第四章 焼逐梅  PART6

  6.



「それでは故人様を火葬炉に搬入させて頂きます」



 遺族に声を掛けて扉を閉めると、そのまま彼らは待合室へと向かった。



 ……さあ、今日も一仕事だ。



 炉の中に火を起こし、一番最深部へ台車を前進させる。温度の上昇に伴い、火が青く燃え上がっていくのを確認する。



……よし、頃合いだな。



デレッキを掴み炉の中へ入れ込み待機する。800度を超す頃には棺は全て燃え上がり、故人の焼けた姿が見えていく。



 ……この作業は何度やっても慣れんな。



 青い炎に包まれた故人を見ながら娘への思いを重ねる。骨がきちんと残るように鉄棒デレッキを操作しながらも、炎と同化することを夢見る。



 ……もうすぐだからな、麻里。



 ようやくここまで来たという自負はある。俺達家族は一緒にいられる時間が極端に少なかった。だからこそ、最後の炎を自分が司るという使命に燃えることしかできなかった。



 ……その後は、俺もいくからな。



 焼き上がったご遺体を冷やすために、台車を後退させる。今まで生きてきたのは梅雪のためだ。梅雪が何度も死ぬ思いをしながら生きてきたからだ。


レスキューの過酷な経験よりも、闘病生活の方がよっぽど辛かっただろうに、彼女は泣き言を漏らさずに生き抜いた。



 ……彼女と一緒に燃え尽きたい、と思うのは俺の傲慢だろうか。



 自分も一緒の炉の中に入りたいという想いはある。だがそれをすることはできない。この20年で火夫としての誇りを積み重ねてきているからだ。



 ……きちんと最後まで見送るまでがだ。



「それでは、ご遺体を炉から搬出させて頂きます。幸い、骨はきちんと残っておりますので、どうぞご用意したお箸をお使い下さい」



 ◆◆◆


 

 仕事を終え、火葬場の休憩室へ向かうと、武彦の娘・栞が椅子に座っていた。


「おじさん、お疲れ様」


「お疲れさん。しーちゃん、仕事入っているのかい?」


 煙草に火を点け一服すると、彼女は小さく頷いた。


「うん。今日は通夜で午後からだけどね。おじさんはもう終わったの?」


「ああ、後は書類を整理して炉の掃除をしたら終わりだな」


「そっか、よかったね」


 栞は煙草をちらちらと覗きながらも、未練はなさそうにペットボトルに口をつけた。


 彼女は派遣会社の司会担当を受け持っており、葬儀場との契約でその都度、場所が変わるらしい。


「おじさんの火葬はいつも評判いいよ。どんな状態でも骨を綺麗に残せるのはおじさんくらいだって、他の火夫さんもいってたよ」


「そりゃ、そうだ。自分の目で娘が燃えてるのを確認してるんだからさ」


「また!! そんなこといったら駄目だよっ!!」


しーちゃんはそういって顔を膨らませて怒る。


「おじさんのおかげで、私は助かったんだからさ、いつまでもくよくよしてたら、麻里ちゃんも浮かばれないでしょ!」


「すまんな、じじいの被害妄想だ」


小さく笑うと、しーちゃんは話題を変えようと首を傾げた。


「それよりもおばさんの場所、決まったよ」


「本当か」


「実はね、あらかじめ葬儀社さんにはお願いしてあるの。担当して欲しい人がいてね」


「そうか、それは助かるな」


 この業界を知る彼女にとっては、頼れる人物がいるのだろう。梅雪の最後を締めることまでは決めていたが、場所までは決めていなかった。



「おじさんが……梅雪おばさんを焼くんだよね?」



「ああ。そのためにここに就職したんだから、任せてくれないと困るさ」



 答えると、彼女は丁寧にお辞儀をした。



「うん、そうだよね。よろしくお願いします」



栞の真摯な心を見て穏やかになっていく。


20年前に式場にいた彼女を救うことには成功したが、両親はその場で亡くなった。その面倒を武彦が見ながらも梅雪が快方しにいったため、二人とも仲がいい。



 癌に苦しむ梅雪の精神を解放するためには、火葬場の聖火しかない。



「ところで、しーちゃんは禁煙に成功してるみたいだね」


「……うん。三年も経っちゃえばもう平気だね。それにおじさんが代わりに吸ってくれてるからさ、ありがたやありがたや」


 しーちゃんはそういって小さく笑い俺を拝む。


「おじさんは火が怖くなったことはないの? 消防士を辞めてさ、火夫さんになるなんて、私には無理だな。たとえおばさんのことがあったとしても……」



「怖いに決まってるさ」



 頷きながら煙を吐き出す。


「自分への戒めだね、これは。しーちゃんのためだけでなく、俺にとってもそうだ。今じゃもうやめたくても、やめられないけどな」


「あんまり恰好よくないね。やめなよー、吸ってた私がいうのも何だけどさー」


「そうだな、タイミングがあれば止めるよ」


 訓練をしていた頃は煙草を毛嫌いしていたのに、今となっては手放せない存在になっている。人間の習慣とは本当に恐ろしい。


「今日は清閑寺へ行ってくる。もうすぐ麻里の20周忌だしな。梅雪の分も貰ってくるつもりだ」



「おじさんは……いなくならないよね?」



 栞が眉を寄せながらいう。


「嫌だからね、いなくなっちゃ。私だって両親の20周忌なんだからね。おじさんがいなくなるんだったら、私も……」


 そこまでいって栞は黙った。これ以上の先は許されていないとわかっているのだろう。


「あ、もう時間だ。遅れちゃう。ともかく変なことは考えないように。じゃあ、またね」


「ああ」



 ……梅雪の死期が迫ることに胸が熱くなるのは俺の脳がすでに焼けているからだろうか。



 冷えた風を浴びながらもこんな妄想が湧いてくるのは、穏やかに狂ってきた成果だろうか。


 堕落した体に酒と煙草で、僅かに潤いを与えてきたが、この退廃的な生活も終わりを迎える。今までの灰色の時代に終止符を打つためには、蒼く輝く炎が必要だ。



 ……今度こそ、俺は炎から逃げずに全うしてみせる。



火消しとしてではなく、一人の火夫として、一人前の仕事をこなしてみせる。そのためだけに、今日まで生きてきた命がある――。


 

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