こういった機会は初めてなのかもしれません

 冬の冷たい風が身体の横を通り抜けます。

 そろそろマフラーや手袋をタンスから出した方が良いかもしれません。


 日も暮れるのも早くなり、定時で退社をしたにも関わらず辺りはもう暗くなっています。

 少し早めに待ち合わせ場所に着いたので、まだ相手は来ていないようです。

 かじかむ手でスマートフォンを取り出し、母にメールを送ります。


 [今日は同僚とご飯を食べて帰るね🐱]


 スマートフォンを鞄に戻し、広場に目を向けます。

 さすがにこの寒空の下、ミイちゃんがいるとは思えませんが、つい習慣で探してしまいます。

 公園をぐるっと一周したところで、ちょうど待ち合わせ相手がいらっしゃいました。


「すみません! 遅くなって」


 肩で息をしているところを見ると、会社から急いで来てくれたようです。


「いえ、こちらこそお忙しいところ申し訳ありません。丸井さん」


 そう。今日はこれから丸井さんと食事をすることになったのです。

 昼前に屋代部長から聞いた話をどうしても消化しきれず、かといって他に相談できる相手もおらず、途方に暮れた私が選んだのは、この方でした。

 立場上、労働組合とは一定の距離を置かなければなりません。そんなことは重々承知しています。

 ですが、これは組合ではなく、あくまでへの相談です。

 もし、彼が私の立場であれば、どのように考えるのか。どのように動くのか。それをどうしても知りたくなってしまい、相談したいことがある、という旨のメールを送ってしまいました。

 私の唐突なお願いに対し、丸井さんは快く応じてくださりました。そして、せっかくなら晩ご飯を食べながら話しましょう、と誘っていただいたので、私はその申し出をお受けすることにしました。


「行きたいお店とかありますか?」

 公園から大通りに向かいながら、丸井さんが私に尋ねます。

「すみません。あまり食事処に詳しくなくて」

「そうなんですか? 普段、ご飯ってどうしてるんです?」

「実家暮らしですので、だいたいは家で食べます」

「ああ、なるほど。いいですね」

 私にとっては当たり前のことですが、一人暮らしの方からすれば恵まれた環境なんでしょうか。

「丸井さんは、いつも食事はどうされてるんですか?」

「えっと、早く帰れた日は家で適当に作ってますけど、遅いときは外で食べちゃいますね。本社の近くはいろんなお店が多くて、開拓し甲斐があります」

「お料理できるんですか? 意外です」

 つい、思ったことが口をついてしまいました。

「あはは、そうですか? でも一人暮らしも長いんで。学生のときは常に金欠だったんで、基本自炊してましたし」

 なんだか負けた気分になりました。私もそろそろ料理を覚えるべきなのでしょうか。

「じゃあ、一ノ瀬さんに教えてもらったお店に行きましょう。あそこなら個室でゆっくり話せますし」

「あ、お任せします」

 

 丸井さんの後ろを歩きながら、ふと気付きました。

 考えてみれば、会社の懇親会以外でこういった機会は初めてなのかもしれません。

 ……あれ?

 おかしいです。

 何故、私は緊張しているのでしょうか。



「では、乾杯」

「あ、乾杯」


 お酒を飲むつもりはなかったのですが、丸井さんがビールを注文したので、つい私も同じものを、と言ってしまいました。

 いえ、決してお酒が嫌いというわけではないのです。

 ただ、学生の頃にお酒の席で友人に多大な迷惑をかけたらしく、それからは外出先で飲酒することは控えていたのです。


 ですが、お酒は人間関係の潤滑油とも言います。今日の相談を円滑に進めるためにも、一杯くらいは良いのかもしれません。


「ふう」

「……梅宮さん?」


 久しぶりのビールはとても美味しくて、つい一息で飲んでしまいました。

 考えてみれば、昼食はほとんど食べておらず、空きっ腹にアルコールを流し込んだ形になります。

 少し酔いが回るのが早いかもしれませんが、まあ、なるようになるでしょう――。

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