こうなることまで見越して準備してきたのか

 清洲さんはうつむいたまま黙り込んでしまった。

 一ノ瀬さんや他のみんなは、困ったような顔をしている。

 梅宮さんだけは、無表情のままで何も変わらない。


「あの……、人事部預かりって、なんですか?」

 雰囲気から察するに、わかっていないのは俺だけだ。

 この空気の中で質問をするのは少しはばかられたが、みんなが黙ったままでいても仕方ない。聞くは一時の恥だ。

「んっと……、所属部署が決まってなくて、人事部が身柄を預かってるってこと。実際にはどっかの営業部で働いたりもするけど、人事部から派遣されてるってイメージ、かな」

 一ノ瀬さんが小声で教えてくれる。

 なるほど。だから部署が転々と変わっていたのか。


「こんな所に来る時間があるのなら、資格の一つでも取ってください。そうすれば、どこかの部署で正式に働いてもらえます。……そもそも、第三営業部で勤務しているあなたが、なぜこの時間に本社に来られるのですか?」

 梅宮さんがぴしゃりと言い放った。

「……それは……今日は……客先から直帰、して……」

 聞こえるか聞こえないかの音量で、清洲さんがぼそぼそと呟く。

「他人のことを責める前に、まずはご自分がしっかりと仕事をなさってください。引き取り先を捜すこちらの身にもなっていただきたいものです」

 梅宮さんの言葉を受けて、清洲さんがまた黙ってしまう。

「第三営業部からも全く良い話を聞きません。このままであれば出向していただくことになります」

「……出向は……ちょっと……」

「であれば、ちゃんと働いてください。そうでなければ、あまり言いたくはありませんが、退職もご検討いただくことになり――」


 清洲さんの顔が、大きく歪む。

 怒っている。いや、違う。笑っている。


「録音、しましたので」

 清洲さんはポケットから細長いものを取り出す。

「なあ、一ノ瀬くん、聞いただろう!? これは明らかに退職強要だよ!」

 清洲さんの表情も態度も一変した。

「……ええっと、清洲さん、これは退職というより、退職なんで、まだそこまでは――」

「いいや! 退職だとしたら、こんな人前でやるべきものじゃない! 明らかに、この労務担当の独断だ! ボクを気に入らないからといって、明らかに人事権を乱用した! いやもうこれは、人権侵害だよ!」

「それはちょっと大げさな――」

「いいや、大問題だね! 早く労働組合として、この労務を糾弾してくれ! 場合によっては団交も要求していい! ボクもちゃんと出席するからさ!」

「えっと、ちょっと落ち着きましょ? ね、清洲さん」

「十分落ち着いてるさ!」

 まるで無邪気に喜ぶ子供のように騒がしい。

 

 それとは対照的に、梅宮さんは眉をひそめ、口を真一文字に結んでいる。

 こころなしか顔色も悪い。

 よく見ると、小さな手が震えていた。


 清洲さんは、こうなることまで見越して準備してきたのか? ICレコーダーまで用意して?

 もしかして、ありもしないマタハラ疑惑の報告をしてきたのも、昨日ここに相談しにきたのも、このためだったのか?

 なんでここまで頭が回るのに、ちゃんと仕事をしない?


 だんだんと込み上がってくる怒りを抑えられない。

 

「……これは俺の個人的な考えですが」

 

 無意識のうちに一言目を発したら、その後は流れるように言葉が引きずり出されてくる。


「俺が書記長になって、二ヶ月間、いろいろ勉強させてもらいました」


 みんなが俺を見る。


「そのなかで、労働組合がどういうものなのか、わかってきたつもりです」


 深呼吸して、言う。

 さっきよりも、気持ち大きめの声で。


「……労働組合は、頑張ってる人の、味方なんです!」

「そう! そうだよ! だから、それを阻害するヤツを糾弾してよ!」


 それは違う。

 根本的に違う。


「だから、頑張るつもりのない人の味方をする気は、一切ありません!」

「へ?」


 ……言ってしまった。

 全体会議のときと同じだ。

 でも、これが俺だ。仕方がない。

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