春雷

萩原伊沙楽 Ⅴ



 俺だってね。

 俺だってね。


 愛している人くらいたのさ。 ゆっくりと息をすると肺腑に酸素が行き渡るように、紫煙をゆるりと吐けば鮮やかな世界 が見える。霧が見せる幻かと思うが、それは実は本当に起きていることなんだ。


 なぁ、おい。


 俺がいつ愛せないなんて言った...

縁側で眺めながら言ったろう。お前はやはり知らん顔をしていたね。まるで俺に興味がないかのようだ。普段くっついて回るかと思って、なればこそと家に招き入れたのに、一体全体、 反対のような気もするがね。緊張しているわけでもないんだろう。もちろん恥ずかしいわけでも。


「恥ずかしいよ」


 嘘をつけ。

 お前が、俺に嘘をつくわけがないだろう。


 なぁ、おい。


 俺はこの縁側から見える景色が好きだよ。


 春になれば海堂が咲き零れ

 夏になれば蝉が鳴き

 秋になれば紅葉は色ついて

 冬には一等白い世界が見える


 この縁側が好きだよ。だから君にも見せたんじゃないか。美しいものを見せたがるのは人間 だからかな...

 だからかな。 俺はここで火を焚いた。持っているには辛すぎたんだ。あの人...香を薫きしめる人だったか らさ。


「昔の話をしてどうしたい」


 うん...俺も結局普通の枠組みに収まっているということかな。お前が思っているような人 間ではないよ。俺は枠組みを超えたくないし超えるつもりもないんだ。クリーム色の紙に万年筆を滑らせているのは俺だけじゃないということが、そろそろ知って欲しいとも思ったんだ。柔んだ夏はいつでも来るということをね、言って起きたかったんだ。多分。


「お前がそういう首の角度をさせるのが俺は一等好きだが」


 そうかい。それならそれでいいんだけどさ。別にどうってことはない。

 だけど


「それでもお前は平気で狂気に浸れる」


 狂気。

 狂気か。

 体が動かなくなることがお前にはあるのか。ぴたりと閉じたはずの襖から明かりが漏れて いるのを見つけた時の恐ろしさがお前にはわかるのか。

 わかるなら、お前も充分、そうだよ。 何もかもが美しく感じられて何もかもが絶望して見えるよきっと。これを持っているのは 俺だけじゃない。


「うわべだけ見れば充分な生活をし、しかし狂気に浸れるのはお前だけ」


 そう。

 それこそ。


 俺が目下頭を悩ませているものだよ。 目下ではないかもしれないね。ずっと前からそうかもしれない。ずっと、ふと手首に傷が増えたあたりから思っていたかもしれない。もしかしたら、あの夏の前からそう思っていたのかもしれない。


 充分、幸せなはずなのにね。俺は。


 狂気に浸る必要なんてどこにもない。

 むしろ俺だけだったから、十二分に豪勢な生活をさせてもらっているのにねぇ。何にも、理由なんてなかった...


「充分な空気がそこに在るのは何故?」


 多分。


「詩を...」

「書きたかったんだろう...」

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