掌編:本当に知るべき術は。

おいぬ

本当に知るべき術は。



 ぽすん、と。僕の胸に軽い衝撃が走る。ちらっとそちらを見下ろすと、そこにはやはりと言うべきか、黒い髪をした少女がいた。毎日ぶつかってきているので、もう気配と匂いでだれなのかを理解できてしまうのは、少しだけ悲しいのかも。


 もぞもぞと、何かを探るかのように頭を左右に振った少女。その後にゆっくりと顔を上げて、にへらと笑う。その様子は、やっぱり何度見ても慣れないものだった。花の咲くような笑顔を見るたびに、僕の心の中には、桃色の感情が吹き荒れる。



「えへへ、あったかーい……」



 そんなことを言って、強く僕の腰に抱き着いてくるのは、幼馴染である星野。少しだけ色素の薄い黒い目を細めて、まるで猫のように温かさに固執する傾向がある。……そして主に、固執されるのは僕なわけなのだが。


 しかし、やはり腰に抱き着くのは星野にとっても歩きづらかったらしい。くるりと向きを変えて、そのまま僕の右腕を抱え込む。すりすりと、まるで猫かと疑うような仕草で、僕から温かさを吸収していく。その様子は他人に見られるには些か恥ずかしくて、でもそれを指摘してしまったら、この瞬間が終わってしまうような気がして。


 結局のところ、僕は星野の腕を振り解く術を知らなかった。


 ……もしかしたら、腕を軽く振れば、ほどけるかもしれない。もしかしたら、歩調を合わせなければ、ほどけるのかもしれない。――でもそれをしないのは、きっと。


 本当のところは、きっと、その術を知りたいとも、そしてやりたいとも思っていなかったから。



「手、握ってもいい?」



 そんな風に笑われたら、断ることはできないだろう、と。僕は心の中で一つ息を吐いて、手を差し出す。それを星野は嬉々として握って、自分のブレザーのポケットへと突っ込む。狭い空間の中で、僕の手と星野の手の体温が混ざり合って、とても心地がいい。まるで融けてしまうような、そんな温度が手から伝わってきていた。


 それからは、黙って通学路を歩いていた。ゆっくりと、ただただ融けるような体温で。



「一つ、聞いてもいいかな?」


「……なにを?」


「萩野って、私のことどう思ってる?」



 突然投げ込まれた爆弾。その質問を前に、僕の心は盛大に焦っていた。どう答えればいいのか、そしてどういう風に言葉を紡げばいいのか。それすらもわからなくなり、ただ口をパクパクとさせて、答えに詰まる。その様子を不思議に思ったのか、星野は不思議そうな表情を浮かべて握る手の強さを増す。


 不意に、その手から体温の高まりを感じ取った。星野の手はいつも温かい。でも今の暖かさは、温かいというよりも、むしろ熱いほどだった。それはもしかすると、僕の手の熱さだったのかもしれない。でも、今はそういうことを考える事の出来る暇なんて、僕にはなかったのだ。



「どう……なのかな?」


「……嫌いじゃ、ないよ」



 好き、とは言えなかった。この心の中の感情を言葉にする術は、僕にはなかったからだ。甘やかなこの感情は、しかし一種劇薬のようなものだ。伝えてしまえば、状況は好転することもあるだろう。また逆も然り。もし伝えて、それが失敗に終わってしまえば。あとには、絶望の道しか存在していない。だから、僕はこういう風に答えた。


 それが最善の術だと、僕は思ったからだ。


 星野は、そっか、と微かな笑みを浮かべて、握る力を少しだけ弱めた。その様子を見て、ふと思った。


 僕が知るべき術は、彼女の手を振りほどく術ではなくて、むしろその逆で。


 そう、彼女の手を取る術だということに。

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掌編:本当に知るべき術は。 おいぬ @daqen_admiral

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