第四章 焼逐梅 PART17
17.
「私が知ってるのはそこまでなの。後はおじさんしか知らない……」
栞はそういって春田君から視線を外した。どうやら次は自分の番のようだ。
「俺はただ、順平君に呼ばれて事務所に行っただけだ。栞が危ないから助けに来てくれっていわれただけだ。その時に鍵の暗証番号も聞いた。それだけだ」
事務所に辿り着くと、二人が口論して栞が火を点けた所だった。
もしかすると、彼はそこまで予測していたのかもしれないし、ただの安全装置として自分を呼んだだけかもしれない。
「では、兄の意思を知る者はいないということですか?」
春田君は小さくため息をつきながら窓の外を見る。
「ああ、申し訳ない。話そうにも話せないから、今まで黙っていた形になっていたんだ。だから……君が納得できないというのであれば、俺が自首するつもりだ」
「何で、おじさんが? 私がするべきでしょ」
「俺は放火をみすみす見逃したんだ。元・レスキュー隊員としてあるまじき行為だ。俺の失態でなくて、何だというんだ」
「私が火を点けたことがそもそもの原因でしょ? 何、また罪を被ろうとしてるの。そういう所が嫌いだっていってんの」
「何だと? そもそもお前が……」
「止めて下さい、お二人ともっ!!」
春田君は大声で怒鳴った。
「事情はわかりました。もちろんお二人を咎めるつもりはありません。ただ僕は真実が知りたかっただけですから……」
「すまない、俺も順平君のことを考えない日はなかった。それでも彼が何を考えて事務所で自殺しようと思ったのかはわからないでいるんだ。栞に火を点けさせたのも、まるでわからない」
ヒーローの仮面をかぶっいるのなら、付き合っている女性に罪悪感を受え付けるようなことをするはずがない。
「ん、ちょっと待って下さいよ。兄は自分で火の中で死にたいといったんですよね?」
春田君は栞を見ながらいう。
「うん、そうだよ。それがどうしたの?」
「だからじゃないでしょうか」
春田君は小さく頷きながら頭を捻る。
「自分で火を点けたら放火魔として僕たち家族に賠償がいってしまう。かといって、火を点けたら栞さんが疑われてしまう。だから冬野さんを使って栞さんを守りながら他殺に見せかけた焼死を目論んだ」
「え?」
意味がわからず栞と目が合う。
「焼逐梅でしたっけ。焼かれても梅の香りは添い遂げる。きっと兄は栞さんの前で死にたかったんだと思います、火の中で燃え尽きても、自分は消えないよという意思を表したかったんだと思います」
「そんな馬鹿なことがあるのか?」
両親を火事で失っている相手に対してそんな無鉄砲な計画を立てられる者がいるだろうか? いや、そんなはずはない。
「あ、あり得るかも……」
栞は小さく息を吐きながら告げる。
「書類整理が嫌いだったのに残業してまで、するのがおかしいと思ってたのよ。もしかしたら初めから、事務所がなくなることを想定していたのかも」
彼の死に際が不意に蘇る。火に包まれながらも微かに笑う順平君の姿が目に浮かんでいく。
「え、ちょっと待って。もしかして初めから火の中で死にたいと思ってたの? 私の両親が火事で死んだのも知ってるし、この事務所なら全焼にならないと知ってたから?」
一度燃え尽きた事務所は安全不備があるため、立て壊される。おかげで安全対策には通常のものよりも適正が高いものが配置される。
「本当にそうだとすればひどい、わがままな男だな……」
彼のヒーローとしての男前の像が崩れていく。死人は無敵だ、神格化された彼の像が今、まさに変格を遂げていく。
「もちろん答えなんてわかりませんけどね。そういった可能性もあります」
春田君が急に笑いながら俺達の肩を叩いてきた。
「そうだとすると、本当に兄貴は二人にご迷惑を掛けたことになりますね。謹んで僕から謝らせて下さい。申し訳ありません」
「君が謝ることはない」
「そうだよ、俊介君が悪いわけないよ」
「そうかもしれませんが、そう考えると兄らしいなって思ったんです。いつも猪みたいに行き当たりばったりで、他人を巻き込んでちゃっかり美味しい所をかっさらう兄貴なら、それもいいかなって」
「仮にそうだとしたら最悪過ぎるけどね。彼に対して懺悔していた私がばかみたいじゃない」
「そうだな。仮の話だが、そうだったら、俺達は被害者だ」
……あなたが何を考えているのか、わからない時があるの。
不意に梅雪の声が蘇る。彼女のことを思ってとった行動が彼女自身を悩ませてしまうこともあった。離婚して武彦を薦めたのも、彼女の幸せを願ったからに違いない。
……だけど、梅雪にとってはそうは思わなかったのかもしれない。
人の好意を素直に受け取るのは難しい。もしかすると順平君も栞のことを思っての行動だったのかもしれない。
「何か振り出しに戻ったような感覚だな」
ぼそりと呟くと、栞は小さく笑った。
「うん。おかげでまた悩みが増えそうよ」
「僕もです」
春田君は真剣な表情でいう。
「兄の真相を知るどころか、何を考えていたのかさえわからなくなりました。でも……ここに来れてよかったです」
「ああ、俺もだ。またここに来れてよかったよ」
「私も。君と話ができてよかった」
人の生き死になんて、わかるはずがない。そんなこと、レスキューをしていたころから当たり前だったのに。
「僕はこれから自分だけのことを考えて仕事に専念してみます。きっと兄貴も……そうだったんでしょうから」
「ん?」
黙って彼を見ると、はにかんだ笑顔を見せた。
「兄貴は夢中で夢を追いかけたんだと思います。だからこそ、お二人に出会うことができたし、仕事でたくさんの人の心を掴むことができたんでしょう」
「そうだね」
栞が同意すると、彼は背伸びをしながら踵を返した。
「そうとわかれば明日に備えましょう。明日はお二人にとっても大切な日ですからね」
「そうだな……そうするしかなさそうだ」
頷くと、春田君は丁寧に頭を下げた。
「それではまた明日、よろしくお願いしますね! 冬野さん」
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