第0章 死樹折織 志木 栞編


 

  ◆◆◆



「栞、そんなに死にたいのなら一緒に死んでもいいぜ?」


 

 暖房の効いた事務所でサービス残業をし続ける中、順平君は唐突にそういった。



「今なら引き継ぐ案件もないし、ちょうどいい。死ぬんだったら、俺は火に包まれて死にたいな。苦しいだろうけど、一瞬にして消え去りたいよ。火つけチャッカマンとしてはベストな死に方だろう?」



「駄目。順平君は最期まで生き抜くって決めたんでしょ? だったら、私のことなんか気にしなくていいよ」


 彼とささやかに婚約を交わして半年。家族の同意を得ることができなかったのは彼が癌に掛かっており、タイムリミットが決まっているからだ。



「まあそうなんだけどな。あーあ、本当に俺は死ぬのかなぁ」



 軽そうにいうが、順平君の心の闇には届かない。いつも光に満ちていた笑顔がここ最近、見れないことも気づいている。



「お前にはよくいってるけどさ、死ぬ気でやれば何でもできるっていうのは本当だな。失敗ばっかりだったけど、この仕事、楽しかったよ」


「止めて。本当に死ぬみたいじゃない。年末っていっても、どうせすぐにまた新しいお客さんが来るわよ。順平君は火種を持ってるからね」


 棘があるようにいうと、彼は小さく苦笑いしながら両手を擦り合わせた。


 彼・春田順平君は私の先輩でありながら、数々の伝説を作ってきたウェディングプランナーだ。結果的には成功を収めている確率の方が高いが、そのほとんどが危ない橋を渡り、社員一同を震え上がらせてきた。


 桜紋の入った組長の結婚式を野外で提案し、当日は雨という大クレームを受けながらも実際に現場に参加して何とか式を収めることができたのは彼の人柄だろう。その後、野外式を何度も決行し、幾度となく失敗の連続を繰り返しながらもうちの会社は軌道に乗っていた。


 結婚にはサプライズを欲する者が跡を絶たないからだ。


「色んな人を手掛けてきたけどさあ、俺が一番プランを組みたかったのは誰か知ってる?」


「自分達のじゃなくて?」


「ああ。俺は祝って貰うよりも祝う方が好きだからね」


 そういって順平君は小さく微笑む。


「じゃあ誰のなの?」


「俊介だよ」


 順平君ははにかみながらいう。


「今はまだ就活してるけどさ、あいつの結婚式まではやりたかったのが本音だな。いつも俺の後ばかりついてきて、可愛いんだけど、不安なんだよなぁ」


「大人しそうな感じだよね。順平君とは大違いで」


「まあね」


 キーボードの音が止まると、彼はPCの電源を切り椅子の背もたれに寄りかかった。


「よし、月次の資料も終わりと。来月からは新年か。また新たな客が来ると思うと燃えてくるな」


 彼の遠い目を見ると、その先には未来はないようだった。その日暮らしの癖がつき、荒れていく彼の姿に私はもう、ぎりぎりの状態だった。


「うん、そうだね。でも……順平君はもうたくさん頑張ったから、休んでもいいんだよ? 死ぬんだったらどこに行きたい?」


「ん? どした?」



「……順平君。やっぱり一緒に死のっか、会社を辞めてさ……」



 私が軽い声でいうと、彼は小さく頷いた。



「ああ、いいぜ。いつ、どこで、どうやって死ぬ?」



 死に方一つとっても彼は嬉しそうに微笑む。胸を躍らせる少年のように、いつもの顔に戻っている。


 そのいつもの顔に、私の心にひびが入る。



「私はここで、今すぐ順平君と死にたいよ。あーだこーだ、仕事の愚痴をいいながらさ。クレームばっかりで嫌になっちゃうこともあるけどさ、結局、よかったよなーとかいいながらさ」


「栞?」



「……怖いよ、順平君」



 彼の顔を見ながら収まらない涙を堪える。


「何で笑顔で自分の死刑宣告なんてしたの? 勝手に死んでくれればさ、こんなに悩むことなんてなかったのに、なんで私に話したの?」


「…………」


「私、ずっと順平君と一緒にいられるなんて思ってもなかったよ。それでも君と一緒にいられる時間、とっても好きだった。婚約なんてしてくれるなんて思ってなかったし、もっとあっさりと別れると思ってた。だって順平君は……私じゃなくてもよかったでしょ?」


「……」


 彼の心の闇をきちんと受け止めたかったのが本音だ。彼に縋り続けてきた私がいえる立場じゃないのもわかっている。



 それでも、後悔してお別れはしたくない。彼はヒーローである前に一人の人間だ。私が彼を英雄扱いしたら、誰も彼のことを見る人がいなくなってしまう。


 

「順平君の行き当たりばったりな性格が好きだった。何も考えずにただがむしゃらに行動して、皆を巻き込んで、最後にはちゃっかり成功しちゃう、ヒーローみたいな所が好きだったよ。だけど……何で、私の前でも仮面を作ってるの?」


「しおり……」


「全部、私のためなんでしょ? 私が苦しまないように、心残りがないようにさ、婚約までしてくれてさ、指輪までくれて……そんな、いい男を演じてる君なんて……残酷すぎるよ……」


「ごめんな、栞……」


 彼に体を預け涙を心ゆくまで流していく。


 順平君は卑怯だ。何も考えてないように見えて緻密に計算している。私の感情もうまくコントロールしようと、英雄ヒーローの仮面を作ってくれている。本当は今すぐにでも逃げ出したくて、怖いくせに。


「死ぬのが怖い人なんていないよ? 私、ずっと死にたいって思ってたけど、死ねなかったもん。何かしら理由をつけてさ、生きてるの。人はそんなに簡単には死ねないのよ」


 彼の恐怖を取り除きたい。大丈夫だよって頭を撫でて安心させてあげたい。でもそんなこと、私には無理だ。子猫が親猫を心配しても何もできないように、私は無力だから。


「愚痴をいうのは柄じゃないのもわかってる。男らしい順平君が好き。でも、弱ってる順平君だって助けたかったの、もっと本心が知りたいよ」


「……ごめんな、栞」


 彼はただ謝って私の頭を撫でてくれる。自分の幸せを放棄して、私のことを一番に考えてくれている。


 嬉しいはずなのに、辛い。彼の心が知りたいのに離れていく気がして。



「だから順平君。一緒に死んじゃお? 一人なら怖いけど……二人なら、怖くないよ」



 私が煙草にライターの火を点けると、黙って頷いた。



「ああ、そうだな……一緒に死ぬか、栞。今ここで」



 PCの電源を落として彼は書類を整理し始めた。今から死ぬというのに、後の作業を考えている彼は本当に誠実な人だ。


 絨毯に煙草を落とすと、彼は何事もないように私を抱きしめていく。今まで大事にしていた書類作業でさえ、不要なように事務所一体にばらまいていく。


「どうしてそんなに物分かりがいいの? 馬鹿なの?」


 私が尋ねると、彼は笑いながら答えた。


「ああ、馬鹿だよ。当たり前じゃないか。今頃知ったのか?」


「んーん、知ってた」


 炎が事務所を飲み込んでいく。視覚が遮られるほど周りが赤くなっていく。


「ごめんね、順平君」


「謝るなよ、そんな不細工な顔したら幸せが逃げるぞ」


「元から不細工だからいーの」


「そうか」


「そこはフォローする所でしょっ!」


 彼に突っ込みながらも意識が混濁していく。最後に君とつまらない冗談がいえてよかったよ。


 意識が途切れる寸前に彼の姿を見ると、彼の顔は無くなっていた。


 そこには元ヒーローだった、冬野おじさんが立っていた。 

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