ふと気まぐれに可愛い素振りを見せるせいで

 清洲さんからの返信メールを見て、少しだけほっとした。

 落ち着いたところで、今日はもう帰ることにしよう。


 喉が渇いたので、少し寄り道をして公園のそばにある自動販売機で飲み物を買っていると、公園の方から声が聞こえた。

 耳を澄ましてみる。


「にゃあ。にゃあにゃあ」


 ん? 猫の鳴き声?

 いや、違うな。猫好きの俺には分かる。これは猫を呼ぼうとする人間の声だ。

 それなりに上手いが、まだ甘い。


「にゃあ? にゃあにゃ」

 

 公園の奥から聞こえる。姿は見えない。

 つい、好奇心につられ、公園の中に入る。


 そこで、信じられない光景を見た。


 あのが草むらのわきに屈んでいた。

 これまで見たことのないような笑顔で猫じゃらしを振っている。

 

 やばい。

 これ、見たらダメなやつだ。

 

 音を立てないように、ゆっくりと回れ右をする。

 その途端、猫が草むらから飛び出してきた。

 俺の足下まで来ると、寝転んでズボンを舐め始めた。


 恐る恐る顔を上げると、いつも以上に無表情の梅宮さんが俺を睨んでいた。

 ただ、俺を睨みつけるその顔は、とても赤い。

 きっと夕陽に照らされているせい、だけじゃない。


「あの……梅宮さんも猫、好きなんですか? 俺も好きなんですよ!」

「……そうですか。別に私はそれほどでもありませんけれど」

 うそつけ! だったらさっきの顔はなんだ!

 とは、さすがに言えない。


 俺のズボンでじゃれる猫の頭を撫でてみる。

 猫はゴロゴロと喉を鳴らして、地面に寝転がった。

 梅宮さんが羨ましそうな顔をしている。

「……触りますか?」

「っ! ……そうですね。せっかくの機会ですから、少しくらいは。小動物との接触はストレスを軽減する働きもあるそうですし。そういう論文もたくさんあるようですし。海外ではそういった療法が盛んとも聞きますし」

 ぺらぺらと喋りながら、俺の隣に屈む。

 白く、小さな手が猫を優しく撫でる。

 銀縁眼鏡の奥の眼は、普段からは想像できないくらい穏やかだ。

 いつもこんな風にしていればいいのに。


「可愛い、ですね」

「……そうですか? 普段警戒して懐かない動物が、ふと気まぐれに可愛い素振りを見せるせいで、そのギャップに懐柔される人が多いだけのことでしょう」

 その緩んだ口元はなんだ! 梅宮さんも懐柔された一人だと思いますけどね!

 とも、さすがに言えない。


「あっ……」

 梅宮さんがあまりしつこく撫で回すせいで、猫は逃げて行ってしまった。

 好きなのはわかるけど、そういう風に触るから猫も嫌がるんだ。

 猫に好かれる一番の方法は、猫に興味がないように見せることなのに。


「ああ、そうでした。一つ、お伝えすることがありました」

 すくっと立ち上がって、梅宮さんは言う。

「先日の経営協議会で丸井さんがお話しになった時間休制度の件、システム改修の稟議に上げようかと思います」

 え? だって予算申請をしなきゃいけないから無理だって言われたのに。

「どちらにせよ『子の看護休暇』を半日単位で取得できるよう改修しなければならないので、それと合わせて改修案件として挙げます」

 なるほど。その手があったのか。

「ただし、稟議を上げるかどうかの決裁権は私ではなく屋代部長にあります。ですから、次回の経営協議会の際、時間休制度の有用性について屋代部長に語れるよう準備をしておいてください」

「……あ、はい! わかりました!」

 すぐに一ノ瀬さんに相談しなければ。

 

 公園を出る間際、梅宮さんが振り返ってこちらを見た。


「稟議書の準備は既にしていますので。……無駄にさせないでくださいね」


 そう言った彼女は、ほんの少し、ほんの少しだけ、笑ったように見えた。


 まるで猫のような人だ。

 不意に、そう思ってしまった。

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