<勇者Side07>水平線の向こうの街

「これが魔大陸に向かう交易船です」


「おおー!」


 俺はエルアーラさんに紹介された船の大きさに感嘆していた。三本の高いマストを持ち、全長五十メートル以上ありそうな大型の帆船だ。


 ここはパイレーツ市の主埠頭。昔は海賊の根拠地だったというので魔法語で海賊を意味する名前が付いた街なんだが、周囲が干潟に囲まれていて地上からは非常に攻めにくい地形になっている。前にテレビで見たイタリアのヴェネチア市によく似ているな。この地形のために海賊が根拠地としていたらしい。魔王軍の攻撃もたまに海側から嫌がらせ程度にあるだけのようだ。


「これで魔王城がある魔大陸に向かうんだな?」


「はい。交易船は攻撃されませんので」


「……何でだ?」


「魔王の方針らしいのですが、理由はわかりません。軍艦は魔王海軍の攻撃を受けて撃退されるのですが、交易を主目的とする船の場合は、武装していても見逃されます。魔物ではない怪物は襲ってきますので、それを撃退する程度の武装は目こぼしされているようです」


 ……あの魔王のことだ、人類側に交易の利益を上げさせておいて『獲物は太らせてから食べるものだよ』とか、そんなことぐらい考えてそうだ。


「魔大陸側には港はあるのか?」


「はい、ウミソラ市という街が唯一残っていて、そこの港に入ります」


 ……何かツッコみどころのある名前だな。それに、魔王の本拠地の大陸に人類側の街が残ってるのか?


「何か、今まで聞いてきた街と名前の雰囲気が違うんだけど?」


「はい、この街は前代魔王が倒されたあとに人類側が魔大陸に入植して作った新しい街で、創設者の兄弟の名前が付いています」


「兄弟の名前?」


「はい。伝説の勇者様が、やはりここから魔大陸に向かおうとしたとき、それを阻止しようとする魔王軍に街が襲われました。それを勇者様が撃退したのですが、ちょうどそのときに領主パイレーツ男爵のところに腹違いの次男と三男がほぼ同時に生まれたのです。生まれた兄弟を見た勇者様が『兄の目の深い青は海みたいだ。弟の目の明るい青は空みたいだ』とおっしゃったので、兄がウミ、弟がソラと名付けられたということです。その兄弟が長じて魔大陸に渡り、人類側の橋頭堡となる街を作りました」


「なるほどね。でも、その街はなんで魔王軍に攻められてないんだ? それに街が健在なら神殿に直接転移できないのか?」


「これも攻められない理由は不明です。また、魔大陸全体に転送魔法陣を妨害する結界が張られているため、ウミソラ市の神殿に直接転移することは不可能なので、船で向かう必要があります」


 うーん、交易を妨害しないのと同じ理由なのかな。魔王の真意がよくわからん。


「とにかく、行ってみるしかないか」


「はい。折よく、昼頃出航だそうですので、このまま乗り込んでしまいましょう」


 そうして、エルアーラさんに先導されて、俺たちは船の舷側にかけられたハシゴの方に歩いて行った。


 ◆ ◆ ◆


 船旅は快適だった……船酔いを除けば。俺は日本じゃ結構乗り物酔いする方だったんで心配してたんだけど、そこはそれ、この世界だと無敵不死身不滅の勇者なんで船酔いにはならなかった。でも、エルアーラさんとコニーさんはひどい船酔いになって船室に籠もりきりだ。スカウトで身が軽いミーアさんは平然としていて、面白そうだからってマストに登ったりして船員さんに怒られてたけど。


 それを除けば、特に嵐や悪天候にあったりすることもなく、順調に航海は進んでいた。ときおり大ダコとか固い頭で船体に体当たりしてくるサメみたいな海の怪物が襲ってきたけど、俺の魔法一発で吹き飛ばしてやった。魔物と違って金貨には化けず、ただ死体が海に沈んでいっただけだったけど。


 そんな航海が二十日も続いたころ、マストの上で見張りをしていた船員さんが叫んだ。


「陸が見えたぞ~!」


 それを聞いて俺も船首の方を見てみると、水平線の彼方に、かすかに黒いものが見える。そうか、あれが魔大陸、魔王の本拠地か。いよいよ敵のお膝元に乗り込むんだ、気合いを入れ直そう。


 と、その声を聞いて船室からエルアーラさんたちも上がってきた。さすがに二十日も航海していれば船酔いにも慣れてきているのだが、元来森育ちのエルアーラさんや山の民ドワーフであるコニーさんは海とは相性がよくないので船室に籠もっていることが多い。猫族獣人なのにあっちこっち行ったり来たりしてるミーアさんの方がおかしいのかもしれないけど、実は船はネズミ対策に猫を飼ってることも多いらしく、この船にも何匹か猫がいたんで、そう考えると変じゃないのかな。


「いよいよですね」


「ああ、気合いを入れていかないとな」


 なんてことを話しているうちにも、ぐんぐんと陸地は迫ってくる……のだが、別のものも迫ってきている。


「何だアレ!?」


 黒い、巨大な船。いや、戦艦とでも言うべきシロモノだぞ、アレ! しかも、帆を張ってない!!


「魔王海軍の鉄甲艦です。全体が鋼鉄で覆われ、われわれの弩砲どほうや火矢などまったく通じません。恐ろしい煙を吐いて動き、帆を張る必要もないのです。武器はわれわれと同じ弩砲ですが、搭載数は我が方の最大の軍艦のさらに倍以上あります」


「蒸気船! 奴ら、蒸気機関を実用化してるのか!?」


 俺の叫びに、珍しくコニーさんが答える。


「そうだよ。最初に見た勇者様も驚いてたみたい。どうやって魔王が蒸気機関を知ったのかはわからないけどね。それで人類側でも必死になって作ろうとしてるんだけど……冶金やきん技術が全然おいついてないんだ」


「どういう意味だ?」


「蒸気機関の原理自体は二代目勇者の未来様が教えてくれたんで、一台二台の試作品は作れるんだ。だけど、量産すると鋳造したボイラーも、それが生んだ蒸気で前後運動するピストンも、それを回転運動に変えるクランクも、強度が足りなくて、すぐ破裂したり折れたりしちゃうんだ。鉄の質が悪いせいなんだって。この九年間ドワーフの職人たちが必死になって改良に取り組んでるけど、なかなか成果が出なくて……」


 そうか、コニーさんもドワーフだからそういう知識には詳しいのか。同じドワーフとして、あまり成果が上がっていないことがもどかしいのか、悔しげな表情をしながら説明してくれた。


 蒸気船だが、今は煙を吐いていない。つまり停止状態にあるようだが、高いマストの上には羽の生えた人型の魔物、たぶんハーピーか何かがこっちを監視している。そんなのが何隻も並んで目的地のウミソラ市の周りの海域を威圧してる。


「魔王海軍の封鎖艦隊です。こちらが大規模な艦隊でウミソラ市に増援軍を送ろうとすると、あの鉄甲艦隊や水棲の魔物による海兵隊に常に阻まれてきました。ただ、一隻の交易船が通る場合には邪魔しようとも臨検しようともしません。勇者様が乗っていても、です」


「舐めてやがる……」


 俺は拳を握りしめた。不滅不壊の勇者でなければ、爪が食い込んで皮膚が破れたかもしれないくらいに。俺は叫んだ。


「俺たちを舐めたことを後悔させてやるぞ!」


 だが、そんな俺たちを乗せた交易船は、とくに邪魔されることもなく鉄甲艦の間をすり抜けてウミソラ市の港に入っていった。


 ◆ ◆ ◆


 港ではウミソラ市の市長が出迎えてくれた。ケーン・リッツという名前の恰幅のよい中年男性だが、見るからに人柄がよさそうで、今まで会ってきた貴族領主とは違うように見える。


「市長? 領主ではなく?」


「はい、このウミソラ市は、人類社会で唯一の共和都市なのです」


 ケーン・リッツ市長は誇らしげにそう答えた。


「共和都市ってことは、市長は選挙で選ばれる?」


「勇者様がたの知っている選挙とは少し違うかと思いますが。ウミソラ市には同業者組合がいくつもあります。船員組合、漁師組合、船大工組合、交易商人組合、小売商人組合、行商人組合、農業組合、牧畜組合、衣料職人組合などなど。職業を持つ市民は、必ずいずれかの組合に所属し、組合長を選ぶ権利があります。組合内で選ばれた組合長が市議会を形成し、互選で市長を選ぶのです」


 なるほど。職能組合が選挙母体であり、代議員は職能組合代表ってわけか。あれ、そうすると……


「とすると、女性に参政権はない?」


「いえ、衣料職人組合のほか、宿泊施設組合や飲食施設組合には女性の組合員も大勢いますよ。小売商人組合や農業組合などにも女性組合員がいます。商店の店員や農場の小作人なども組合には入りますから。飲食施設組合では女性組合長が選出された例もあります」


 なるほど、雇用主だけじゃなくて被雇用者も組合に入るんだ。で、職業さえあれば女性でも参政権があるってことか。


「なるほどねえ。だけど、どうして共和制になったのかな。普通はウミさんやソラさんの子孫が領主になるんじゃないの?」


 そう聞くと、市長はさらに胸を張って答えた。


「我が市の開祖であるウミ様もソラ様も、生涯を街の発展のために尽くされ、子供を残されなかったのです。ウミ様はソラ様に後事を託され、そのソラ様が遺言で『市の代表は皆で相談して選ぶように』と言い残されたのが、我が市が共和都市となる第一歩でした」


 そう言いながら市長が指さした先には、港を睥睨へいげいするように二人の壮年男性の立派な銅像が立っていた。あれがウミさんとソラさんなんだろうな。でも……


「ウミさんやソラさんの実家ってパイレーツ市の領主でしょ。支配権を主張したりしなかったの?」


 俺の質問に、市長はにこやかに笑いながら答えた。


「それはありましたが、市民が一丸となって抵抗し、自治権を獲得したのです。この伝統があるからこそ、魔王さえ我が市を攻めようとはしませんでした」


 それを聞いた俺は、市長の言い方にひとつ引っかかるものを感じた。


「……、ね」


 そして俺は市長に最後の質問をした。


「本当にこの街が魔王軍に攻められたことは無かったのかな?」


 市長はきっぱりと答えた。


「一度もありません。我が市の農地や牧草地に魔物が入り込んだことも、我が市の漁船や商船が魔王海軍に襲われたこともありません」


「……わかりました。われわれは、このまますぐに魔王城を目指して出発します」


 俺の言葉に、市長はうなずくと、何か支援が必要かと尋ねてきたが、俺はそれを断り、市内の商店で必要な食料や消耗品などを購入するとウミソラ市を出発した。


 魔王軍の脅威にさらされているような緊張感など欠片も無い平和そのものの市街地や、同じようなのどかさが続く市外の農地の間を通る街道をしばらく進み、ウミソラ市が完全に見えなくなってから、俺はエルアーラさんたちに言った。


「あの街、実は既に魔王の支配下にあるんじゃないか?」

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