何故私ではなくこの人なのかという悔しさが

 昔から私は動物に避けられるようです。

 特に猫は私が少しでも近寄ると、一目散に逃げてしまいます。こんなに愛しているというのに。一方通行の報われぬ愛です。


 あれは9月の初旬でした。

 きっかけとなったは、今から三ヶ月ほど前に遡ります。


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 会社から駅までの大通りを少し脇に逸れ、小道を少し入ったところに公園があります。そこまで大きくはない公園ですが、昼間は近所に住む家族連れでにぎわっています。

 その公園で、ときどき猫を見かけます。茶トラの猫ちゃんです。首輪をつけているので、おそらく近所の飼い猫なのでしょう。オスかメスかはわかりませんが、私は勝手にミイちゃんと名付けています。


 昨日、仕事で嫌なことがあったので、ミイちゃんを一目でも見て癒してもらおうと、少し寄り道をして公園を歩いていました。日が暮れ始めたとはいえ、まだ残暑の厳しい季節です。少し汗ばむ額をウエットティッシュで拭いながらミイちゃんを捜します。

 運良く、広場に出たところでミイちゃんの姿を見つけました。

 ミイちゃんはベンチの上で香箱座りのまま寝ていました。


 可愛い寝顔をスマートフォンで撮影しているうちに、つい欲が出てきてしまいました。

 今なら、触れるかもしれない。

 そう思った瞬間、それまで熟睡していたミイちゃんは一目散に茂みの中に走って行ってしまいました。どうしてなのでしょうか。香水をつける習慣はありませんし、匂いはしないはずです。身体も小柄な方で、あまり威圧感も与えていないはずです。

 起きてしまった問題に対して分析をするより、まずその状況を打開することが優先される、という私の仕事観に従い、私は生えていた猫じゃらしを一本引っこ抜き、猫なで声で呼びかけました。

 猫は声の低い人が苦手なので、できるだけ高い声を出します。

「にゃあ? にゃあにゃ(遊ぼう? きっと楽しいよ)」


 突如、ミイちゃんが茂みから飛び出してきました。ついに私の愛が届いたのかと喜んだのも束の間、ミイちゃんは私の横を勢いよく通り過ぎていきました。

 どこに向かったのだろうと、彼女(彼かもしれませんが)の行く先に目を向けたとき。

 そこには丸井さんが立っていました。


 見られてしまいました。


「あの……梅宮さんも猫、好きなんですか? 俺も好きなんですよ」


 そんな丸井さんの言葉が私の耳を通り抜けていきます。

 私は丸井さんのズボンで遊ぶミイちゃんの姿を呆然と見ていました。


 先ほども言いましたが、猫は声の低い人が苦手です。それなのに、声が低くて、私よりも大柄な、そんな丸井さんの方がミイちゃんは好きなようです。


 失態を見られた恥ずかしさよりも、何故私ではなくこの人なのかという悔しさが、心の中で渦巻きます。

 これが嫉妬という感情なのでしょう。

 きっと丸井さんは心の中で勝ち誇っているんでしょうね。


 どうせ私はミイちゃんに嫌われていますから。負け犬は大人しく帰りましょう。

 そう思ったとき、丸井さんが言いました。

「……触りますか?」

「っ!」

 昨日の清洲さんの件といい、もしかして丸井さんは良い人なのでしょうか。

「……そうですね。せっかくの機会ですから、少しくらいは。小動物との接触はストレスを軽減する働きもあるそうですし。そういう論文もたくさんあるようですし。海外ではそういった療法が盛んとも聞きますし」

 素直にお言葉に甘えればいいものを、つい余計なことを喋ってしまいます。

 やはり、恥ずかしかったのかもしれません。

 恥ずかしすぎて、麻痺していただけなのかもしれません。


 ですが、こんな機会はそうそうありません。ミイちゃんが丸井さんのズボンに夢中になっているうちに、触らせてもらうことにします。

 丸井さんの隣に座り込み、手を伸ばします。


 暖かい体温。

 ふわふわの毛。

 喉を鳴らす小さな音。


 これまで触れなかった分も取り戻すかのように、夢中で触ります。


「可愛い、ですね」


 突然、丸井さんが言いました。

 少し、驚いてしまいました。

 ミイちゃんではなく、私の目を見ながら言うものですから、危うく勘違いをしてしまうところでした。

 丸井さんが言っているのは、ミイちゃんが可愛い、ということ。当たり前のことです。あまりにも自意識過剰でした。

「……そうですか? 普段警戒して懐かない動物が、ふと気まぐれに可愛い素振りを見せるせいで、そのギャップに懐柔される人が多いだけのことでしょう」

 つい思ってもいないことを言ってしまいました。

 その瞬間、ミイちゃんは私の手をすり抜け、公園から出て行ってしまいました。

 ああ、ごめんなさい、ミイちゃん。

 そして、すみません、丸井さん。


 ミイちゃんがいなくなってしまい、端から見れば公園で男女が二人で座りこんでいる状況です。これは良くありません。

 さっと立ち上がり、帰ろうとしましたが、ちょうど仕事の件で丸井さんに伝えることがあったので、お話しすることにしました。

 これは決して照れ隠しではありません。




 そんなことがあってから、会社帰りにその公園に寄ってミイちゃんを捜すことが多くなりました。

 私が公園でミイちゃんを捜していると、ときどき丸井さんも後から合流することもありました。もちろん待ち合わせをしたわけではありません。

 丸井さんと公園でミイちゃんを捜しながら、経営協議会では話せないような、どうでもいいことや、ちょっとしたことを、喋るようになっていました。会社のゴミ箱の位置が良くないんじゃないかとか、エレベーターのプログラムがおかしいんじゃないかとか、そんな些細なことです。


 ミイちゃんとはめったに会えませんでしたが、いつからか私はそんな時間を、ほんの少しだけ、楽しみにしていました。

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