくよ。

 そういえば、以前誰かに言われたことを、ふと思い出しました。


「わかりました。それで、いきましょう」


 私と丸井さん。

 人事部と労働組合。

 その共同戦線は、こうして始まりを告げました。

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