私の部屋にある事に、妙なむずがゆさを感じ
ぱちり。
そんな音が聞こえるような、爽快な目覚めでした。
完全に熟睡をしたようです。
いつもと変わらない私の部屋です。
身体を起こしながら、いくつかの違和感に気付きました。
部屋の明かりはつきっぱなし。
衣服は昨日と同じブラウスとスカート。
眼鏡も身に付けたまま。
そして、何より昨晩の記憶がありません。
ちょっと待ってください。
昨日はたしか――。
丸井さんに相談をしたくて会社のパソコンからメールを送りました。
そして、夕食をご一緒することになって……。
その後の記憶がありません。
非常によろしくありません。
――頑張ってください! 私の脳細胞!
――思い出してください! これは死活問題です!
必死で記憶を探っていると、部屋のドアがノックされ、入るわよー、という明るい声とともに母が入室してきました。
「あら、よく寝たみたいね。もう9時よ」
母の言葉に血の気が引きます。完全に遅刻です。
「え……、ど、どうして起こしてくれなかったの!?」
「へ? なにか用事でもあったの? あ、もしかしてデート?」
母の態度でようやく気付きました。
今日は土曜日でした。
「あ……ごめん、勘違いしてた。って、デートってなによ」
「あー、寝ぼけてたのね。マキちゃん、昨日は珍しくお酒飲んできたもんね」
そう、そうです。昨日はついビールを飲んでしまったのです。いえ、そのあとビール以外にも色々と飲んだような気がします……。
「ねえ、私、昨日何時くらいに帰ってきたっけ?」
曖昧な記憶を外部から補填すべく、さりげなく母から情報を引き出します。
「んっとー、ドラマがちょうど始まりそうなとこだったから、22時前くらいかしらね」
まずは少し安心しました。常識的な時間には帰ってきていたようです。
ただ、母のにやにやとした笑顔が気になります。
「ねえねえねえ、あの男の子ってば、もしかして彼氏? いつから付き合ってるの? パパには秘密にするから教えてよ」
とんでもない情報が出てきてしまいました。
私は昨晩、男性と、それはおそらく丸井さんなのでしょうけれど、いえむしろ丸井さんでなければ困るのですが、とにかく男性と一緒に家まで帰り、さらにはそれを母に見つかってしまうという失態を演じたようです。
「マキちゃん、おんぶされて気持ち良さそうに寝てたから覚えてないのかしら?」
失態どころではありませんでした。
醜態を晒してしまったようです。母にも、丸井さんにも。……丸井さんですよね。丸井さんであってください。
「あ、そうそう、名刺もらったんだったわ。丁寧に自己紹介までしてくれて礼儀正しい子だったわー。あの子だったら、きっとパパも文句言わないわよ。うふっ」
母が私の机を指差します。そこには見慣れた名刺が置かれていました。
「じゃ、朝ごはん用意しとくから、あとでゆっくりじっくり聞かせてね〜」
そう言って、母は私の部屋から鼻唄混じりに上機嫌で出て行きました。
ベッドから立ち上がり、母の指差した名刺を手に取ります。
数ヶ月前、私が受け取ったものと同じ名刺です。
その名刺が私の部屋にある事に、妙なむずがゆさを感じ、つい目を逸らしてしまいました。
[専従書記長 丸井倫太郎]
撫で下ろしたはずの胸から何かが込み上がり、顔が熱くなってきました。
少しずつ、断片的に記憶が蘇ってきます。
「人事部は現場に口出しできないって、そんなこと言ったら私達はただの雑用係じゃないですか! 聞いてますか!? 丸井さん!」
ああ、愚痴を丸井さんにぶつけてしまったようです。
「私は丸井さんを信頼してますが、労働組合自体を信用してるわけじゃありません! そもそも労働組合の存在意義がわかりません!」
さらに、恥ずかしいことと失礼なことを同時に言ってしまった記憶があります。
「丸井さんはなんのために組合で働いてるんですか? え? すぐには即答できない? じゃあ明日までの宿題にします! 明日は土曜日だから無理? でしたら私のメールアドレスをお教えします!」
昨日の私はいったい何を言っているのでしょうか。いい加減にしてください。
そして、私の言葉と一緒に思い出されたのは、私の失礼な態度に怒ることなく、困ったように笑う丸井さんの顔でした。
枕に顔をうずめ苦悶に耐えていると、カバンの中のスマートフォンが震える音が響きました。メールが一通届いたようです。
今の私にはこのメールを開く勇気がありません。
まずはシャワーを浴びて頭を冷まし、朝食を食べて栄養をつけ、体制を万全に整えましょう。
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