そういうところ、意外とみんな見てるんだよ

 一ノ瀬さんよりワンテンポ遅れ、いただきます、と俺も手を合わせる。

 まずは味噌汁に口をつけ、そのあと湯気の立つキャベツと豚肉を一緒に口に運ぶ。

 ふと、最初にこの回鍋肉を食べたときのことを思い出す。


 入社して一年目、仕事で失敗をして先輩にフォローをされたんだっけか。あのとき、そのまま家には帰りたくなくて、ふらふらとこの店に迷い込んだんだ。それ以来、何かあったら、ここに来て回鍋肉を食べてきた。五年間ずっと仕事を頑張って、この店とも五年間の付き合いだ。


「俺……、辞めたくないです。でも、アイツの言いなりの異動なんてしたくないです」

「おっしゃ。そこで専従だ」

「……その、専従っていう仕事が、まだよくわからないんですけど」

「ああ、そっか。先にそっちから説明するべきだったね。悪い悪い」

「すみません、組合のこと、あんまりよくわかってなくて。入社したときに、先輩に誘われるがまま加入して、それっきりで」

「だよねぇ。ほとんどの人がそんな感じだから気にしないでよ。って、俺が胸張って言うことじゃないけどさ」

 一ノ瀬さんが少し寂しそうな顔をする。

「えっと、組合ってあれですよね。ニュースでよくやってる“ベア”とか“デモ”とか、そういう感じの」

「んー、どっちもウチではやってないけどね。春闘も定昇の交渉しかしてないし、デモもやったことないんじゃないかな。もしかしたら昔はやってたかもしんないけど」

 なんだか見当違いのことを言ってしまったみたいだ。

「組合員向けのメールや機関誌で、組合のやってることは流してるんだけど、特に若い子はあんまり読まないよねえ」

「……すみません」

 メールは月に何通かは来ていたけれど、そのままろくに読まずにフォルダに溜まる一方だった。

「いや、読みたいって思わせられないモンを作ってる方が悪い」

 これも一個課題だな、とスーツの内ポケットから取り出したメモ帳に書きながら一ノ瀬さんが言う。

「んで、話を戻すと、専従っていうのは、のことなんだよね。会社を休職して、出向扱いになる。就業規則なんかは会社のものと一緒だけど、給料はみんなの組合費から出る。任期は一年間だけど、数年やる人もいるし、せっかくだから丸井くんにも数年やってほしいと思ってる」

 会社に入って五年目にして、初めてそんなポストがあったことを知る。

「えっと、じゃあ書記長っていうのは、何をするんですか?」

 かなり漠然とした質問を投げてしまう。

 が、返ってきた答えは、もっと漠然としたものだった。

「組合の運営全般、だね。組合ってのは、“執行部”ってのが中心にあるんだけど、委員長、副委員長、書記長、執行委員で構成されてる。その執行部が中心になって方針を決めたり会社と交渉したりするんだけど、みんな普通に会社の仕事をして、その後で組合の仕事をする。だから限界があるんだよ。でも、書記長だけは組合の仕事だけをする。目の前の業務だけじゃない、会社全体のことを考えて、組合がどうすべきか、どう動くべきかを考えることができる」

「へぇ……」

 あまりにも規模の大きな話に、溜め息に似た返答しかできない。

「三国志は好きかい?」

 突然、一ノ瀬さんが聞いてきた。

「あ、いえ、詳しくは知りませんが劉備とか関羽くらいは知ってます」

「じゃ、諸葛孔明は?」

「ああ、もちろん聞いたことありますよ。軍師、ですよね」

「そう! まさに、それ!」

 少し興奮気味に一ノ瀬さんが続ける。

「専従書記長ってのは軍師みたいな役割なんだよ。権限は委員長や副委員長の方が大きい。でも、そいつらを動かすのは、軍師である書記長なんだよ」

「な、なるほど」

 一つ、純粋な疑問が浮かぶ。

「でも、そんな大事な役割、組合のことに詳しい人じゃないとまずいんじゃないですか?」

 決してやりたくないわけじゃない。

 でも、論理的に考えて、戦略の素人に軍師は務まらない。

「まあ、普通なら執行委員や副委員長、せめて地方支部の役員を経験した奴が書記長をやるかな」

「だったら、どうして俺に……?」

「んー。丸井くんさ、たとえば会社から突然『残業禁止』って言われたら、どうする?」

 突然、妙な質問を受けて、少し考えてしまう。

「……仕事量が同じなら、無理ですね。かといって、仕事量を減らすと売上も減って予算は達成できないでしょうし。そもそも本部費が高いです。営業部でやってる業務と本社でやってる業務の重複はたくさんあるので、それを削ればもっと効率よくできるんじゃないかと思います。内務の業務が効率化すれば、営業が抱えてる仕事も割り振れますし。残業の制限は、そういった効率化や一元化とセットじゃないと難しいと思います」

「おっし。じゃあ第二問。もし丸井くんが人事部に行ったらどういうことをまずやりたい?」

 一ノ瀬さんの問いにどういう意図があるのかよくわからないが、とりあえず普段考えていることを言う。

「まずは他事業部間での異動をもっと頻繁にしますね。ウチの会社、人事異動が少なすぎます。俺も五年間ずっと営業ですし、他の人が何やってるか知ってるだけで仕事の幅も増えると思います。それに人材交流にもなるんじゃないかと。お互いに顔を知ってるだけで、仕事の振りやすさは全然違うでしょうし」

「そう! そういうところなんだよ。現場の目線で会社全体のことを考えられる奴。この前に限らずさ、丸井くんって会議の場でちゃんと質問するだろ? そういうところ、意外とみんな見てるんだよ。ああ、こいつはちゃんと考えて仕事してるんだなって」

 そんなことを面と向かって言われると、恥ずかしくなってしまう。

「言うべきことをはっきり言える。そんで、思想に偏りがない。そういう奴をずっと探してたんだよ」

「……えっと、ほんとに俺なんかでいいんですか?」

「丸井くんが良いんだよ! 頼む!」

 一ノ瀬さんの真剣な目に気圧される。この人にここまで言われたのなら、自分でもやれる。そんな気になってしまう。


 軍師が武将を助けるように。

 書記長は委員長をサポートする。

 なるほど。面白そうだ。


「わかりました。是非、お願いします」

「おお! やった! ありがとー! あ、おばちゃん、ビールもう一本追加で!」

「はいよー!」


 俺は一ノ瀬さんと本日二回目の乾杯をした。

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