<勇者Side06>魔王軍恐怖の大戦略!!
アストロ市。セイクリッド王国北西部高原地帯有数の大都市だ。近くにある山が雨雲や雪雲を遮るため年間を通して晴天に恵まれている。そのため、古くから天文観測が必要な占星術師が集まり、魔法語で星を意味する「アストロ」の名がついたという言い伝えがある。魔法が発達して占星術が廃れた現代となっても、その伝統から魔法使いが多く在住し、雨や雪が降る山から流れる水質のきれいな川の水を生かした精密魔道具作りが行われている。この川の水量は豊富で農業用水にも用いられ、麦のほかに高原地帯ならではの野菜の栽培も行っており、牧畜も盛ん。産業に恵まれた豊かな街である……とエルアーラさんから教わった。
この地を治めていたアストロ侯爵は、その豊かさを基盤とした地方領主としては恵まれた財政に物を言わせて頑丈な城壁と強力な騎士団を擁していたのだが、それでも魔王軍の侵攻を防ぐことはできなかったのだという。
その城壁が今度は俺たちの前に障害として立ちはだかる……はずだった。
だが、俺の目の前には、その高く分厚い城壁に作られた巨大で重厚な城門が大きく口を開けていた。
「何で門が開いているんだ?」
俺は唖然としながら誰にともなく尋ねていた。
「やはり、こうなりましたか……私は、勇者様がグリフォンを撃ち落としたときに、魔物の軍勢に襲われるよりは、むしろこうなることを危惧していたのです。恐らく、魔王軍はこの街を放棄したのでしょう」
「放棄?」
エルアーラさんが答えてくれたのだが、意味がわからない。何でこの頑丈な城壁で守られた大都市を放棄するんだ?
「戦略的撤退です。勇者様には勝てないと考え、一時的に占領地を放棄する作戦です。前代魔王の頃、二百八十年前にはまったく無かったことですが、今の魔王はよくこの作戦をとります。最終的には奪い返せると考えているのでしょう。そして、実際に奪い返されています」
そう言われれば合理的な作戦なのかもしれないが、人類側の方は何やってるんだ?
「あっさり奪い返されるのか!?」
「残念ながら、魔王に対抗できないのです。勇者様がいる街は守り切れます。ですが、魔王軍は魔王や、それに匹敵する実力者が圧倒的な大軍を率いて同時に二か所の街へ侵攻します。魔王級の実力者は勇者様でないと対抗できないので、片方しか守れないのです」
「それじゃあ、俺がとどまって守り続けない限りは……いや、逆に言うと俺がいない街は……」
「そうです。勇者様がいない街は次々と落とされていきます」
あまりにもあんまりな回答に、俺は思わず叫んでいた。
「それじゃあ、街のひとつやふたつ奪い返したって意味が無いじゃないか!」
それに対するエルアーラさんの答えは、あくまでも冷静だった。
「実は、そうなのです。本当は、この街は魔物の軍勢と戦って勝利して奪還した上で、次の街の奪還を試みるあたりでご理解いただこうと思っていたのですが……むしろ、早めにご理解いただくことができたので、これはこれでよかったのかもしれません」
……つまり、ひとつひとつ街を奪い返していく作戦はダメだということだ。それじゃあ、勇者たる俺は何をすればいい?
ちょっと考えたら、すぐわかった。蛇は頭を潰さないとダメだ、ってことだな。
俺は、そのことを理解したことを示すために、エルアーラさんに質問をする。
「前代の魔王が倒されてから、今の魔王が復活するまで何年かかったんだ?」
「魔王軍が再侵攻を始めたのは前代魔王を倒してから二百七十年後です。ただ、魔王自身や魔王軍の将軍の発言に『十年間準備を整えた』という言葉が何度か聞かれており、今から二十年ほど前、倒されてから二百六十年後には復活していた可能性が高いと考えられています」
二百六十年……江戸時代と同じくらいの長さだ。それだけの間の平和には大きな意味があるだろう。
「つまり、俺に求められているのは、二百六十年の平和を作ることなんだな?」
「はい、そうです。拓海様、勇者として魔王を倒してください。魔王さえ倒せば魔王軍は統制を失って瓦解し、人類は救われます……少なくとも、次の魔王が現れるまでの間は」
「わかった」
エルアーラさんの言葉に俺は大きく頷くと、アストロ市の城門を目指して歩き出した。
◆ ◆ ◆
歓声は、無かった。
笑顔も、無かった。
そして、豚がいた。着飾った豚が。
「余はアストロ侯爵ガンガーである。勇者よ、よくぞ我がアストロ市を救ってくれた、礼を言うぞ」
でっぷり太ったアストロ侯爵が、いやらしい笑みを浮かべながら俺に礼を言う。
……人を外見で判断しちゃいけないとは思いつつも、どう考えても好きになれなさそうなタイプだ。
そして、気になるのが街の人々の反応である。魔王軍の支配から解放されたというのに、全然喜んでいない。
「どうした、お前たち! 勇者様を歓迎せんか!!」
アストロ侯爵が叫ぶと、何というか、非常にお座なりな感じの歓声が上がる。
「勇者様、ばんざーい」
「セイクリッド王国、ばんざーい」
「アストロ侯爵、ばんざーい」
何だこの渋々やってます感あふれる歓声は!?
そんな歓声と、街の人々の冷たい目に見守られながら、アストロ侯爵に先導されて領主の館に向かう。
豪勢極まりない内装の客室に案内され、侯爵家の使用人が退出したあと、ミーアさんだけは「情報収集に行ってきますぅ~」と言って出て行った。
そこで、さっそくエルアーラさんに事情を尋ねようとしたんだが……
「サイレンス!」
まずエルアーラさんが魔法を使った。これは静音魔法?
「この部屋の壁面に沿って空気の振動を停止する結界を張りました。これで室内の音は外部に漏れません」
……つまり、盗み聞きされてる可能性があるってことか。
「あの街の人たちの反応は一体何なんだ?」
俺の問いに、エルアーラさんはシンプルに答える。
「アストロ候が人心を得ていない、ということです」
「つまり、魔王の方がマシと?」
「……残念ながら。アストロ市は豊かな街ですが、重税でも知られていました。防衛のための騎士団の整備に必要という名目です。実際、ここの騎士団は精鋭で知られていました。ですが、アストロ候は騎士団の整備以外に『貴族の威信』のためにも多額の費用を使うことで知られていました。豊かな街なので産業の振興などにお金をかける必要はないという考えだったと聞いています」
「それでも、魔王に搾取されるよりはマシじゃないのか? 魔王は人間を家畜としか思っていないんだろう?」
「……われわれは、何度も魔王軍に占領された街を解放しています。そこで知った魔王の占領政策は恐ろしいものでした」
「だろう、どんだけ酷い目に合わされるんだ?」
だが、俺の問いに対するエルアーラさんの答えは意外なものだった。
「一日八時間以上働いてはいけない」
「は?」
「肉体的に苦痛を与える罰は禁止。労働者を罵倒してはいけない」
「へ?」
「報酬は明確かつ厳格な査定に従って支払われなければいけない」
「ええ?」
「五日間労働したら二日間の休暇を与えること」
「おい!?」
何だか、ものすごいホワイト企業なんですが!?
「税は労働報酬に対して課せられ、一律報酬の一割。住民としての税が全収入の一割。あとは商品購入時に商品価格の一割の間接税になります。そのほかに収入に応じた社会保険料の徴収があるようですが、そちらの詳細はわかっておりません」
「おいおいおい!?」
所得税十パーセント、住民税十パーセント、消費税十パーセントか。まあ、社会保険料が高いのかもしれないが。
「ちなみに、アストロ候の課税は六交四民、つまり税率六割でした」
「高っ!」
思わず言ってしまったものの、戦国時代とか江戸時代の年貢からすると、そのくらい取ってるんだよな。
「何か、家畜に対しての態度じゃない気がするんだけど……」
思わずつぶやいたのに、エルアーラさんが答える。
「魔王いわく『気持ちよく働く環境を整えてやれば家畜も元気に働くものさ。長い目で見れば絞り上げるよりこっちの方が得だ』だそうです」
……あの魔王、予想以上に恐ろしいヤツだ。
「それじゃあ、街の人たちの心情は……」
「……お察しください。実際、一度占領された街を奪還しても魔王軍の再侵攻があったとき、内側から城門が開けられた例はいくつもあります。そのため、魔王軍の占領政策は人類側では最高機密、絶対に漏らしてはいけない情報で、各国の王家や大臣、それに私たち勇者の従者……一応王族扱いですし……にしか知らされていません」
「アストロ候は?」
「知ってはいるでしょう。あるいは、これから知るか。ただ、それでご自分の政治を改めるかどうかは別ですが」
「何でだよ!?」
俺の問いに、エルアーラさんは苦々しげに答える。
「アパッチ伯の態度をご覧になったでしょう? 神から支配権を与えられた王侯貴族は、民に対しては何をしてもいいと思っているのです。そうでない貴族も、もちろんいますが、どちらかというと少数派ですね」
「少数派……」
「セイクリッド王家は一番マシな方です。王家は民を守るためにあると考えていますから。ただ、貴族や領主の領地に対する支配権が強いので、王家が直接統治する王都周辺の領地や、王家の一族が臣籍降下した公爵領以外では民に対する扱いは酷いものが多いのも事実です」
「……」
俺は何も言えなくなってしまった。中世っぽいファンタジー世界の現実なんて、こんなモンなのかもしれないけど……
と、そのとき部屋の扉が勢いよく開かれ、ミーアさんが飛び込んできた。
「大変ですぅ~、ライオン市とメイプル市が魔王軍の攻撃を受けて占領されました~」
そのとき、俺は確かに魔王の高笑いを聞いた。
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