第二章 一蓮託唱 PART2

  2.



「あら、もう見えたんね。菜月なつきちゃん」


「すいません、おばあちゃん。早いですけど、もう伺ってよかったですか?」


「ええ、もちろんだとも」


 通い慣れた畳みの上を歩いていくと、そこには49日の法要を終えた御仏が眠っていた。座布団の上に座り小さなりんを鳴らすと、横に座ったみなもとのおばあちゃんも一緒に拝み始めた。



「では、源茂雄みなもと しげおさんの初盆の法要を始めさせて頂きます」


 

 チリーン、チリーン。



 引磬いんきんを鳴らし、法要の言葉を述べていく。思いの丈が伝わるように、背筋を伸ばし、しっかりと力を込めて。



……源のおじいちゃん、帰って来ているの?



 先ほどまで静かだった和室に一陣の風が舞い込む。穏やかでありながらもどこか懐かしい気持ちにさせるこの香りは、故人が帰ってきている証拠なのだろうか。


 葉の香りまで引き連れた風が襖に張られた風鈴を誘い、共鳴していく。



 ……おかえりなさい。



 念仏を唱えながら心の中で彼に問う。帰って来ているのなら、返事をして欲しい。熱いお盆の時期に死者は帰ってくるといわれているが、本当の所は住職である私にもわからない。



 ……どうか、おばあちゃんにだけは伝えてね。



 静かに再び引磬を鳴らし法要を終えると、穏やかに風の気配が消えた。


 風鈴の音が消えると、一時の沈黙が訪れ、蝉が静けさを嫌うようにリズムをとりながら鳴き始めていった――。



 ◆◆◆ 



「菜月ちゃん、西瓜すいか好きよね?」


「うん。でもおばあちゃん、気を使わなくていいからね」


「いやいや菜月ちゃんのために買ってきたんだから、一杯食べていってよ」


「……いつもありがとうね、おばあちゃん」



 ……もうこれで三個目になっちゃうな。



 小ぶりな西瓜に狙いを定めかぶりつく。お腹の中はすでに満たされており、これ以上食べると冷えてしまう可能性がある。法要に行く度に皆、振る舞ってくれるが、好意を無碍むげにすることはできず、結局頂いてしまう。


「暑いけど、いい天気ねぇ。雲一つないなんて、心まで晴れていくわぁ」


「そうですね。今日は花火大会ですし、人が集まりそうですね」


 蝉が連鎖して夏の歌を合唱し、熱気を生み出していく。冷えた部屋の中にいても汗が滲んでいくのは、袈裟けさを掛けているだけではないだろう。


「毎年、お父さんと一緒に行ってたんやけど、今年はいけずじまいやねえ……2回は必ず、一緒に回っていたんよ」


 おばあちゃんは小さく呟くようにいいながらも懐かしむように遺影写真を眺める。


「お父さんは花火の轟音が好きでねぇ、耳が遠くなっても一緒にいっていたんだけど、あの頃がついこの前のように感じるねぇ……」


「……そうなんですね」


住まいから聞こえる花火の音は、全てを掻き消し人々の歓喜をもたらす。祖母も組合に顔を出しては、花火の音よりも人の声を有り難かったものだ。


「今年は孫と見に行くんだけど、お弁当を持たせようと思ってるのよ。屋台のは味が濃いでしょ。子供が喜ぶ料理なんて思いつかないけど、やるだけやってみようと思って。私は屋台の美味しい焼きそばを食べるつもりだけどね、ひひひっ」

 

 嬉しそうに語るおばあちゃんの話を聞けてほっとする。半年前にあった旦那さんの葬式の時の姿が嘘のようだ。悲しみを乗り越え、仏様の前で笑顔で話ができている。


「お孫さんはおいくつなんですか?」


「3歳になるんよ。ようやくお話ができるようになったくらい、遅いやろう?」


 お孫さんの写真を手に取ると、歯も生え揃っていない口元が見えた。愛嬌のある顔に思わず頬も緩んでしまう。


「いい日になりそうですね。是非、楽しんできてくださいね。そういえば、肩の調子が悪いといっていましたけど、大丈夫ですか?」


「うん、ああ、大丈夫よ」


 おばあちゃんは肩と腰をもみながらいう。


「肩懲りはもうなおらんねぇ。整体師さんにも怒られるくらいに硬いんよ、ははは」


 底抜けに明るく笑う彼女に戸惑う。素直過ぎて、隠し事ができないタイプなのだ。だからこそ顔色を伺わずにしっかりと話ができ、心地よい時間を堪能することができる。


「……ところで菜月ちゃんは花火、行かないのかい?」


「私はちょっと難しそうですねぇ……」


 お坊さんに夏休みはない。住職としてお寺を任されてから、この時期に休むことはできない。法要だけでなく、葬儀の依頼も来ているからだ。


「明日の夜、生け花の稽古もあるんです。だから今日の夜はちょっと練習しなくちゃいけないんですよ」


「大変ねぇ、若いのに勿体ないっ」


 おばあちゃんは口を大きく開けていう。


「菜月ちゃんみたいに可愛かったら、男の人から引く手あまたでしょうにねぇ。 あー勿体ない、勿体ない」


「いえいえ、そんな男の人と交際している時間なんてありませんよ。それに今は仕事をしている時の方が落ち着いていられるんです」


 ……最初の頃は本当にがむしゃらだった。


 務め始めた3年前の夏を思い出す。最初の頃は何をすればいいのかわからず全てに神経を注ぎ、毎日疲れ果て部屋に戻っては寝るだけだった。


 今では生け花やお茶などの稽古事まで参加できるのだから、慣れとは恐ろしい。


 おばあちゃんと一緒に西瓜を食べ終え、熱いほうじ茶を啜る。これでもうひと頑張りできそうだ。


「菜月ちゃん、おかわりまだあるけど、どう?」


「大丈夫よ。おばあちゃん。ありがとう」


 冷蔵庫に手を掛けるおばあちゃんに小さく手を振る。


「次もあるからね、これで充分。御馳走様でした」


「そう、残念。お粗末様でした。後、何件くらい回るの?」


「んー、2軒は決まってるんだけど、行く度に増えちゃうから、こればっかりはわからないね」


 法要が決まっていても、家族が集まる日は決まりにくい。法事は生きている人の都合が関わるので、変動することが多々ある。


 だからこそ、私は常に冷静に対処し続けなければならない。


「そっか。大変だろうけど、頑張ってね。いつでも避難しに来ていいからさ、涼しくして待ってるから」


「うん、ありがとう、おばあちゃん。また来るね」

 

 スクーターに乗り込むと、ヘルメットが熱を吸収して佇んでいた。


……さあ、後2軒、頑張ろう。


スロットルを回しながら、次に向かう住所を想像し、ひと時の風に身を委ねることにした。

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