第一章 桜花乱満 PART15

  15. 

 


「それでは、故人・橘薫様のご遺体を火葬場へとご移動させて頂きます」


 年配の男性職員が事務的に挨拶して棺を移動していく。炉へ向かう途中、京子さんは顔を沈めたまま、寄り添うようについていく。


「こちらで最後のお別れになります。何か言い残すことはございますか?」


 棺の蓋が開くのはもう、顔だけになってしまった。春の花が故人へ寄り添うように静かに佇んでいる。



「……最後の挨拶をしても、いいですか?」



 京子さんは組員の前で、小さく呟いた。



「いつになるかわからんけど……また寄り添うけんね。それまでのお別ればい、薫さん。後のことは……私に任しとき」



 棺が炉の中へ収まっていく。職員は何の表情も見せずにただ、淡々と作業をこなしていく。


「それでは一時間以上掛かりますので、ロビーの方でお待ち下さい。お時間がきましたら、およびさせて頂きます」


 職員の誘導により、大勢の組員が緊張した面持ちのまま、歩いていく。


 社長の方を見ると、顔つきが緩くなっていた。


「どうしたんですか?」


「あの職員さんだったら、大丈夫だと思ってね」


 社長は肩の力を抜いて吐息を漏らす。


「前にも同じようなことがあってね。その時にも対応してくれた人なんだ。冬野ふゆのさんなら……間違いなく、綺麗に焼いてくれるよ」



 ◆◆◆



 ロビーへ辿り着くと、先ほどの喧騒が嘘のように静まり返っている。今まさに通夜が始まったような静けさだ。


 そんな中、京子さんが大股で前に出向き、痺れを切らしたように大声で叫んだ。



「あんたたち、何黙っちょるんねっ!? そげんこつで組が回ると思っちょるんねっ」



「しかし女将……親方はもう……」


「親方が死んだら、あんたたちは終わりかい? あー恥ずかしか、あんたたち、子供やなかと、もう立派な大人たいっ」


 京子さんは地団太を踏むように、着物の袖を掴む。


「あたしは悔しかっ。自分が死んだ時に、哀しみにくれて静かに見送られるだけの葬儀なんて。どーんと胸張ってっ、後のことは任せんしゃいと強気でいかな、親方だって浮かばれん。幽霊になって、出てきてもええんねっ?」


「幽霊でも、いいです……。親方がいてくれたら……」


 組員の言葉に、京子さんは顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。



「アホ、アホ、大アホっ! そんなあんたたち、みたくない。もう組は解散やっ。絶対に取り消さんけんねっ」



 京子さんは組員の胸倉を掴んで張り手をしていく。彼女の非力な手ではびくともしないが、皆、黙って喰らいながらも目を背けている。


「今すぐ全員、親方の炉の中に入っていきっ。そんなに一緒にいたいんやったら、一緒に燃えんしゃいっ。あんたたちの顔なんて、もう見たくなかとっ」



 ……こ、怖ええ。



 昨日の夜のギャップに戸惑いながらも、身を凍らせる。しおらしい姿に騙されていたが、元は親方の妻なのだ。手を出していたら、本当に炉の中に突っ込まれていたかもしれない。


「早く動かんね、何をもたもたしとるとっ」


「すいません、女将。俺達は根性なしです……」


「そうかい……なら、あたしにも考えがあると」


 女将はそういって両足を広げ、腕を組んだ。


「この橘組は今日で解散するっ。それはもう決定やけんねっ。


 そして……今日からあたしが……新しい組・『桜組』ば作るけ、あんたたち、付いてきんしゃいっ。


 あんたたちが燃え尽きるまで……桜の花を散らすまで……しごいていくけんねっ。覚悟しんしゃいっ」



 ……ええっ?



 組員と同じように茫然とていると、京子さんは再び怒鳴った。



「返事はっ!?」


「はい、女将についていきますっ!」


「よろしいっ。あたしは親方のように甘いことはいわんけんね、覚悟しときっ!」



 ……きっと別れを乗り越えることができたんだな。



 京子さんの表情を見て思う。本来の彼女はきっと天真爛漫に明るいのだろう。葬儀という場が彼女の本来の姿を封印していたのだ。


 京子さんは大きく頷くと、俺の方を見て頭を下げた。


「春田さん、昨日は本当にありがとうね。おかげで目が覚めたばい。やれるとこまではやってみることにするけんね」


 京子さんは大粒の涙を拭いながらいう。


「もう立ち行かんにしても、心は桜の花びらのようにまだ燃え尽きてなかと。皆、潔く死ぬこともできんみたいやし、後の尻ぬぐいは私がするったい」


 満面の笑みを見せる彼女に俺の心も軽くなっていく。


 やはり葬儀といっても、明るく見送る方が断然気持ちがいい。前に進むためには、負の力では乗り越えられない。


「……是非、頑張って下さい。応援しています」



 ……きっと大丈夫だろう、京子さんがいれば。



 事情まではわからないが、きっとこの組は残るだろうと確信する。諦めたら、そこで終わりなのだ。動き続ける限り、人の思いは繋がるし、止まることはない。



 俺の人生も、ここから再出発だ――。



「昨日はいえんかったんやけど……、春田さん、実はね、あんたにいわないけんことがあったと」


 京子さんは俺の顔を見て真剣な表情をする。


「あたしと薫さんはね……に助けて貰ったことがあるんよ」

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