どっちが先かわからない、ニワトリとタマゴ

「あ、橋田さんから聞いたかー」

 昼休み、ちょうど一ノ瀬さんが会社に戻ってきたので、昼食を一緒に食べることにした。

 こうやって定食屋で向かい合って座ると、前に専従書記長の話を受けたときのことを思い出す。


「清洲さんが専従だったってこと、別に隠してたわけじゃないんだよ。先入観なしで丸井くんの目にどう映るか、知りたくてさ。あ、それを隠してるって言うのか。ごめんごめん」

「どんな書記長だったんですか?」

 一ノ瀬さんは、うーん、と小さく溜め息をつく。

「んんー、もう3年くらい前かな。清洲さんが書記長やってたのは。そのときは杉本さんが副委員長で、俺が執行委員をやっててさ。まあ、融通の利かないタイプ、とでも言えばいいのかなあ。たとえばさ、法律で書かれてることは、全部遵守しないと気が済まないって感じ、かなあ」

 いつもの軽快さが無い。かなり言葉を選んでいるように聞こえる。

 これも俺に余計な先入観を与えないため、か。

 でも、俺はもう聞いてしまっている。清洲さんの仕事ぶりのことを。

「今朝、例の第三営業部の女性に電話したとき、清洲さんのことも少し聞いてみたんです。そしたら、全然仕事してないって。お客さんともトラブルを起こしてるって、聞きました」

 俺が何年もかけて信頼関係を築いてきた顧客も中にあったはずだ。

 そう考えると、胸のもやもやが熱を帯びてくる。

「清洲さんが書記長をやってたときは、ちゃんと仕事してたんですか?」

「ふふっ。丸井くんはいつでも、どストレートだなあ」

 一ノ瀬さんが困りながらも笑う。

「もう、ぶっちゃけて言うか。……今と比べると、やっぱり偏ってたかな。今回みたいなハラスメント系の案件については、かなり精力的に取り組んでたんだけどね。組合として間違ったことをしてたわけじゃあなかったんだけど、ちょっと過激なところもあってさ。さらに妙な外部団体に加入しようともしてて、それはみんなで止めたんだけど、一年目の任期が終わったとき、なんとか説得して書記長を降りてもらったんだよ」

 ふと、前に一ノ瀬さんが言っていたことを思い出した。

 後任の書記長を捜していたときの条件。

 ――『言うべきことをはっきり言える。そんで、思想に偏りがない。そういう奴をずっと探していた。』

 あれは清洲さんのときの反省があってのことだったのか。

 だからギリギリまで後任選びに時間をかけていた。

「たださ、その後も大変だったんだよ。専従を降りて、会社に戻ることになったのはいいけど、戻る部署が無かったんだよ。専従前に清洲さんがいた部署は、もう他の人を採用したからって断られてさ。んで、当時の委員長が人事部にアタマを下げて、なんとか空いた部署に配属になったんだけど、結局本人があんまり仕事に熱心じゃないから評価もイマイチで、部署を転々としちゃってさ」

 なるほど。そして、第三営業部に行き着いた、と。

「そういう人に対して、組合としてはどうするんです?」

 会社にも本人にも問題がある。

 そういうとき、組合は何をするのか。

「……難しい問題だよなあ。やる気がないこと。評価されないこと。どっちが先かわからない、ニワトリとタマゴだよな」

 評価されないから、やる気が出ない。

 やる気がないから、評価もされない。

 確かに『鶏が先か、卵が先か』だ。

「まずは、適切な評価制度が運用されてるかどうかの確認、くらいかな。清洲さんの件に限らずね」

 個別案件の問題から、できるだけ大きな課題を見つけ出し、そこに論点を置く、ということか。参考になる。


 もう一つ疑問を思い出したので、一ノ瀬さんに聞く。

「そういえば、篠原さんがアドバイスをくれましたけど、あれはどういう意図なんでしょう? 清洲さんに報告をするときは、はっきり伝えた方が良いってメールの文面まで作ってくれましたし。こういう文章作成は慣れてないので、すごく助かったんですけど、ちょっと不思議で」

 一ノ瀬さんは少し黙って、ぽつりと言う。

「まあ、女性からの意見ということで、採用させてもらおうよ。清洲さんへの返信メール、午後にでも送っちゃって」

 何か言いにくいことでもあるのだろうか。

 無理に聞き出すことでもないし、まずは清洲さんの件を終わらせよう。

「わかりました。では今日中に送ります」

「よろしくー。あ、そうだ。CCに俺を、BCCに執行部のみんなを入れといてね」



 昼食から戻り、さっそく清洲さんへ報告のメールを送る。

 これで少し一息つける。

 そう思った瞬間、メールは返ってきた。

 あまりにも早すぎて、宛先不明で戻ってきたのかと思ったが、件名にはRe:と付いている。

 本文を開くと、一文だけ書かれていた。


 [直接お話をしたいので、本日終業後に書記局に行きます]

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