俺は最初から、君ら上手くいくと思ってたよ
梅宮さんが資料を皆に配り終えたのを見計らって、屋代部長が言う。
「じゃあ、最後にこちらから。退職金制度の変更について俺から説明する。そもそも何故新しい制度を導入するのか、というところから説明すべきだろうということで、今回の資料はその部分を追加した」
屋代部長の言う通り、資料の前半には導入の目的が数ページに渡って書かれている。
「簡潔にまとめると、年功序列だった昔と違って、今の時代は評価に連動した人事制度が主流になっている。退職金についても、毎年の評価でポイントを積み上げていく方式が、シンプルかつ公平性が担保されるので、来年度に向けてそれを検討したい、というわけだ」
屋代部長の言っていることは確かにごもっともだ。
前回の経営協議会の後、退職金制度について勉強してみたが、屋代部長の言っている内容とほぼ一致している。
「んー、前提については問題ないと思うんですけど、途中で制度が大きく変わるとなると、個人によって得したり損したり分かれちゃいますよね。その辺りの調整はどのようにします? あんまり差があると、文句出ると思うんですよね」
「まあそうだよな。金銭に関わることだから慎重にやらないとな。まずは何パターンかシミュレーションをして比べようと思う。たとえば、勤続何年目の人が、今後A評価を取り続けた場合はこう、B評価を取り続けた場合はこう、というようにパターン毎に新旧制度の比較をしてみるか。次回までに……梅宮、できるか?」
屋代部長が梅宮さんの方を見る。
細かい作業系は梅宮さんが担当しているのか。
でも、その資料は――。
「それだったら前回ウチの丸井くんが作ってますよ」
そう。前回の会議の際、計算式を比較してExcelで頑張って作った。
「ん? そうなのか?」
梅宮さんが少し悔しそうな顔をして屋代部長の質問に答える。
「……ええ、拝見しました。……よく、できてたと、思います」
ええ? この前は『些末』とか言ったくせに!
「なら話は早いな。丸井くんが作った比較表を一応こちらでも確認させてもらって、組合側からの承認をもらい次第、役員の
「んー、そですね。あ、杉さん。こういう大きな制度変更の場合って、中央委員会で採決とる必要ありますっけ?」
一ノ瀬さんは少し考えたあと、杉本さんに向かって聞いた。
「うん、そうだねえ。就業規則の変更だから、執行部だけで決められないね。全組合員に通達して、内容を検討してもらって、中央委員会で採決って流れになるのかな」
中央委員会というのは、組合員の中から選出された中央委員が集まって、交渉の方針や各支店の問題などを共有する会議のこと。中央委員は、全国の支店ごとに一名ずつ選出することになっているらしい。
「ということなんで、組合的にはまず比較表も含めた説明資料をもらって、それを共有させてもらいますんで、まずはデータが出来上がったら下さいね」
「わかった。あと他に質問は無いか?」
屋代部長がこちらを見回す。
一ノ瀬さんをはじめとした執行部の皆が、大丈夫です、と小さく頷く。
俺は、どうしても一つ気になることができた。
「……あの、一つだけ、質問いいですか?」
「おお、どうした?」
「ポイント制ってことは、計算が簡単になるだけじゃなくて、ポイントの保持なんかも可能になるでしょうか?」
「……というと?」
言葉の続きを少し躊躇してしまう。でも、この二週間、ポイント制退職金について勉強した中で得た知識によれば、間違ってはいないはず。
「たとえばグループ会社に出向した際なんかに、出向先が同じポイント制退職金であれば、その都度退職金を支払ったりしなくても、ポイントの移動だけで済むっていう事例を……本で読みまして。だから、ウチの会社だけでなくて、グループ会社全体で、この制度変更を進めるのかな、と」
屋代部長は少し困った顔をしている。
梅宮さんも眉をしかめている。
的外れなことを言ってしまったのだろうか。
「まあ、そうだな。それもある。……これは、この場だけのオフレコにしてくれよ。丸井くんの言う通り、ポイント制のもう一つのメリットはそれだ。だから、実はグループ会社で統一しようって計画も持ち上がっている。けど、中には、なんというか組合の反発が強いところもあってだな……」
杉本さんと一ノ瀬さんが、ああ、と溜め息を漏らす。
比較的若い篠原さんと伍代さん、そして俺は、いまいちわかっておらず、少し首を傾げる。
「会社に反発することが組合の仕事だって、そう思ってるところもあるってことだね」
一ノ瀬さんが俺たちに向けて言う。
「だから、グループ全体でそういう動きをしてることは、まだ公にはしたくない。そういう意味でオフレコってこと。ですよね、屋代部長?」
「そういうことだ。一ノ瀬は話が早くて助かる」
「へへへ。なら、次の団交のとき優しくしてくださいよ」
「それはそれ、これはこれだ」
会議の場なのに、朗らかな笑いが起こる。
梅宮さんも、笑いはしなかったが、前回よりは幾分か機嫌が良いように見えた。
そんな和やかなムードのまま、今日の経営協議会は終わった。
「おお! 丸井くん、お疲れ!」
帰宅しようと駅に向かう途中の道で、背後から声をかけられた。
振り向くと、一ノ瀬さんと屋代部長が並んで歩いている。少し顔が赤い。二人で飲んでいたのか。
「いやあ、あの後ちょっと屋代さんと話し込んでてさ、こんな時間になっちった」
「丸井くんも随分遅いな。どうしたんだ?」
「あ、いえ、今日の議事録を作ってて。忘れないうちにと思って」
「偉い! 偉いねえ!」
「おお、一ノ瀬が褒めるだけのことはあるな。丸井くんが作った退職金の比較表もよくできてたしな」
「けど、前回の会議では梅ちゃんに『些末なところに拘るんですね?』なんて冷たーい仕打ちを受けましたけどね」
一ノ瀬さんが似ていないモノマネをしながら笑って言う。
「まあ梅宮にもいろいろあるから、そう言わんでやってくれ」
「いろいろって?」
俺と一ノ瀬さんが声を揃えて聞く。
「あ……、これも、オフレコにしてくれよ。俺が言ったってバレたら後で怒られる」
「もちろんですよ。俺と丸井くんは、会社で口が堅い男ナンバー1と2ですよ!」
なんだそれ。初めて聞いた。
「そうか。じゃあ、言うか」
屋代部長、口が軽いな。
「梅宮はな、去年まで別のグループ会社にいて、そこでも労務担当をやってたんだよ。そこの組合とトラブったらしくてな」
「トラブった……?」
「今回みたいに制度変更をしようとして、組合から猛反発を受けてな。それだけならまだよかったんだが、不利益を被るとかって社員が社外の合同労組を連れてきてな。随分と揉めたらしい。それで、色々と追い込まれて退職寸前だったところを、俺が引き抜いてきたってわけだ」
そんなことがあったのか。
なんとなく、自分の境遇と重ねてしまう。
「そういうことがあったから、労働組合ってもんに対して、ちょっと構えるところがあるんだよ。ウチの会社の組合は話が通じるから大丈夫、って言ったんだが、まあそう簡単には忘れられんよな」
「なるほどねぇ。じゃあ、これから丸井くんが梅ちゃんの心を溶かしていくしかないね!」
は? 一ノ瀬さんは何を言うのか?
「おお、そりゃいいな!」
は? 屋代部長まで?
「会社のことを本気で考えてトラブっちゃうような不器用なところとか、もうそっくりだし! 絶対お似合いだし!」
「いやー、俺は最初から、君ら上手くいくと思ってたよ! 一ノ瀬! 良い専従見つけてきたな!」
「でしょ! だから次の団交は優しくしてくださいよ」
「それはそれ、これはこれだ!」
「あはははは!」
酔っぱらいは笑いの沸点が低くて困る。
「……でも、今日の梅宮さんは、なんというか、ちゃんと話を聞いてくれましたよね。少し、組合について見直してもらえたんでしょうか」
「そうだな。丸井くんの資料を見て、随分悔しそうにしてたな。ライバル意識があるのかもな」
「あ、それは俺のせいもありますわ。前回の会議の前、ウチの書記長がすごい資料作ってるから期待しててねー、ってつい煽っちゃって」
この前、やたら当たりがキツかったのは一ノ瀬さんのせいか!
「まあ、梅宮のこと、今後ともよろしくたのむよ、しょきちょー」
何を頼まれたのかよくわからないが、人事部長と委員長の仲が良いということは、とてもよくわかった。
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