第一章 桜花乱満 PART5
5.
お坊さんを見て社長の顔つきが変わる。豪快な弔い客にも物怖じしなかった彼が厳粛な態度で迎えている。
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
お坊さんは緩く微笑みながら祭壇へ近づいていく。そこには木魚から専用の椅子、様々な道具が置かれてある。
「では
達筆な字で木彫りに字が書かれていく。細い指がなめらかに動いていき、淀みなく書き終えてしまう。
……お坊さんはもしかして、女?
改めて顔を見ると、端正な顔立ちをしていた。穢れのないまっすぐな瞳、細く整った鼻と唇、喉仏のない首筋が見える。
「春田君、四階に案内してあげて。くれぐれも粗相のないように」
「は、はい」
社長に念を押されながらエレベーターのスイッチを入れると、彼女は丁寧にお辞儀をしながら中に入ってきた。
……うわ、めちゃくちゃ美人だ。
狭い空間に二人でいるだけで胸が苦しくなる。黙っていると、彼女は小さい声で呟いた。
「あの……エレベーターの数字を押さないと……」
「あ、そうでした。すいません」
気が動転している俺の前で、彼女はそっと微笑む。その仕草に心が軽くなっていく。
「本当にすいません、今日が出勤初日で、何をしていいのかもわからなくて……」
「構いませんよ。私もまだ浅いので……」
エレベーターがつくと、彼女の方が延長ボタンを押しながら案内してくれた。そこは和室になっており、どこの部屋よりも綺麗に掃除されていた。
「ここが私の待機場所ですね。あ、お茶でも飲みます?」
「ええ!? すいません、淹れますよ。というか本来は俺がやらないといけないんですよね?」
「いえいえ、お構いなく。私も一人だと退屈するので、少しだけ話し相手になって貰えませんか?」
靴を脱ぎ、正座をしながら彼女に淹れて貰ったお茶を飲む。今まで立ちっぱなしだったので、腰が緩み一気に疲れが抜けていく。
「私は
そういって夏川さんは帽子を脱いだ。短髪にまとめ上げた髪が美少年のようにも見える。
「ご丁寧にどうも。俺、じゃなかった、僕は
「そうですか、いい名ですね。春田さん、よろしくお願いします」
……やばい、惚れそうだ。
ここ最近、女性との親しい交際をしていなかったため、心臓を撃ち抜かれる。ましてこんな美人に話し掛けて貰っただけでも天に召されそうだ。
「もうすぐ桜が咲きますね。春田さんはお花見には行かれるのですか?」
「昔はよく行っていたのですが、最近は行ってないですね……」
兄貴がいた頃は無理矢理にでも連れていかされていただろう。兄貴は生粋のアウトドア派で、花見は一番に場所を取るくらい好きだった。
大して俺はインドア派で兄貴が亡くなってから、家に引き篭もることがぐんと多くなった。
「夏川さんはよく行かれるのです?」
「そうですね、お寺の庭にも立派な枝垂れ桜があるんです。今年も綺麗に咲いてくれたらいいんですが、もう年で中々栄養が行き渡らなくて……」
夏川さんはそういって腕を組み悩んでみせる。その姿さえ愛らしく、助けになってあげたいという欲求が働く。
「失礼ですが、夏川さんはなぜお坊さんを? こういっては何ですが、何だか勿体ないような気がして……」
「確かに若いうちからこの仕事をするのは、分不相応な気がするのですが、祖母に近づきたいと思っているんですよ」
夏川さんは子供のように目を光らせて続ける。
「おばあちゃんもお坊さんをしていたんです。うちは女系寺で、人手が足りなくて。だけど
話に頷いていると、夏川さんは少しだけ頬を染めてお茶を啜った。
「すいません。お話が過ぎましたね、初対面の方にこんなことを……」
「いえいえ、聞けてよかったです。もっと知りたいくらいです」
「……よかった」
そういって夏川さんは胸を撫で下ろすようにして笑った。現代の三蔵法師が俺を見て微笑んでいる。眩しすぎて本当に成仏しそうだ。
「そういって頂けると助かります。つかぬことを御訊きしますが、なぜ春田さんはこちらに?」
「就職難で……仕事が選べなかったのもあるんですが……身近な人を亡くしてしまって、こちらに来てみました。大変な仕事だとは思うのですが、やりがいがありそうですね」
「そうでしたか……再び失礼しました。とても大切なお仕事だと思います。春田さん達がいるから、私達は自分の仕事を全うできているのです。本当にいつも感謝しております」
湯呑みに口をつけると、空になっていた。時計を見ると、17時半を回っている。
「あ、いけない。もう時間ですね。おしゃべりが過ぎてすいません。急いで支度しますね。なのですいませんが、席を外して貰っても……」
「ああ、そうでした。すいませんすいません、すぐに出ていきます」
俺が靴を履くと、彼女は再び声を上げた。
「これからもよろしくお願いしますねっ、春田さん」
……か、かわええ。
満面の笑みを見て結婚したい、いやしようと確信する。キリシタンはもう止めだ、彼女のためにもまずは頭を丸めた方がいい気がする。
「こちらこそ、よろしくお願いします。そ、それでは失礼します」
謝る彼女に再び頭を下げながら部屋を出て、エレベータ―のボタンを押す。
……彼女の読経、聞きたいな。
研修時間はとうに過ぎているが、社長に頼めばきっとホールにいさせてくれるだろう。
スキップしながらホールに戻ると、社長の顔が青ざめていた。
そこには掴み合いの喧嘩をしている極道の方達で溢れていた。
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