第四章 焼逐梅  PART7

  


  7. 



「お久しぶりです、源治げんじさん」


「ああ、お待ちしておりました。ささ、寒いですからどうぞお入り下さい」


 休憩室に入り、熱いほうじ茶を頂くと、体がほっと暖まる。


「お電話で申した通り、今日来たのは……竹山梅雪の件でして」


「ええ。存じております。ご用意させて頂きました、こちらの書ですよね?」


「はい、そうです。いやぁ、懐かしい。本当にありがとうございます」


 

 栞と葬儀場で会ってから一週間後。俺は梅雪の書を受け取りに清閑寺に向かった。


 書を書いたのは彼の妻・夏川静なつかわ しずかさんだ。清閑寺を代表する住職さんだったが、彼女もまた癌で5年前に亡くなってしまった。



 そこには『焼逐梅しょうちくばい』という造語が書かれてある。



「ついに……その時が来たのですね」


「ええ。ようやく、といっていいかもしれません」


 その書には梅雪がまだ入退院を繰り返す前に拝読し勇気を得た言葉が載ってある。20年以上も前の書であるのにも関わらず、埃一つついていない。



「焼け落ちても、添い遂げるように、梅の花は香る……静さんの言葉が今でも胸に残ります」


「そういって頂けると、家内もあの世で喜んでいると思います」



 焼逐梅、この言葉は、一つの短歌を背景にして作られている。



 春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やはかくるる


                          古今集 春 躬恒



――梅の花は 目にはみえないけれど、隠れようもないその芳香が、春の夜の闇に浮かんでいる――




梅の花は暗闇にあろうと、その香りを発する。たとえこの世になくても、香りという記憶は消えることはない。燃え尽きても、添い遂げるまで、梅の花は余韻を残してくれるという意味だ。



「もうあなたがここに来るようになって20年以上にもなるのですな……」



 源治さんはお茶を啜りながら小さく頷く。



「火の力は本当に尊いものです。あなたに焼いて頂いて、うちの家内もよかったと思っています。何せ、最後はほとんど骨も残らない、ぼろぼろの状態でしたから」



 癌の弊害で、静さんの体の骨密度は極端に細かったらしい。それでも彼女は最後まで泣き言を漏らさずにお勤めを果たした。


「とんでもない。誰がやっても平等だったと思います。ただ私にその役目が来たことを、今でも幸運に思っています」


 5年前、夏川静さんは大腸がんで亡くなった。元々癌に掛かりながらも、ご自身でセミナーを開き、絶望に負けずに生き抜くことを誓っていた。


「葬儀の際には……こちらこそよろしくお願いします。お孫さんにはきちんと思いが託されたのですね、『一蓮托生いちれんたくしょう』というお言葉が」


「ええ、不束者ですが、その意気は伝わっていると思っています」



 静さんが亡くなり、後継者としてその孫の菜月なつきさんに譲渡された。大役を任された彼女は必至に縋りつきながらも、その役目を果たしている。


「私がいうのもなんですが、菜月は本当に優しい子です。彼女は必ず全力を尽くしますので、どうぞその時には改めてお二人の元に届けさせて頂きます」


「ええ、本当にありがたい話です。では……」


 マナー通知にしていた携帯電話が突然、振動する。


 源治さんに頭を下げて電話を取ると、栞ちゃんからだった。


「ああ、やっと繋がった。おじさん、急いで病院に行ってくれない? 私、まだ通夜づきでさぁ……」


「どうした? まさか、梅雪の件か……」


「いや、違うの」


 栞ちゃんは一息ついてからいった。


「おばさんじゃなくて……パパが倒れちゃったの」

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