すみません、つい出しゃばってしまいました

「こんばんは。本日は急にお伺いしてスミマセンね。メールじゃなくて直接お話しした方が伝わることもあるかと思って、ね」

 書記局に入ってきたのは、想像していたよりもずっと物腰の柔らかい痩せぎすの男性だった。この人が清洲さんか。俺の書記長の先輩であり、第三営業部の後任。


 執行部から話し合いに参加しているのは、俺と一ノ瀬さんと篠原さんの三名だ。

 杉本さんと伍代さんは、都合がつかなかった。いきなり今日の夜、と言われたのだからそれも仕方ない。


「ども。お久しぶりですー。今は自分が委員長やってまっす」

 一ノ瀬さんがいつもの調子で挨拶をするが、表情に少し緊張が見て取れる。


「……その節は、どうも」

 続いて篠原さんも軽く会釈をする。だが一ノ瀬さん以上に表情が固い。

 そんなに苦手な相手なら、無理に参加しなくてもよかっただろうに。


 最後に俺が挨拶をする。

「初めまして。書記長の丸井です。専従になる前は第三営業部にいたんですよ」

「ああ、初めまして。そうか、キミが丸井くんか。引き継いだお客さんから話はいろいろ聞いてるよ。すごく良くしてくれたって。おかげでボクとしてはやりづらくてしょうがない」

「そんな、滅相もないです」

 社交辞令か本音か嫌味か、判断がつかないが、できるだけ愛想良く言葉を交わす。


「んで、直接お話ししたいこと、というのは?」

 一ノ瀬さんがさっそく切り出す。

「メールで報告した通り、執行部の調査だと、本人は特にマタハラと認識してなかったみたいなんですよねー。むしろ便宜を図ってくれたって感謝してましたよ」

「そりゃ、本人の口から言いづらいことはあるだろう。ボクが現場で感じたんだよ」

「ええと、具体的にはどんな風に?」

「たとえばね、半休ってあるじゃない、半休。お子さんの都合で、有休を半日だけ使って休むって」

「ええ、ありますね、半休制度」

「でも半休って年5日分までしか取れないよね? だから半休を使い切っちゃって彼女、困ってたんだよ」

「ああ、基本は丸一日休むってのが労基法でも推奨されてますもんね」

「ああ、そうだっけ? それでね、ボクが“子の看護休暇”っていうのがありますよって、斉藤部長に提言したんだよ」

「なるほどなるほど」

「そしたらね、斉藤部長が、看護休暇は一日単位で取るようにって彼女に言ったんだよ!」

「……? ああ、今は半日単位で取れますもんね」

「そう! 管理職のクセに法改正も知らず、確認もせず、押し付けるんだよ! そのあともさ、ボクが散々言ったのに、会社の勤怠管理システムが対応してないってさ! おかしいだろう!? 勤怠システムより法律の方が優先されるべきなのに! 普通に考えてさ!」

 興奮してきたせいなのか、声のトーンも口調も変わっていく。

 それに対して一ノ瀬さんは平然と返す。

「んーと、就業規則の変更について管理職が認知してないってのは、たしかに問題ですね。経営協議会で労務担当に言っときますわ」

「そうじゃないよ! 看護休暇は給与補助も無いから、むりやり全日休まされるってのは機会損失なんだよ! その責任は問うべきじゃないか!」

「んー、それはさすがに大げさじゃないですか? 本人が苦情を言ってるんならともかく」

「だから本人は言えないんだって! だからボクが代わりに言ってるんだって!」

「んんー、ちなみに本人は看護休暇を取得しちゃったんですか? 全日で」

「それはわからない。でも、働いて給料を貰えたはずの時間を、斉藤部長の思い込みで休まされたんだったら大問題だよ!」

「んんんー、そもそも、そこを損失と捉えるかどうかは本人次第かと」

「だから、本人は、言えないんだって!」

 話が堂々巡りになっている。これでは議論にならない。

 一ノ瀬さんは忍耐強く返答しているが、さすがに俺も黙っていられない。

「清洲さんの言って――」


「あの、私から少し、いいですか?」


 俺の言葉を遮るように、篠原さんが言った。

 書記局が一瞬、しんと静まる。


「ん、うん。どぞ、シノさん」

「そうだ! 女性の意見を聞くべきだ!」

 一ノ瀬さんと清洲さんが、篠原さんに目を向ける。

 篠原さんは一呼吸置いて、はっきりと言う。

「損失と考えるかどうかは、ご本人次第です。もしかしたら一日休めて助かった、とおっしゃるかもしれません。なので、こちらの想像で騒ぎ立てるのは逆に本人の迷惑になります」

 澄んだ声が少し震えている。

「ご本人が一番してほしくないことは、こうやって問題を大きくされることです」

「それは――」

 清洲さんが何かを言いかけて止めた。

「お話を聞く限りでは、ご本人は斉藤部長に対して非常に感謝をしていました。もし、今回の件で、斉藤部長が懲戒ちょうかいを受けるようなことがあっては、ご本人が一番心を痛めます」

 また一呼吸置いて、篠原さんが続ける。

「もちろん就業規則の改訂を知らなかったことは、確かに注意すべきかもしれませんが、それは会社から管理職への通達の不備であって、斉藤部長個人の問題とは言えません。なので、この問題については先ほど一ノ瀬委員長がお話しした通り、次の経営協議会で協議いたします。ご指摘に関しましては、清洲さん、執行部として感謝いたします」

 清洲さんは黙ってうつむいている。

 女性としての意見を率直に伝えられ、最後に感謝まで述べられては、もう黙るしかないだろう。

「……わかった。今日は帰ることにする、よ」

 そう言い残して、あっさりと清洲さんは帰ってしまった。



「……すみません、つい出しゃばってしまいました」

 嵐が去った書記局で、篠原さんがぽつりと言う。

「んにゃ、助かったよ! シノさんがああ言ったら、清洲さんとしても引き下がるしかないよね」

「だといいんですけれど……」

 いつも大人しい篠原さんが、あんなにハッキリと主張したのを聞いたのは初めてだ。


「丸井くんもお疲れ。まあ、勉強になったっしょ?」

「え、ええ。組合って大変ですね」

 会社にはいろんな性格の人がいて、いろんな考え方の人がいる。

 わかってはいたが、こうして面と向かって話すと、その大変さが身に染みる。

 もし俺一人で対応をしていたら、きっと真っ向からぶつかってしまっていた。

「んじゃ、ちょうど明日は経営協議会だし、さっきの件はすぐ梅ちゃんに伝えよ」

 そうだ。たしか明日の経営協議会は、屋代部長がまた不在で梅宮さんだけが来るんだ。

 少し胃が重い。


 急な来訪のせいで思わぬ残業になってしまった。

 書記局を閉めていると、ふと清洲さんが最後に言った言葉を思い出す。

 今日帰ることにする。


 少し、嫌な予感がした。

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