思ったことを正直に言えるって、気持ち良い

 この部署のテコ入れをしてから一週間が過ぎた。

 やはり仕事のシャッフルには戸惑う人が多かったが、部内での情報共有は飛躍的に進み、効率的なやり方をみんなが真似まねることで、全体の残業時間は想定していたよりも少なく済んでいる。


 情報共有の下地となるのは、やっぱり日頃のコミュニケーションだ。その潤滑剤には音楽が一役買っている。

「今日の音楽は課長セレクションなんですか?」

「そうだよ。やっぱり The Beatlesビートルズは外せないでしょう。このアルバムは名盤だよ。もちろんどれも名盤なんだけどね」

 隣の席からそんな会話が聞こえる。あの無口だった課長が、好きなミュージシャンのこととなると饒舌になるのには驚いた。思っていた以上に、音楽が話のきっかけになっている。


 そんな会話を微笑ましく聞きながら部内の週報を読んでいたら、後ろから声をかけられる。

「あの、副部長、今日の残業の件なんですけど……」

「あー。加藤かとうさん、違うでしょ?」

「はっ。すみません、つい……。ええと、一ノ瀬さん、今日の残業申請なんですけど」

 そう。あの後追加のルールをいくつか付け加えた。

 追加ルールその一。役職名や仕事名で人を呼ばない。

 これは特に部長に徹底をさせた。派遣社員の方を『派遣さん』とか、内務担当の人を『内務さん』なんて呼んで、コミュニケーションを取れるわけがない。

「どうしても見積書を今日中に送らなきゃいけなくて、今日は19時まで残業してもいいですか?」

「んー、おっけ。でもせきさんが先週、同じような見積もりをしてたから、流用できるかもよ。せっかくだから聞いてみ」

「はい!」

 追加ルールその二。残業する場合は事前に連絡をする。そして、当たり前のことだが、その分の残業代は全て支払う。当然だ。大事なことなので二度言った。

 残業というのは会社から。もし定時に終わらない量の業務を割り振っていたなら、それは管理職の責任だ。だから、もし残業が必要になる場合は、必ず上司に事前連絡をする。それを徹底させた。

 これまでは、どうせサービス残業だから、とルーズになっていたようだけど、これからは働いた分はきっちり申請させる。そして、基本的にはできるだけ早く帰る。それを意識するだけで、集中力は変わってくるはず。

 経費が云々、予算が云々と、課長や部長はごねたが、組合ならまだしも労基署に駆け込まれたら一発でアウトですよ、と半分脅してルールを遵守させた。まさかこんな基本的なルールが守られていないとは思わなかった。組合にまで声が届いていない部署は他にもあるのかもしれない。これは執行部のみんなにも伝えないといけない。


「でも、さすがです。一ノ瀬さんが来てから、雰囲気がガラッと変わりましたし、みんな早く帰るよう意識するようになりました」

 うんにゃ、それはちょっと違う。

 俺がやったことは、前から組合が会社に提案してたことなんだよ。

 ジョブローテーションと仕事の共有。

 オフィスでのBGM。

 時間外労働の適正な管理。

 ずっと経営協議会でも話し合ってきたけど、全社で共通するルール作りに難航してしまって、議論はなかなか進まなかった。

 でも、違ったんだ。現場の部長をその気にさせて、まずはその部署だけで始めてしまえば良かったんだ。成果が出れば、同じような取り組みをする部署は自動的に出てくる。それでよかったんだ。


 案ずるより産むが易し。

 昔の人は良いことを言うもんだ。

 これなら思ったよりも早く成果は出てくるかもしれない。

 

 そんなことを思っていたときだった。


 部長会議から中山さんが帰ってきた。

 そして、その後ろから、まるで疫病神が憑いてきたかのように、アイツが一緒に入ってきた。


 部内が急に静まり返る。

 ああ、そうか。アイツはこの部署の前の部長だったっけか。だからみんな緊張してるのか。  

 スピーカーから響く曲がはっきり聞こえるくらい、みんなが一斉に黙り込んでしまった。いま流れているのは『Yesterdayイエスタデイ』か。

 遠くに行ったはずのトラブルが、いまここにいるよ。ってな意味だっけ。

 面白いくらいに今の状況をそのまま表現した歌詞が流れる。


「せっかくだし変わったところを本部長に見てもらおうと思ってね。部長会議の後、わざわざ来ていただいたよ」

 今この部署に走っている緊張感が中山さんには伝わっていない。いかにも、良いことしたでしょう、と言いたげな態度に苛立ちを覚える。


 人を人として見ていないような垂れた目つき。

 妙に気取ったセンスの悪いネクタイ。

 全てに嫌悪感を催してしまう。


 アイツが。

 外薗ほかぞのが、俺の席につかつかと歩いてきた。


「久しぶりやな、一ノ瀬クン。昇進、おめでとうな。しっかり頑張っとるみたいで、ワシも推薦した甲斐があったっちゅーもんや」

 大阪出身でもないくせに、関西弁を喋りたがるところもしゃくさわる。

「あー、それは、どーも」

 できるだけ無愛想に返す。

「いやいや、キミの実力ならワシがなんも言わんでも、そのうち出世しとったわ。ワシはちょいと後押ししただけや。礼には及ばんで」

 ちょい待てよ。お礼なんかしてねえよ、ボケ!

「ああ、そうそう。一ノ瀬クンには伝えとかないかんことがあったんよ。組合専従の、ええと、なんて名前やったかな……。まあ、彼な。あれは問題児やで」

 そうだな。お前の言うことを聞かない奴は、お前にとっては全部問題児だよな。

「でもな、問題社員とはいえ、退職させるのは簡単にはできないんや。法律っちゅーのは、ほんま従業員に優しくできてるもんやなあ」

 お前だって従業員だろうがよ。役員になったかもしんねえけど、取締役じゃねえだろ。勝手に会社側に立つんじゃねえよ。

「そやから、自分から辞めるゆうてなったときは、これで会社のためになるっちゅうて安心したんやけどな。まさか専従で残るとはなぁ」

 ああ、そうだよ。てめえの思い通りにさせてたまるかってんだ。

「一ノ瀬クンな。どんな問題社員でも守るっちゅーんは立派や」

 くっそ。さっきから俺の名前を変なイントネーションで呼ぶんじゃねえよ。

「労働組合はそれでよかったかもしれん。でもな、会社はそれじゃいかんのや。腐ったミカンは捨てな、他のミカンもダメになるやろ? それと一緒や。キミは美味いミカンなんやから、それを自覚せなあかん」


 初めてわかった。

 怒鳴られるよりも、すり寄られる方が我慢できないってこと。


「本部長、丸井くんは優秀ですよ。あんな人材はそうそういないです。それをみすみす退職させようだなんて、人を見る目が無さすぎじゃないですかね」


 外薗が片目だけ見開き俺をにらむ。

 ぜんぜん怖くねえんだよ。

 そうだ、そのまま言ってしまえ。

 あのときの俺が後押しする。


「腐ったミカンってのは本部長の方だと思いますよ」


 ああ。丸井くんの正直さが移ったかもしんない。

 でも、委員長のときはずっと言えなかったこと。みんなに迷惑かけるかもって思って、我慢してたこと。

 思ったことを正直に言えるって、気持ち良いな。

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