第5話 労務担当の梅宮です

できるだけ端的に、そして淡々と事実のみを

「人事部労務担当の梅宮です。抜き打ちの職場巡視でお伺いしました」


 いつものように、できるだけ端的に、そして淡々と事実のみを述べます。

 誤解されるような言い方や、曲解されるような言い回しでは、労務の仕事は務まりません。


 私の後に続いて、労働組合の委員長である伍代ごだいさんと、書記長である丸井まるいさんが入ってきました。

 外薗ほかぞの本部長、中山なかやま部長や一ノ瀬いちのせ副部長、他にも数名が不思議そうな目で私たちを見ています。

 驚くのは仕方ないのかもしれません。ですが、私たちが部屋に入ってきたときから、何故か皆さんは立っていました。何かあったのでしょうか。


「んん? そんなん初めて聞いたで」

 外薗本部長がいぶかしげな目を向けてきます。

 本部長がここにいらっしゃるのは想定外でしたが、それならそれで話が早いかもしれません。


「そりゃ、抜き打ちっすから、聞いてるわけないっすよね」

 少し得意気に伍代さんが言いました。

 前委員長である一ノ瀬さんもそうでしたが、この方も随分と親しみやすい喋り方をされます。組織のトップとして、もう少し威厳を持った話し方をされても良いのではないかと個人的には思いますけれど。

 

「……なんで人事部と組合が一緒に行動しとんのや? おかしいやろ」

 外薗本部長が私たちを睨みつけます。至極もっともな意見かもしれません。

 ですが、もう少し想像力を働かせてもらいたいものです。

 最初に私が言った“職場巡視”という言葉から連想できてもいいものですが。


「別になにもおかしくないですよ」

 外薗本部長の正面に立ち、丸井さんがはっきりと言いました。

「これは安全衛生委員会です」

 そう。私たちは“安全衛生委員会”として、いまここに来たのです。


「安全衛生委員会? なんでそんなんがここに来るんや?」


 本部長から、と言われてしまいました。確かに、これまでの活動をかんがみると、仕方のないことかもしれません。

 これまでの職場巡視といえば、月に一度社内を見回って、非常口や消火栓などのチェック、あとはせいぜい整理整頓の注意をするくらいの活動しかしてこなかったようです。多くの従業員は、その日だけ机の上の書類を足下に片付けて、巡視が終わればすぐに元の場所に戻してしまいます。正直に言って、ほとんど意味のないものだったと思います。

 ですが、私が入ったからには、そんな意味のない活動にはさせません。そして、それは同じ時期に安全衛生委員会に入った丸井さんも同じ考えでした。

 

「長時間労働をされている方が多い部署の実態を把握するためです。先月の平均時間トップがこちらの部署でしたので、まずは私たちがこちらにお伺い致しました」

 外薗本部長と中山部長を交互に見ながら、できるだけはっきりと言います。こういうことは最初が肝心です。

「まずはこの現状について、理由等をお聞かせ願えますか?」

「平均時間いうても、あれやろ、一ノ瀬が平均を上げとるんやろ?」

 この部署の責任者である中山部長に聞いたつもりが、外薗本部長が答えてきました。

「……そうですね。一ノ瀬さんの先月の勤務時間は、かなり飛び抜けていました」

「ならなんも問題ないやろ。一ノ瀬は管理職やで? けったいな残業時間の上限なんぞ無いやろが」

「……はあぁ」

 ああ、呆れてつい溜め息をついてしまいました。私の悪い癖です。

 しかし、こんな考え方の人が役員だなんて。

「外薗本部長のおっしゃる通り、管理監督者には労働基準法で定める労働時間の制限は除外されています。ですが、労働契約法第5条において、会社には“安全配慮義務”、つまり従業員の健康状態を配慮する義務が課せられています」

 当たり前のことです。管理職と非管理職の区別はそこにありません。

 2ヶ月から6ヶ月に渡って80時間以上の時間外労働が過労死ラインと見なされます。これは日本独特の異常な現象で、海外にはそのような概念が無く、英語辞典には“KAROSHI”と記載されているようです。不名誉極まりない和製英語です。

「今から会議を行われるようにお見受けしましたが、それは本当にこの時間にやらなければならないものでしょうか?」

 私たちが部屋に入る直前、会議に一ノ瀬さんを参加させる、させない、という外薗本部長と中山部長の押し問答が聞こえたので、少しカマをかけてみました。

 外薗本部長の顔を見るに、やはり当たりだったようです。

「しゃ、しゃあないやろ! 一ノ瀬は営業に回っとんのや! 会議するならその後になるんは当然やろ!」

「それは本当に必要な会議ですか? 会議のための会議になっていませんか?」

「え、営業は稼いでなんぼや! 人事には現場の苦労なんぞわからんわ!」

 人事には現場の苦労がわからない。これまでも似たようなことを言われたことがあります。感情論でしかない反論ですが、こういう相手を納得させる術を私は持ち合わせておりません。だから――。


「いえ、わかります。俺も元々営業ですから」

 丸井さんが外薗本部長をまっすぐに見据えて言いました。


 そうです。現場の意見を反映させるため、安全衛生委員会は労使が一緒になって取り組んでいるのです。


「営業は稼ぐのが仕事。全くもってその通りですね」

「そ、そうやろが! なら多少頑張らんといかんときも――」

「営業は他の専門的な仕事に比べて換わりはききますし、会社のみたいなものです」

 営業としてずっと働いてきた丸井さんの言葉には重みがあります。

「でも、だからこそ、しっかりメンテナンスをして、ちゃんと動くような環境を作るのがトップの責任でしょう!」

 丸井さんの低い声がフロアに響きます。

「そして、そうやって動きながら歯車が大きくなるのを助けるのが、会社の役目でしょう!」

「丸井くん……」

 一ノ瀬さんが泣きそうな顔で丸井さんを見ています。


「あー、せやな。せやせや」

 意外です。

 外薗本部長があっさりと丸井さんの意見を聞き入れました。


「でもな、一ノ瀬がこんだけ残業しとんのは、部長の中山くんに責任があるんやないのか? ワシはむしろ、一ノ瀬にムリをさせんよう中山くんに指導しにきたんや」

「え? ぼ、僕、ですか」

 中山部長が慌てて外薗本部長の方を見ます。

「せやろ? この部署の責任者は中山くんや」

「あ……、そ、そうです」

 あまりにも小さな声で中山部長がこぼしました。

「部下が過労で倒れるまで働かせたんやで。ほんま、ワシが来てよかったわ」

「倒れた? だ、大丈夫なんですか!?」

「あ、だいじょぶだって。さっき、ちょっと居眠りしちゃっただけだから」

 私たちが入ってきたとき、この部署のみなさんが一ノ瀬さんの周りに立っていたのはそういうことだったのですね。

「ちゅーことで、ワシが言おう思たことは、安全衛生委員会サマが注意してくれたんでな。あとはよろしゅう」

 そう言い残し、止める間もなく外薗本部長は帰ってしまいました。

 なんという去り際でしょうか。その鮮やかさに、逆に感心してしまいます。


「一ノ瀬さん、倒れたって、本当ですか!?」

 丸井さんが心配そうに詰め寄ります。

「んな大げさな。ちょっと寝不足で居眠りこいちゃっただけだよ」

「そ、そうなんですか?」

「そーそー。だいじょぶだいじょぶ」

 本当に大丈夫でしょうか。少し気になります。

「いや、一ノ瀬くん、病院に行きなさい。これは部長命令だよ」

 中山部長もそう言っています。私もその方が良いと思います。

「えー、そんな大げさな。大丈夫ですって」

 いるんですよね。体調が悪いのに、頑として病院に行きたがらない人。

「ダメっす! 俺が付き添うんで、今から一緒に行きましょう!」

 伍代さんが一ノ瀬さんの腕をがっしりと掴みました。

「じゃ、俺は一ノ瀬さんを病院に連れてくんで、あとはよろしくっす」

 そうそう。そうやって無理矢理にでも連れていくのが良いでしょう。


「あ、あの……。一ノ瀬くんが倒れたのは、本当だよ。だからその責任は僕にある。やっぱり、その、懲戒ちょうかいとか、なのかな」

 伍代さんが一ノ瀬さんを引っ張って行ったあと、中山部長が恐る恐る聞いてきました。何か誤解があるようです。

「いえ、私たちにはそんな権限はありません。ただ提言をするのみです。ただ、診断の結果、一ノ瀬さんの身体に異常があれば、労災認定はされるかもしれません」

「そ、そうか……」

「中山部長も、一ノ瀬さんほどではないにしても、勤務時間がかなり多くなっています。体調管理には気をつけてください」

「あ……うん」

 続けて、周りを見ながら言います。

「もちろん他のみなさんも同じです。売上げも大事ですけれど、身体を壊したら元も子もありませんから」

 あまり仕事の邪魔をしてもいけません。先月と今月の勤務時間のリストを中山部長にお渡しして、丸井さんと共に部署から出ていきます。


「……来て、よかったですね」

 巡視が終わり、別れ際に丸井さんがぽつりと言いました。

「ええ。私もそう思います」

 抜き打ちの巡視。丸井さんが最初に提案してきたときは、そんな突飛なことをするのはおかしいと反論しましたが、実際にやってみると発見はいくつもありました。

 少なくとも、一ノ瀬さんという貴重な人材の損失は防げたのかもしれません。

「これからも、一緒に頑張りましょう」

 丸井さんが私の目を見て言いました。

 まっすぐな視線に耐えられず、つい目を逸らしてしまいます。

「……ですね」

 できるだけ淡々と答えます。

 労働組合の人とこうやって一緒に何かをするなんて、数ヶ月前の私にはとても考えられないことでした。

  

 思い返せば、あのがきっかけだったのかもしれません。

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