人事は現場のやり方に口を出すべきじゃない

「……これ、さすがに何かのエラーではないのですか?」

「いや、アタシもさすがにおかしいって思って、何度も見直したもん。間違ってないよ」

 私の質問に対し、社内システム担当の岩田いわたさんが即答します。


 先週、丸井さんとの会話の中で出てきた、社用パソコンの利用時間ログについて、勤怠システムの保守をしている岩田さんに相談をしていました。

 岩田さんが言うには、少し時間をもらえれば抽出できるかも、とのことでしたのでお願いをして、今日ようやくパソコン利用時間のリストが出来上がったのです。


「ちょっと見づらいかもしんないけど、ガマンしてよ。なんとかシステム改修はせずにできたんだからね」

「いえ、必要なデータは揃ってますので、これで十分です。ありがとうございました。でも、これは――」

「さすがに多すぎるな。一ノ瀬と、他にも数名、か」

 個人情報保護の観点から、私と屋代部長の二人だけでデータに目を通すことになりました。

 プリントアウトしたリストを前に、屋代部長が唸ります。

「パソコンを持ち帰るのを禁止はしていないが……、こいつ、いつ寝てるんだ」

 パソコンの起動時間で並び替えると、一ノ瀬さんが次点と大きく差を空けトップに踊り出ていました。

「まあ、パソコンつけたまま本人がスリープしちゃっても、起動時間にカウントされちゃうからね。その辺の誤差はあると思うよ」

 岩田さんがシステム担当者らしきジョークを言いますが、残念ながらあまり面白くはありません。

「でも、どうして先月から突然なのでしょう。副部長の業務というのは、そこまで大変なのですか?」

 リストを見る限り、これまでの一ノ瀬さんの勤務時間はごく平均的なものでしたし、管理職になった月もそこまで大きく変動はしていませんでした。

「……ああ、そうか。予算の上積みか」

 屋代部長が溜息をつくように、小さく呟きました。

「それって、先日の部長会議で決まった件ですよね。でも、ここまでしないといけない程の予算修正なのですか?」

 私の質問に対して、屋代部長は黙り込んでしまいました。

「えーっと、とにかく必要なデータはこれでオッケ? データ自体に問題なければアタシはもういいかな?」

「あ、はい。無理を言ってすみませんでした。でも、もしかしたらまたお願いするかもしれませんが、その際はまたよろしくお願いします」

「はいはーい。あ、梅宮さん。なんか最近良いことでもあったの?」

 会議ブースの椅子から立ち上がりながら、岩田さんが妙なことを言い出しました。

「いえ、別に特段これといったことはありませんけれど。何故ですか?」

「ああ、そうなの? そっか。なんか最近明るくなったから、何か良いことでもあったんかなって思っただけ。んじゃ、また」

 そんな不可思議なことを言いながら、岩田さんは自分の席に戻っていきました。


 岩田さんがいなくなり、会議ブースには私と屋代部長だけになりました。

 そろそろ私たちも自分の席に戻らなければ、と資料の片づけを始めたとき、ずっとリストを見つめていた屋代部長が小さな声で言いました。

「これ、オフレコだけどな、予算上積みの件」

 屋代部長の“オフレコ”は、結局部長が自分でみんなに言うのでオフレコにならないのですが、余計なことは言わずに言葉の続きを待ちます。

「一ノ瀬の部署がな、かなりひどい数字を上乗せされてるんだよ」

「は? どういうことですか?」

 ひどい数字、というのはどういう意味なのでしょう。

「……一ノ瀬がな、外薗本部長に嚙みついたらしいんだよ。それで役員会議で決めた予算修正のとき、一ノ瀬の部署が大幅に上積みされたみたいでな」

「はあ? どういうことですか!? おかしくないですか!?」

「ちょ、声が大きい!」

 ああ、私としたことが、つい声を荒げてしまいました。

 一息ついて、できるだけ小声で言います。

「……そんな話が役員会議で通るんですか? 営業部予算って、そんな恣意的しいてきに決められるものなんですか?」

「予算は、あくまで事業部ごとに決めるからな。ここの営業部ならこの数字を出せる、と本部長が判断したなら、他の役員としては特に口出しすることはない」

「……なんですか、それ」

 あまりにも理不尽な話に、理解が追い付きません。

 ――一ノ瀬といい、なんであんなヤツの――。

 つい先日、外薗本部長が言っていた言葉が脳裏に浮かびました。

 腑に落ちたと同時に、それ以上の怒りに似た感情が渦巻きます。

「こんな勝手なことは断固と――」

「わかってる。わかってるが、どうしようもないんだよ」

 まだ終わらない私の言葉を屋代部長が遮りました。

 そして、席を立ちながら、一言だけ。

「俺たち人事は現場のやり方に口を出すべきじゃないからな」

 そう言い残し、私だけがその場に残されました。


 屋代部長の言葉が、いつまでも胃の中に残っているようで、私は動けませんでした。


 もし、丸井さんだったなら。

 会社のしがらみや部署の垣根なんてものを気にせずに、本音をぶちまけて敢然と立ち向かっていくのでしょうか。


 誰もいない会議ブースでしばらく立ち尽くしながら、何故かそんなことを考えてしまいました。

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