第1話 第三営業部の丸井です

辞める前に溜まった有給休暇を使い切りたい

 『退職届 書き方』


 会社のパソコンを使い、Googleに打ち込む。

 勤続5年目にして堂々たるサボりだ。

 

 出てきた検索結果の中から適当にわかりやすそうなサイトをクリックし、斜め読みをする。

 なるほど。『退職届』と『退職願』と『辞表』は少し違うのか。まあ何でもいいだろ。どうせ辞めることに変わりはないし。


 俺は何も間違ってない。

 あんなヤツが役員になるような会社、こっちから願い下げだ。

 大きく伸びをすると、営業部長の斉藤さいとうさんと目が合った。

 通常であれば、営業担当者がこんな時間に社内にいることなんて、まずありえないことだ。それなのに斉藤部長は何も言わない。むしろ、どこか申し訳なさそうな目で俺を見る。

 俺も、アイコンタクトで応える。


 ええ。わかってますよ。心配してくれてるのは。

 でも、俺をかばったりしたら、部長までとばっちりを食らいかねない。

 だから、それでいいんです。

 そもそも、俺が勝手に突っ走ったのがいけないんだから。


 伝わったかどうかはわからないが、こうしてても仕方ない。

 斉藤部長から目をそらし、パソコンに目を移す。

 ふむふむ、退職届は二週間前までに出せばいいわけね。ただし、就業規則には一ヶ月前と書いてあるところが多い、と。

 ということは、早くて二週間後、遅くても一ヶ月後には俺はもうここにいないわけか。

 ああ、でもどうせなら、辞める前に溜まった有給休暇を使い切りたいなあ。


 自分が辞めたあとのことを想像して、まず浮かんだのは、顧客のことだった。

 A社はあいつが引き継ぐのかな。B社は細かいから、あの人じゃなきゃ無理だろうし。C社は厳しいとこだけど、あの子が合ってそうだな。

 ……っつーか、お客さんになんて言えばいいんだよ。一身上の都合で急に退職することになりました、なんて説明するのかよ。なんだか辛いな。


 どうしてこうなった。なんて、考えるまでもなく、理由ははっきりわかっている。


 発端となったあの会議の風景がフラッシュバックする。

 


 年度始まりの全国会議で、外薗ほかぞの本部長が言う。

「企業風土から変えていくんや! これまでの慣れ合った評価制度なんてやっとったら、会社は潰れる! 今後は信賞必罰の精神でやっていくで!」


 数年に渡って赤字事業部の部長だった外薗さんは、なぜか今期から本部長となった。社内では様々な噂が飛び交ったが、真相は未だに不明。誰も納得していない空気の中、外薗の後任で部長となった中山なかやまが、その通りですねぇ、などと大きな相づちを打つ。

 外薗本部長による事業計画や今後の方針についての話が終わり、最後の質疑応答の時間がやってきた。

 誰も言わないのなら、言っていいだろうか。

 誰も言わないのだから、言うべきではないのだろうか。

 逡巡するも、気付いたときには挙手をしていた。

「あの……、信賞必罰っておっしゃいましたけれど」

 口が渇く。思ったより緊張してるのか。

 でも、ちゃんと言おう。明日からも心置きなく働くために。

「赤字が続いた事業に関して、本部長はどう責任を取られたんですか?」

 会議室がしんと静まり返る。

 外薗本部長は何も言わない。黙ってしまった本部長の代わりに、取り巻きの一人が答えた。名前は思い出せないが、どこかの副部長だったはず。

「えっと、君は入社何年目だっけ? 言ってることはわかるけどね、上には上の責任の取り方があるんだよ」

「具体的に、どういう取り方でしょうか?」

「そ、それは、一言では言えないよ。……ですよねぇ」

 名も知らぬ副部長は外薗本部長にお伺いを立てるように首を傾げる。

 ようやく動いた外薗本部長は、副部長からマイクを奪い取り、一言だけ発した。

「……うん、キミな。直接説明するから、あとで来なさい」

 続いて質問をする人は誰もいなかった。そんな空気ではなくなっていた。

 ちょっと悪いことをしてしまった。

 

 その後、新しい人事の発令や、新商品の発表などが行われたが、ほとんど頭に入らなかった。

 ようやく全体会議が終わり、ざわついた会場を横目に外薗本部長のところへ向かう。

 その途中、ポンと後ろから肩を叩かれた。

「お前、やるじゃん」

 うん? 誰だろう。どこかで顔を見たことがあるけれど、思い出せない。

「えっと、どうも」

 とりあえず会釈だけして終わらせる。

 とにかく本部長との話を終わらせないと、さすがに落ち着かない。


 副部長の案内でホールの裏の小部屋に通される。

 部屋の奥でパイプ椅子に座った本部長が開口一番に言う。


「キミな、会社のトップが言うことに不満があるなら、辞めた方がええで。それがお互いの為や。ウチの会社に合っとらんわ」


 説明をされるわけでも、議論をふっかけられるわけでもない。

 辞めた方がいい。単純なその一言で、頭が真っ白になる。


「もし辞めへんのなら、どこかキミに合った部署を紹介したるわ。せや、メールセンターなんてどうやろ。毎日全国からの社内便を振り分ける仕事や。憧れの本社勤務やで? ええやろ?」


 気付いたときには、口に出していた。


「そうですね。あなたみたいな人がトップにいるのなら、辞めます」


 別に怒らせたいわけじゃない。不満をぶつけたかったわけでもない。

 ただ、腑に落ちていない社員がいることを、伝えたかった。

 納得できる説明さえしてもらえれば、それでよかった。

 それだけだったのに。

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