第二章 一蓮託唱 PART17 (完結)

  17.



「お姉ちゃん、早く早く」


 しんちゃんが声を弾ませて、明るい屋台へと近づいていく。アナウンスと共に打ち上げられる花火に心が次第に高鳴っていく。


「はいはい、お金あげるから、先に行って来て」


 逸るしんちゃんにお札を渡して、隣にいるおじいちゃんを眺めると、目をきらきらと輝かせて夢中で眺めている。


「おじいちゃんは花火、嫌いだと思ってた。いつもおばあちゃん一人だけで行ってたいたからさ」


「嫌いな訳じゃない。仕事で花火自体を楽しめなかっただけだ」


 おじいちゃんはそういいながらも視線を外さない。彼の真面目な顔が緩く崩れていくことに年を感じてしまう。


 家族で来る花火は本当に久しぶりだ。


「……ねえ、おじいちゃん。一蓮託唱の意味、わかっちゃった」


 ゆっくりと歩きながら答える。


「どうしてあの時に教えてくれなかったのかも……わかったつもり」


「……そうか」


 

 ――彼の死については話すことはできませんが、おばあ様のことなら話すことができます。



 職員さんの言葉が蘇る。きっと祖母はその日が来ることを覚悟して生きていたのだろう。祖父にしても、母にしてもそうだ。知らなかったのは私としんちゃんだけだったのだろう。


 おばあちゃんは病気を背負っても、負けずに立ち向かった。自分のできることを全うし、一つの蓮を託すために、唱え続けてきたのだ。



 自分の命を、燃やし尽くすまで――。


 

「だからさ、私もできる所までやってみるよ。辛いことも多いけど、今のお仕事、好きだからさ」



 ……きっと春田さんのお兄さんもそうなのだろう。



 未だ見たこともない彼の幻影を浮かべる。彼はきっと、生きることを一度諦めてしまったのだ。それでも祖母の言葉の意味を見つけ出し、再び生きる希望を見つけることができた。


 そんな人が自殺などするはずがない。何か秘めた理由があるのだろう。


 それに冬野さんの顔には、別の理由があるといっているようだった――。



「……そうか、あれからもう5年になるのか」



 祖父は深く帽子を被りながらいう。


「一蓮託唱という言葉は一人の者だけが持つべきものじゃない。語り継がれていくものだとわしは思っとる」


 あの言葉は自分が知らなくてはいけないと考えていた。知ることが大事だと思っていたが、そうではなかった。


「一つの蓮、一つの世界を託すことが仏教だ。だが仏教というものはこの世に存在しない。知ることではなく、とする心に意味がある」


 祖父の言葉に頷く。


 仏教の歴史は深く見通せない。だが本質は語り継がれていく、ということにある。大切な人を守るために、生きる教訓として存在しているのだ。


 それは強制するものではなく、自ら教えを乞う者にしか与えられない。 


「静がお前に強制しなかったのは自分の意思で選んで来なかったということもあるだろう。あいつはお前よりも弱虫で、病弱だったからな」


「そうなの? 全くそんな風には思わなかったわ……」


「人一倍、努力家でもあったからな。だから念仏っていうのはそれだけで人を捻じ曲げることができる。いい方向にも悪い方向にも……」


 祖父はそういいながら少しだけ寂しそうな顔をした。きっと未だ拭えない気持ちが心の中に残っているのだろう。



 おじいちゃんの中にもきっと、後悔が残っている――。



「菜月、一つだけ知っていて欲しいことがある。それはこの世に正しいことなんて一つもない、ということだ。殺人が絶対に間違っていることだってない、それは人が作った法律が決めたことだ」


 彼の顔に熱が籠もる。そのエネルギーに再び心に火が点いていく。


「だから俺達ができることは、ただその魂が安らかに次のステージに行くことを見送るだけだ。善悪はない」


「うん、わかるよ」


「お前は賢い。だから迷うこともあるだろう。だがそれでいい。そのまま、考えながら進んで行けばいい。今は、ともかく正しいと思った道を進んでいきなさい。それがきっと正しい答えになっていくから」


「うん、ありがとう。おじいちゃん、これからもよろしくお願いします」


 豪快な花火の音が終わると、大勢の見物客が手を叩き賞賛していく。この花火を作る職人も次世代に受け継がれていくのだろう。



 終わりのない世界に、私は仏の道を進んでいく。



 辛く困難な道に挫けることもあるだろう。再び挫折する道だってあるだろう。


 また来年の夏も、私は法要をする度に達成感を味わい、喪失感を覚えていくのだろう。前に進んでいるのか、戻っているのか、それらを決めることはもちろんできない。


 それでも火葬場が廻っている限り、私はこの道を突き進んでいく。大切な人が築き上げてきたものは必ずまた、どこかで繋がっていくと確信しているからだ。



 次に託す者が現れるまで、唱え続けていこう。それが私の使命であり、なのだから。



 屋台にある風鈴の音がきこえた。夜風が火照った体を冷まし、提灯の隙間からソースの焦げた匂いを運んでいく。



……源のおばあちゃん、ここにいるの?



 風がたなびくように、辺りを一掃する。もしここにいるのなら、いう言葉はすでに決まっている。



 ……おばあちゃん、私はもう大丈夫だよ。



だから、来年は……笑顔でおかえりっていわせてね。


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