取りこぼしてきたものがあったかもしれない
「組合は弱者の味方です! でも怠け者の味方じゃありません!」
黙り込んでしまった清洲さんにかまわず、俺は続ける。
「組合として、今日の件を問題にする気はありません! 第三者の俺から見ても、さっきのは退職強要ではなく、退職勧奨の範疇です」
清洲さんの目を見て、はっきりと言う。
退職勧奨とは、退職をしてくれないかと会社が促すこと。退職してもらうための条件を提示し、その条件なら退職しても構わない、という合意を目指す。これ自体は全く違法ではない。
だが、その合意の進め方によっては、それは退職強要となってしまい、これは違法行為だ。明確な基準があるわけではないが、何度も退職を要請したり、威圧的に迫ったりと、勧奨の方法が過度になれば、それは強要とみなされる。
「勧奨をされたくないのなら、ちゃんと働いてください」
少しずつ声のトーンを落ち着ける。
ああ、そうだ。これも言っておかなければ。
「清洲さんが今、第三営業部で担当してるお客さんは、俺がずっと大切にしてきたお客さんなんです。俺が引き継ぐ前は、俺の先輩が大切にしてきました。そうやって、引き継がれてきた仕事なんです。……だから、ちゃんと大事にしてください。お願いします」
席を立って、お辞儀をする。
心のどこかに詰まっていた言葉が、出尽くしたのがわかる。
胸の中が空っぽになって、軽くなったのがわかる。
そして、少し冷静になって、ようやく気付く。
明らかに不当な言い分だったとはいえ、委員長を差し置いて俺が組合の見解を述べるべきではなかった。
一ノ瀬さんの方に顔を向けると、向こうもちょうど何かを言おうとしていた。
「丸井くんさ、それは――」
一ノ瀬さんが何かを言いかけたとき、清洲さんが両手を出してそれを制した。
「……今日は、帰ります。後任の、いや、前任の、顔を立てることに、します」
そして、清洲さんは何もなかったかのように帰っていった。
経営協議会はなし崩し的に終了になり、梅宮さんも自分のデスクに戻っていく。
書記局を出る際、ほんの少しだけ、会釈をされたような気がした。
執行部だけが残った書記局で、最初に口を開いたのは伍代さんだった。
「お疲れっす! 丸井さん、さすがっす! 撃退したっすね!」
いや、違うんだ。何かが根本的に解決したわけじゃない。
「しっかりと言ってくださって、ありがとうございます。私も、同意見でした」
篠原さんが賛同してくれたのは嬉しい。でも、手順を間違えてしまった。
「うん。しかも、同じ営業としての言葉だもんねえ。重みが違うよ。あれなら、ちゃんと伝わったと思うよ」
杉本さんも買い被りすぎだ。俺がやったことは、自分の言いたいことを言いたいように言っただけ。
一ノ瀬さんは、この件について最後まで何も言わず、そのまま解散となった。
書記局を閉めようとしたとき、携帯電話にメールが届いた。
[今日はお疲れ。夜飯行こうぜ。]
つい先日、一ノ瀬さんと昼食を食べた定食屋で、同じように向かい合う。
夜は居酒屋風になる店らしい。
「さっきは、お疲れさまー。いやー、大変だったね」
一ノ瀬さんが俺のグラスにビールを注ぎながら言う。
グラスはぶつけずに、軽く持ち上げるだけで、乾杯をする。
「……すみませんでした。勝手なことを言ってしまって」
「ん。まあ、間違っちゃいなかったよ。正直、俺も同じ意見だしね」
グラスを置いて、一ノ瀬さんが続ける。
「ただ、さ。ああいうことはさ、思ったとしても、そのまま言っちゃあ駄目だよ。口にしちゃ、駄目なんだよ」
諭すように、静かな声で俺に語りかける。
「丸井くんさ、労働組合は頑張る人の味方って、言ったじゃん。それは間違いじゃないよ。でもさ、もし、頑張りたくても頑張れない人がいたら、どうする? そういう人は切り捨てる?」
ああ、そうだ。その通りだ。
何かが抜け落ちていると感じていたことを、一ノ瀬さんが言葉にしてくれる。
「頑張りたいのに、頑張れない。そういう人を、組合が見捨てたらさ、その人はもう会社辞めるしかないじゃん。……丸井くんが、それを一番知ってるはずだよね」
ああ、そうだ。
三か月前、外薗に言われた言葉で、完全にやる気をなくしていた。
もし退職をしなかったとしても、きっと腐っていた。仕事も頑張れなかった。
「……ごめんなさい」
俺の言葉に、一ノ瀬さんは少し微笑んだように見えた。
「んにゃ。最初に、『個人的な考えだけど』って前振りしたじゃん? あれは良かったよ。組合の総意ではない、でも個人的な想いはあるって伝わる」
そうだったか? 覚えていないが、無意識に言ったかもしれない。
「どんな仕事でもさ、想いがなきゃ、やってらんないよ。だからさ、みんなが言う通り、結果的にはあれでよかったと思う」
そう言ってもらえれば、とても救われる。
「ごめんよ、説教臭くてさ。ただ、伝えとかなきゃなって思ってさ」
「とんでもないです! ありがとうございました!」
それなりに労働組合のことを勉強してきたつもりだけど、こうやって取りこぼしてきたものがあったかもしれない。
組合の仕事は、思っていたよりもずっと難しいし、大変なことも多い。
でも、それでも、少しだけ何か大事なことを理解できた気がする。
翌週の朝、清洲さんにメールを送る。
失礼なことを言ってしまったお詫び。
そして、もし何か事情があって充分に働けないのであれば、相談してください、と。
メールはその日の終わりに返ってきた。
わかりました。とだけ、書いてあった。
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