第三章 紅葉綾灰 PART7

  7.



 生け花の花材を持ちながら清閑寺に向かうと、菜月ちゃんが私服姿で待っていた。


「菜月ちゃん、こんばんは」


「お疲れ様です、秋尾さん。お勤めご苦労様でした」


 爽やかな笑顔に同性であっても心奪われる。細身の体に秋色のコーデが決まっており、何ともいえない哀愁を感じてしまう。



 ……やっぱり綺麗だなぁ、この子。



 夏に会った時よりも髪の毛が伸びており、大人びて見える。月に一度の講習でしか会えないが、最近見る度に女らしくなってきている。


「こんばんは、秋尾さん。いつもナツがお世話になってます」


「あ、おじいちゃん、こんばんはですっ」

 

 彼女の祖父・夏川源治なつかわ げんじさんが枯れ葉を箒で掃除している。


「お寺の紅葉も見頃ですね。綺麗に染まってますね」


「うちのは少し早いからねぇ」


 そういって玄司さんと一緒に空を眺める。曇り空に映える紅葉は対照的で、鮮やかな美しさを秘めている。


「二人とも行ってらっしゃい。また秋尾さんとご飯にでも行っておいで」


「ああ、う、は、はい。では、あ、秋尾さん、行きましょうか」


 菜月ちゃんは早歩きで門をくぐっていく。その姿に疑問を抱きながら、近所の生け花教室に向かう。


「ん、一緒にご飯ってどういうこと? 菜月ちゃん」


「わ、訳は後でお話します」


 紅葉のように彼女は顔を赤く染めながら早足で外へ向かう。



 ……ああ、そういうこと。



 一人納得した私は、菜月ちゃんの後ろをついていく。宇藤君よりもずっと遅い歩幅に合わせ先生の自宅に着く頃には、口元がにやけていた。



  ◆◆◆



 生け花を終えた後、菜月ちゃんと一緒にファミレスに向かう。何でも通い慣れているのか、彼女は自分から席を見つけていく。


「菜月ちゃん、私達、初めてだよね? ご飯食べに行くの」


 じろじろと彼女を観察しながらいうと、菜月ちゃんは頭を下げながら謝った。


「す、すいません。あの場で黙って頂き、本当にありがとうございます」


「へぇ、菜月ちゃんでもおじいちゃんに嘘をついたりするんだぁ、意外だねぇ」


 緩く非難の言葉を吐くと、彼女は再び顔を真っ赤にして弁解の言葉を口にしていく。


「じ、実は最近、お友達ができまして……」


「それって、もしかして春田君?」


「えっ!?」


 彼女の大きな瞳がさらに大きくなる。なぜわかったのかといった風に固まっている。



 ……本当に嘘がつけないんだな、この子。



 彼女の表情を見て再び口元が緩む。そんな顔をされたら正解だとしか取れない。


「ええ、そうなんです……。すいません、いつも生け花の稽古の日にご一緒しているので、秋尾さんだといってしまっているのです」



 ……か、可愛すぎるでしょ。菜月ちゃん。



 心の中で呟きながら彼女の表情を眺める。女子高に通っていたとは聞いていたが、ここまで奥手な人生を送ってきたとは思っていなかった。


「今日は仕事で打ち合わせがあるみたいで来れないといっていましたので、秋尾さんをお誘いしてしまいました。すいません」


 きっと茨城での大型案件だろう。話が進んでいるようで嬉しいが、不安も沸いていく。本当に彼一人で進められる仕事なのだろうか。


「そうなんだ。春田君の都合がつかないなんて、残念だねぇ」


「そうなんです……」


 彼女は小さく顔を曇らせる。


「忙しいのは何よりですが、春田さんはあまりにもやり過ぎてしまうので心配です」


「そうだよねぇ。で、菜月ちゃんは好きなの? 春田君のこと」



「え、ど、どうなんですかね。お友達としては好きですけど……」



 顔を背けて答える彼女に心臓が爆発しそうになる。私が男ならきっと、彼女をこのまま帰すことはできないだろう。


「へー、しかし意外だねぇ。そんなことになっていたなんて、検討もつかなかったなぁ」


 軽い嫉妬を覚えながら彼女をねめつけていく。


思いあたる節はあった。前回の日も、課題が終わった後、菜月ちゃんはしきりに時計を気にしていた。家族から催促されていたと思っていたが、どうやら違ったようだ。


「で、どこまでいってるの? あ、お兄さん。生ビールも一つ追加で」

 

 ボーイさんを捕まえてお酒を頼む。私を出汁に使っているのだ、これくらいは構わないだろう。


「あ、秋尾さん、おじさんみたいになってますよ」


「ぐふふ。そんなことないですよ~。で、どうなの? もうチューはしたの?」


 そういって私は頼んだビールに口をつける。暖房の入ったファミレスで仕事終わりの一杯は格別だ。さらにこんな上質な肴があればいうことはない。


「も、もちろん、まだそんな関係にはなってないですよ。お、お友達です。いい関係を築けていけたらと思ってますけど……」


「ほーん、怪しいなぁ。手くらい握ってないの?」


「手ですか? 毎回、春田さんは熱くなると握ってきますけど、そういう雰囲気じゃないですね」



 ……あ、これはもしかして。



 春田君に心の中で同情する。きっと彼は勇気を出して前進しているようだが、不発に終わっているようだ。菜月ちゃんは人の心には寄り添えるのに、恋心が何かまだ理解できていないのだろう。



 ……いいなぁ、この頃が一番楽しいよなぁ。



 彼女を見て肩の力が抜けていく。好きという気持ちに気づきながらも、制御できる年齢になってしまった自分と重ね合わせていく。



 それはきっと、経験の差だろう。何でも初めては楽しくて、魅力が詰まっている。



「実はですね、春田さんのお兄さんが生きていた頃に、私のおばあちゃんと出会っていたみたいで……こんな言葉を残していたんです」


 菜月ちゃんはメモ帳に『一蓮託唱』という言葉を書いていく。どうやら一蓮托生の漢字を変えているようだ。


「なるほど」


 仏教の世界は人の手で開拓されたものの一つだ。この言葉はきっと彼女のおばあちゃんが身を持って体感したものなのだろう。


「そうなんです。もちろん、この言葉だけでなくたくさんの言葉を作っていたんです。今の時期でしたら、こんなものも」

 

 紅葉良媒と紅葉綾灰という字がノートに描かれる。


「どういう意味? どっちもわかんないや」


「前者の言葉が元からある言葉で、紅葉が男女の仲人を果たしたという意味があります。後者の言葉をおばあちゃんが作ったのですが、紅葉が灰になるまで燃え尽きなさい、という意味みたいです」


 紅葉は緑から黄色を帯び、赤く染まっていく。そこで終わりではなく、命は続くという意味らしい。



「へぇ、面白いね。まさに達観した人だからこそ作れる言葉だね」



 ……私の中でも未だ燻ぶっているものがある。



 燃え尽きず、かといって燃えることすら忘れた何かが未だ残っている。


 この気持ちを宿しているからこそ、私はこの東京で中途半端な生活をしているのかもしれない。


「秋尾さんこそ、どうなんですか?」


 菜月ちゃんがここぞとばかりに反論していく。


「な、何が?」


「宇藤さんとです。お二人はお付き合いをなさっているのでしょう?」


「いやいや、それこそないよ」


 即答で返事をすると彼女は小さい口を膨らませた。


「誤魔化そうたってそうはいきませんからね。私も白状したんですから、秋尾さんもちゃんといって下さい」



 ……え、本当に付き合ってないんだけど。



 心の中で答えるが、そういっても野暮だ。少しばかり含ませた方が彼女も、もっと素直になれるかもしれない。

 

 でもそうするには私の過去を少しだけ話す必要がある。



「ま、菜月ちゃんならいっか」



 私は空咳をして彼女を見つめる。



「ちょっとだけ重い話を、軽くしてもいい? 菜月ちゃんには話してなかったけど、私もさ、大事な人を4年前に亡くしているの」

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